元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

国道54号線沿線に残る戦前の橋【その13・井羅原橋】

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「国道54号沿線に残る戦前の橋」シリーズ、その13は井羅原橋です。

現在、井羅原橋の下流側に新井羅原橋が架かっておりますので、
古い橋が架かっているのをご覧になった方も多いのではないかと思います。

井羅原橋は中間橋脚を3つもつ、4径間のRC桁橋で、
橋の長さは、国道54号線沿線の戦前架橋の橋の中では、
おそらく、三刀屋橋に次ぐ長さと思われます。

地図昭和7
(昭和7年陸地測量部地図より)

前回の坂本橋と井羅原橋の位置を、古地図に示します。

府県道松江広島線は井羅原橋で三刀屋川を渡り、
渡りきったところで90度左に曲がって、
大きく西に蛇行する三刀屋川を山裾沿いにカーブしながら
鍋山村・三刀屋方面へ向かっていました。

地図現在
(国土地理院ウオッチ図より)

現在は新井羅原橋で三刀屋川を渡り、そのまま栗原トンネルにて
直線で鍋山地区へ到達します。

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坂本橋方面から、鍋山・三刀屋方面を眺めた画像です。
渡りきると山にぶつかり、旧道は左に折れていきます。
橋を渡ってすぐにほぼ直角のカーブですから、
現役当時は相当の難所だったのではないでしょうか。

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坂本橋側の親柱は、架橋当初のものと思われる親柱が残されています。
橋名板がはめ込まれた後は残っていますが、
橋名などの表記は残っていません。

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高さは1メートル弱くらい、他の54号線の親柱と同等のサイズです。

3・5
袖柱も残されていました。
元々は鉄パイプなどの欄干でつながっていたものと思われます。

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鍋山地区側からの橋の姿です。
こちら側の親柱は2基とも後年の設置と思われる、シンプルなコンクリートの角柱です。

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鍋山側は、道路が直角に曲がるという線形の悪さから、
親柱に車が接触することが多く、破損してしまったのではないかと推察されます。

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橋の中央より。橋の部分は草が生えてしまっています。

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背の低い欄干。元々は鉄製の柵が嵌められていたものと思われます。

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金属供出の際に無理やり柵をはがしてしまったのか、
かなりボロボロの状態です。


〈架橋のころの新聞記事〉
戦前の松陽新報より、井羅原橋に関する記事をいくつか見つけたのでご紹介します。

6830.jpg
昭和6年8月30日 松陽新報

「面目一新する県下の橋梁」
「災害復旧事業進捗す」

本明年度にわたる県の災害復旧土木工事は、
総工費百万円中本年度の支出額70万円をもって
本年一月以来これが工事に全力をあげ交通上支障のあるものはもとより
道路堤防など小工事はすでに殆ど竣工し
橋梁の改架修繕も56千円以上のもの二橋を残すほか全部契約済みで
(中略)
本年度に竣工する予定のものは行恒、里熊、神納、市尻、川戸、木次、井羅原、周布、水尻、浜田大橋などで
(後略)


ということで、昭和5年くらいに発生した水害に対する、
災害復旧の一環として井羅原橋が改架されたことがわかりました。
「国道54号線沿線に残る戦前の橋」シリーズ冒頭で、
『架橋年が昭和8年から9年にかけての間に集中しているのは、
結論から言えば、これらの橋の大部分が「省営自動車雲芸線」の
開業(昭和9年8月15日)に関連した道路改良工事の一環として
架橋されたものだからであります。』

と、述べていましたが、
井羅原橋に関してはその前提が崩れてしまいました。

余談ですが、記事中、「本年度に竣工する予定の」橋に、「水尻」が挙げられており、
これは、以前ご紹介した、都野津の水尻橋の可能性があります。

上記記事より3か月後には下記のような記事が松陽新報に出ています。
松陽昭和6年12月1日2
昭和6年12月1日 松陽新報

「雲南の三橋改架」
「三島木次土木管区所長の談」
目下改架工事中の里熊、井羅原、木次の三橋工事は最近漸く進行し
近く最新式モダン橋が竣成するがこれが工事について監督の任にある
三島木次土木管区所長は工事の概況につき左の如く語る

橋梁改設の真髄は強度と美観にある、
如何に節約時代とても基礎工だけは万全の策を講せざれば
砂上の楼閣で交通上危険千万である故に三橋改架の基礎工事は最も堅牢にして
経済有利に計画施工が必要なるも土地の地表に顕れる部分は容易に其の性質を
弁別し得るも地面下には如何なる地層の存在するかを知るのは
最も我々土木屋の苦しむところである。

井羅原橋
三刀屋川の上流に架設するので基礎地質は砂利層で粘土を含み且つ玉石交じりの
硬盤であるので架橋地点としては理想的である。
橋脚は楕円形の重力式玉石混凝土三基なるが水深三尺余の箇所を
地盤より七尺掘下げ基礎混凝土作業成るを以て
数回出水の為め囲堤を流失させられたると大いなる転石砂利層中に
包含せられ掘鑿の困難なことはお話にならないくらい至難であるが
幸に請負人の献身的努力により予定通り進捗中である
(後略)


県の責任者が、井羅原橋の改架に関して
地質・土木の観点から述べています。

松陽昭和6年12月1日3
建設中の井羅原橋の写真付きです。これは貴重ですね。

図1
川に沿って道路が走っていることから、
上記写真は、古地図黄色矢印方向から撮影したものと思われます。
写真の中には、川の中の建設中の橋脚、鍋山側の橋台、
そして仮設橋なのか、木造の橋らしきものが確認できます。

そして、さらに3か月後には、完成した井羅原橋の記事が
写真付きで松陽新報にでていました。
松陽昭和7年3月17日t
昭和7年3月17日付松陽新報

「雲南の新橋井羅原橋無事工を終る」
府県道松江広島線飯石郡鍋山村地内井羅原橋の改架工事は
昨年9月起工、木次土木管区監督の下に
請負者清水組によって工事中のところ(昭和7年3月)15日無事竣工した。
因みに同橋は長さ47米幅5米87糎にして総工費8,740円88銭を要し
鉄筋コンクリートの最新式堅牢優美なるものである。


井羅原橋は昭和7年3月15日に竣工したことが分かりました。
「島根県の近代化遺産」では、井羅原橋の完成年を昭和9年としていますが、
当時の新聞記事により、正しくは昭和7年だったことが明らかになったわけです。

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現在、栗原トンネル側から井羅原橋への旧道は通行止めとなっており、
井羅原橋が「通行するための橋」としての意義は無くなってしまっています。
老朽化も進んでいるため、「予算さえつけば」、
早晩に撤去されてしまうのではないかとも思われます。

【橋の諸元】
橋名:井羅原橋
竣工:昭和7年3月
型式:RC桁橋
所在地:雲南市三刀屋町乙加宮
川:三刀屋川
道路:?



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  1. 2017/04/24(月) 01:06:30|
  2. 国道54号線の古い橋
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出雲横田駅(奥出雲町横田)

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出雲横田駅は木次線の要衝、駅舎は開業当初以来の木造駅舎です。

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昭和8年11月20日付山陰新聞

木次線の出雲三成~八川間は、昭和9年11月開業しました。
開業に伴い設置された駅は亀嵩、出雲横田、八川の三駅で、
いずれの駅舎も現在まで開業当初の姿を残しています。

91120木次線拡大1
新聞記事に掲載された開業区間の駅写真、上より、出雲横田駅、亀嵩駅、八川駅です。
すでに八川駅はご紹介していますが
亀嵩駅も玄関の位置が左右逆なだけで、八川駅とほぼ同じスタイルです。
これに対して出雲横田駅は社殿風で一段と立派な駅舎です。

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注連縄が印象的な玄関、神話のふるさと奥出雲らしいたたずまいです。

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「島根の近代化遺産」によれば、
建設にあたり、「神話の里、奥出雲にふさわしい駅舎を建設してほしい」という
地元の要望をくんで設計され、宮大工を呼び寄せて建てられたとのことです。

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外壁木部は校倉造り風のしつらえになっています。

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ホーム側からの眺め。
駅舎隣のトイレも、駅舎のデザインに合わせてあります。

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列車の本数の少ない木次線ですが、
駅舎の撮影中にトロッコ列車「奥出雲おろち号」が入線してきました。

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出雲横田駅周辺には、神話にまつわるスポットも数多く点在しています。
ぜひとも途中下車して駅を愛でつつ神話の里めぐりをしたいものです。

【撮影】
平成29年4月

【参考文献】
「島根の近代化遺産」  平成14年 島根県教育委員会

  1. 2017/04/16(日) 23:16:53|
  2. 島根県の近代建築・出雲地方
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石見横田駅(益田市神田町)

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山口線の石見横田駅は、ごらんのとおりの素敵な木造駅舎が残っています。

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島根県教育委員会の「島根の近代化遺産」リストによれば、
大正12年の築とのことです。
山口線が津和野駅から石見益田駅まで延伸されたのが
大正12年の4月ですから、開業当初の駅が残されていることになります。

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駅正面から。

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程よく修復されており、美しい姿を保っています。

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ホーム側からの姿。

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構内踏切より益田駅方面を臨みます。

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駅前広場のタクシー会社事務所。現役です。

【撮影】
平成26年4月

【参考文献】
「島根の近代化遺産」  平成14年 島根県教育委員会

  1. 2017/04/09(日) 20:35:44|
  2. 島根県の近代建築・益田市
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海潮の歯科医院(雲南市大東町)

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旧大東町の海潮でこんな素敵なお医者さんを見つけました。
古風な門柱に洋館、典型的な戦前のお医者様です。

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完全な洋館ではなく、何となく和風のテイストも漂います。

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アーチな玄関庇が楽しい感じです。

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近くにはこのような建物も。駐在所でしょうか?

【撮影】
平成29年4月

  1. 2017/04/09(日) 13:55:32|
  2. 島根県の近代建築・出雲地方
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旧島根師範学校正門門柱(松江市西川津町)

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久しぶりに島根大学構内を散策していたら、妙なものを発見しました。
教育学部の玄関の向かいにある茂みの中です。

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これは何でしょうか?
門の一部のようにも見えます。

大学構内ということもあって、
大学の前身にあたる学校に関連するものではないか・・・。
と、帰京してから島根大学のサイトなどから古写真を確認してみました。

島根大学のサイトより、こちらの写真をご覧ください
かつて外中原町に所在した旧島根師範学校の正門門柱に酷似しています。

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古写真では、門柱からアーチ状に支柱が伸び、
門の真上にランプが取付けられているのが確認できますが、
現物でも頂部にその跡を確認することが出来ます。
おそらく、この石造物は旧島根師範学校正門の門柱の一部でありましょう。

旧島根師範学校の外中原校舎は明治37年に新築されていますので、
その当時に設置されたものと考えられます。
現在、旧師範学校の敷地は松江市立一中の敷地となっています。
教育学部が西川津に移転する際か、師範学校の遺構が取り壊される際にか、
記念として門柱の一部を移動させたのではないでしょうか。


現在の一中の敷地に何か名残は残っていないか・・・。
と、グーグル様で確認をしたら、このような通用門をみつけました。

図1
古写真の門柱と同様のデザイン・素材なので、師範学校時代の遺構と思われます。
敷地を取り囲む石垣も、師範学校時代の物のように見受けられます。

※いつも拝見している、島根大学ミュージアム様にもこの件をご連絡したところ、
  さっそく調べていただき、「島根大学ミュージアムのブログ」でも門柱を紹介していただいています。
 師範学校の経緯なども詳しく記載されていますのでぜひご覧ください。

【撮影】
平成29年4月

【参考文献】
「松江今昔 市制施行110周年記念写真集」 平成11年 松江市

【参考HP】
島根大学HP




  1. 2017/04/09(日) 12:57:21|
  2. 島根県の近代建築・松江市
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旧浦郷警察署その2(西ノ島町浦郷)

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以前ご紹介した、旧浦郷警察署の建物ですが、
松陽新報に昭和8年の新築落成の記事がありましたのでご紹介します。

松陽8年10月15日2
昭和8年10月15日付松陽新報より

こちらが新築当時の浦郷警察署の写真です。
現在の姿と比べますと、
・屋根上にドーマー窓がある
・建物手前の増築部がなく、円を描く庇がある
・門柱が確認できる
などの違いがある事が分かります。
つまり、現在までにだいぶ改変されている。ということです。
建物の印象が違いますね。


画像だけでなく、新聞記事もあったのですが、
近隣の村から建築の寄付を募ったとか、署長さんの挨拶とか、
そのような記事ばかりで、
直接建物の詳細について触れている箇所がありませんでしたので割愛しました。

学校や役場の新築記事ですと、坪数や部屋数、設計者などかなり細かく
建物に関してのプロフィールを記載しているのですが、
警察署の場合はやはり、防犯上の配慮などがあったからなのでしょうか。
浦郷警察署に限らず、警察署新築の記事は時々見つかるのですが、
あまり建物のプロフィールに詳しく触れているものはありません。
施工・設計者の情報は皆無です。


  1. 2017/03/25(土) 22:58:05|
  2. 島根県の近代建築・隠岐地方
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ゲストハウス山辺荘(江津市江津本町)

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江津本町の山辺神社の参道、
門をくぐってすぐ右手に、小さな洋風建築があります。

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ここです。
場所的に、山辺神社の宮司さんのお宅だった建物なのかもしれません。

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撮影時(平成26年)時点では空き家のような雰囲気でしたが、
平成28年に「ゲストハウス山辺荘」として整備されたそうです。
公式HPによれば一組限定三名様から宿泊体験ができるとのことです。
室内の画像も紹介されておりまして、
この細長窓が3つ並ぶ部分は、洋間と思いきや畳敷きの和室でした。

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こちらの部分はフローリングと廊下、その奥が、風呂、台所です。

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公式HPによれば、大正15年築とのことで、
旧江津町役場と同い年です。
デザインも似ていますから、設計・施工が同じなのかもしれません。

【撮影】
平成24年9月・平成26年4月

  1. 2017/03/04(土) 15:35:11|
  2. 島根県の近代建築・江津市
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山常楼(安来市安来町)

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胃腸炎がつらい・・・。
安来駅すぐ近く、国道9号線沿いに存在感を発揮する山常楼の建物です。

山常楼さんは江戸末期から続く歴史のある料亭です。
現在の建物は昭和9年に改築されたものとのことです。

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玄関部分。和風建築の様々なエッセンスがまじりあい、素敵な雰囲気です。

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大名屋敷の玄関のような雰囲気です。

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宝形屋根がよいアクセントになっています。

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平成26年12月に登録有形文化財になりました。
画像右に見える土蔵も文化財指定、大正年間の築とのことです。

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設計者などについてですが
山常楼HPでは
、「現在の建物は、昭和 9 年に改築され当時 26 歳だった池田大工により随所に意匠を凝らし、
贅を尽くした書院造りとして生まれ変わりました。」
とあります。

島根県立短期大学部が発行している「のんびり雲 第7号」では、
松江の山陰道産業や横田の相愛教会の設計者である成田光二郎の設計として、
この山常楼をあげています。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:山常楼
竣工:昭和9年(土蔵は大正年間)
構造:木造
設計者:成田光二郎?
施工者:池田某(大工)?

【撮影】
平成26年9月

【参考文献】
「島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書」 平成14年 島根県教育委員会
「のんびり雲 第7号」 平成25年 島根県立大学短期大学部

【参考HP】
山常楼HP
島根県報道発表資料
  1. 2017/02/18(土) 11:49:11|
  2. 島根県の近代建築・安来市
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旧郷田郵便取扱所(江津市江津町)

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江津の「江津本町」は、かつては舟運で栄た町であり、
現在も当時の名残をとどめる豪壮な商家など石州瓦の古い町並みが残っています。

近代以降も、江津の中心としての地位を守り、
今回紹介する旧郷田郵便取扱所(旧江津郵便局)や
江津町役場などの近代建築も建てられ、現在に伝わっています。

冒頭の旧郵便局と町並み、駒繋石のある水路の組み合わせ画像は、
津和野の「鯉の泳ぐ水路+武家屋敷長屋」に匹敵する、
島根県に代表的な定番かつ「絵になる」風景であると思われます。

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旧郷田郵便取扱所の建物です。
明治20年頃の築とされています。

当時の郵便局長が神戸まで出かけ、洋館を見学した上で
地元の材木商豊田藤太郎氏に建築を依頼し、
依頼された豊田氏も神戸に洋館を見学してこの建物を建てたそうです。

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正面にテラスが張り出し、窓には鎧戸がついています。
角には石が積まれているように表現されていますが、
このコーナーストーンは漆喰に炭を混ぜて石のように見せているのだそうです。
神戸で見てきたものを、見よう見まねで再現した、まさに擬洋風建築の典型でありましょう。

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郵便局としての使用期間は明治28年頃までと短かったようで、
その後は民家として使用され、近年は空き家となっていました。

平成20年に復元工事がなされ、ペンキ塗りの創建当初の外観に復元、
翌平成21年には国の登録有形文化財に指定されています。

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こちらは改修前、平成15年の姿です。
長年の風雪に耐えた姿も味わい深いものがありました。

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改修前の姿をみると、だいぶ傷んでいることも分かり、
建物保存の上では早期の改修が良かったのだと思います。
きれいすぎて町並みから浮いているきらいがありますが、
時間が経てば色合いも落ち着き、なじんでくるのでしょうか。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:郷田郵便取扱所(江津郵便局)
竣工:明治20年頃
構造:木造
設計者:豊田藤太郎
施工者:豊田藤太郎

【撮影】 
平成15年9月(改修前)
平成26年4月(改修後)

【参考文献・HP】
中国地方の西洋館 平成3年 白石直典
島根県の近代化遺産 平成14年 島根県教育委員会
石見潟第25号 平成21年 江津市文化財研究会





  1. 2017/02/12(日) 10:47:05|
  2. 島根県の近代建築・江津市
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安来節紀念碑(安来市安来町)

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安来市の安来公園に立つ「安来節紀念碑」は、
安来節の隆興を記念した記念碑で、昭和7年5月に竣工、
同月15日に除幕式を行っています。
近代建築の一つとしてよいのではないかと思われます

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正面には「安来節紀念碑」の文字が金属板で設置されています。

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鉾のようにも見える塔頂部の装飾。

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側面の碑の由来文、賛同者の氏名などのプレートが残されています。
あまり解像度の高い画像がなく、詳細が確認できません。
(失敗!取り直しに行かなくては。)

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(昭和7年5月14日付松陽新報)

当時の新聞記事です。

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新聞記事と現在の紀念碑との比較です。
塔頂部の装飾、「安来節紀念碑」の銘板など、
オリジナルと同じままの姿に見えます。

金属製と思われますが戦時中に供出しなかったのでしょうか、
あるいは戦後の復元なのでしょうか。

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(昭和6年8月6日付松陽新報)

竣工の1年前の松陽新報に、このような記事を見つけました。

「盆過から愈よ起工」
「社日遊園安来節の歌碑」
安来節保存会では予て社日遊園地に記念碑の建築を行うべく
曩に桜花の咲き競った四月、これが地鎮祭を挙行したがその後同会では
町出身の東京在住僊石政太郎氏委嘱してこれが装飾一切を設計せしめ
遅くも盆の直後から建設工事に着手する事となっているので、
遅くも今秋頃までには工事の完成を見ることとなろう


「僊石政太郎氏に委嘱してこれが装飾一切を設計せしめ」
という一文に注目です。
僊石政太郎は、戦前に劇場・映画館建築の設計を中心に活躍した建築家で、
日本橋浜町の「明治座(S3年)」などの設計で知られています。
詳細は下記にしますが、僊石政太郎は安来の出身で、
安来にて大工の棟梁となった後、東京に出て、
苦学ののち建築家として大成した人です。

「装飾一切を設計せしめ」とあり、紀年碑全体の設計ではなく、
装飾だけの設計のようにも読めますが、いずれにしても、
紀念碑の設計に僊石政太郎が関わっていたことは確かのようです。

僊石政太郎は多くの劇場建築を設計していましたが、
現存例は(ブログ主は)確認できておらず、
出身地である安来に設計に関わった紀念碑が現存しているのは、
大変貴重な存在と言えるのではないでしょうか。


【僊石政太郎について】
僊石政太郎の生涯については、安来市誌下巻にその詳細が記されています。
簡単に抜粋してみました。

明治12年 安来西灘に生まれる
大工棟梁河井栄八(河井寛次郎の父)に師事し18歳で棟梁になる
明治36年 25歳で単身東京に出る
新橋木工場で働きながら工手学校に通う
工手学校卒業後警視庁に奉職
大正9年 警視庁を退職、僊石建築事務所を開設
昭和19年11月 空襲にて事務所破壊
昭和19年12月 安来へ疎開
昭和20年8月  67歳で死去

「映画館建築のエキスパート」(帝都復興せり!)として活躍した建築家ですが、
警視庁では劇場の建築、設備に関する方面の監督にあたっていたそうですから、
ここから、劇場・映画館建築の設計を手掛けるようになったものと思われます。

仕事をしながら、工手学校の外、国民英語学校中等科、中央工学校高等科を卒業し、
日本建築学会の正会員資格試験に合格して建築士の称号と技師の資格を得ています。

大工の棟梁で満足せず苦学して建築家となり、
帝大出の建築家たちと肩を並べるまでになったその人生、
信念の人、気骨の人だったのでありましょう。


僊石政太郎の設計した作品を、さまざまの文献などから集めてみました。
ほとんど東京の、主だったものだけですが、
各地の松竹系の劇場を手掛けたそうですので、
まだまだ人知れず現存する建物もあるやもしれません。

大正13年 立正大学校舎
大正15年 立正大学図書館
昭和2年 富士館(浅草)
昭和3年 明治座(日本橋浜町)
昭和4年 新宿第一劇場(新宿)・帝国館(浅草)
昭和5年 東京劇場(設計顧問)
昭和6年 帝都座(新宿)・日本倶楽部(大阪)
昭和7年 安来節紀念碑(安来)



【撮影】
平成15年12月

【参考文献】
近代建築ガイドブック(関東編) 昭和57年 東京建築探偵団 
帝都復興せり!「建築の東京」を歩く 昭和63年 松葉一清
島根歴史人物事典 平成9年 山陰中央新報社
安来市誌下巻 平成11年 安来市総務部市誌編纂室
立正大古書資料館通信Vol.2 平成27年 立正大学情報メディアセンター

【参考サイト】
建築学会図書館「建築学会パンフレット」
ぼくの近代建築コレクション
Clocks&Clouds
近代建築散歩~絵葉書に見る或る日の都市景~



  1. 2017/02/05(日) 23:34:40|
  2. 島根県の近代建築・安来市
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