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元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

「島根県の近代和風建築」を読んで

島根県教育委員会が実施した、島根県内の近代和風建築の調査について、
調査結果が「島根県の近代和風建築」という本にまとめられたので
国会図書館まで行って読んできました。

報告書の中では、何軒かの近代建築の調査結果が掲載されており、
建築年や施工者など、新たに判明した事実もありましたので、下記に簡単にまとめておきます。

旧坪内医院
tubouti.jpg
平成14年の「島根県の近代化遺産」では、築年を大正末としていましたが、
「島根県の近代和風建築」では、棟札より、昭和7年の築であることが分かりました。
施工は来海久義という人です。地元の大工さんでしょうか。

旧美又信用購買販売組合
美又
石見エリアでもかなりの大物物件である美又信用購買販売組合の建物。
あまり情報が無かったのですが、「島根県の近代和風建築」で調査が入りました。

竣工:昭和12年2月11日
施工:柳原寅市

施工した柳原寅市は地元の大工の棟梁だった方のようで、
当時の新聞などから、今福小学校(S3)、今福村役場(S8)などの建設にも携わっていたことがわかっています。

市山興業銀行
市山
これまで拙ブログでも明治44年築としていた市山興業銀行の建物ですが、
桜江町誌に「大正8年に行舎を新築移転」と記載があるとのことでした。
よって、建築年は大正8年、施工したのは和田重三という方だそうです。



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  1. 2019/02/17(日) 16:23:35|
  2. 島根県の近代化遺産(その他)
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横田相愛教会(仁多郡奥出雲町横田)

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奥出雲といえば神話の故郷として知られた地域ですが、横田町には教会建築が残されています。

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横田相愛教会は大正12年、地元の名士であり敬虔なキリスト教徒であった
岡崎喜一郎氏が私財を投じて建設されたものです。
当時の教会名は「救世軍横田小隊会館」でした。

設計は松江の「山陰道産業」の設計で知られる成田光二郎、施工は内田武之助です。
昭和14年以降、昭和52年まで横田郵便局として使用された後、
横田相愛教会として本来の用途に戻り現在に至ります。

3_20190106221942013.jpg
平成8年には国の登録有形文化財に指定されています。

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救世軍横田小隊時代の絵葉書です。
鎧戸が痛んでいたり、屋根の塗装も一部剥げている様子ですから、完成直後の撮影ではなさそうです。

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アーチの玄関。

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側面。

7 140619横田大火罹災図(松陽新報)t
(昭和14年6月19日付松陽新報記事に加筆)
昭和14年6月17日、横田の中心部は大火によって焼失しましたが、
火は教会の手前でとまり、この教会は焼失を逃れています。
上掲は当時の松陽新報に掲載されていた罹災図です。
新聞記事赤矢印の部分が教会で、ギリギリのところで焼失を免れたことが分かります。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:救世軍横田小隊
竣工:大正12年
構造:木造
設計者:成田光二郎
施工者:内田武之助

【撮影】 
平成25年9月

【参考文献・HP】
島根県の近代化遺産 平成14年 島根県教育委員会
「横田歴史文化写真帖」  平成16年 横田町文化協会
山陰新聞記事
松陽新報記事


  1. 2019/01/06(日) 22:48:57|
  2. 島根県の近代建築・出雲地方
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稲田神社社務所(仁多郡奥出雲町稲原)

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先にご紹介した稲田神社の参道に架かる神徳橋に関連して、
同時期に建設された稲田神社社務所をご紹介します。

2 071118稲田神社遷宮祭
(昭和7年11月18日付 山陰新聞)
現在の稲田神社は出身の篤志家、小林徳一郎氏の寄進により、
おおよそ昭和7~8年、昭和13年~14年の二期にわたりおおよその建物、諸施設が整えられました。
社務所は昭和7年、第一期工事の間に、本殿、幣殿などと一緒に建設されたものです。

昭和7年11月18日付 山陰新聞記事より
「工事の概要 設計監督平野宇一郎氏」
(前略)
幣殿は基礎を花崗岩にして付属の向拝と通殿ともに総て屋根を銅板張として
之には特に新様式を加味した正殿造りを用い、檜柱に松材をあしらった苦心は
社務所建築に杉材、松材を使用した耐久性顧慮と同一目的で、
殊に社務所の屋根は八束郡意東村産の銀波尾を主として
下部を銅板葺にするを敢えてなし建築の永久性を念願している
社務所には二十二畳敷の客間と次の間を順に本式にしつらえ、
その外に三百坪の住宅を付属建築にしました
(後略)


昭和7年11月18日付松陽新報より
「稲田神社-造営の概要 設計監督平野宇一郎氏談」
本工事は本年4月8日起工式を行い引き続き社務所新築に着手す
桁行7間梁間7間の本屋に1間半の玄関付
基礎はすべてコンクリート工事を以てし、
木造平屋建切妻造り瓦葺き及銅板葺きにして総工費は1万円を要した
(後略)


これ等の記事から建物の概要をまとめますと、
・起工は昭和7年4月8日
・サイズは7間×7間
・基礎はコンクリート
・杉と松を使用
・屋根は瓦葺きならびに銅板葺き
という事が分かります。

山陰新聞にある意東村産の「銀波尾」というのがよくわからないのですが、
松陽新報で瓦葺きとありますから、瓦の一種の名前なのでありましょう。

3 071118稲田神社遷宮祭
昭和7年11月18日付 山陰新聞記事より
新聞記事にも建築当初の社務所の写真がありました。
記事にもあります通り、建築当初は瓦葺きであり、重厚な雰囲気があります。

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現在は瓦葺きではなく、鉄板葺き?に改装されています。

5 071118稲田神社遷宮祭名刺広告
昭和7年11月18日付 山陰新聞記事より
上掲の新聞記事にもあります通り、社務所をはじめとした諸施設の設計、工事監督には、
松江建築事務所の平野宇一郎氏がその任に当たっていました。

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長らくこの社務所はあまり活用されていなかったようですが、近年になって改装され、
「姫のそば ゆかり庵」という地元のそば粉を使った出雲そばのお店として活用されるようになりました。

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社務所内部の雰囲気のある客間でお蕎麦がいただけます。
新聞記事にあった「二十二畳の客間」なのでしょう。

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釜揚げ蕎麦。美味しい!

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割子蕎麦。やっぱり美味しい!

横田へお越しの際は稲田神社参拝がてら、「姫のそばゆかり庵」さんでぜひ、美味しいお蕎麦を食べてください。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:稲田神社社務所
竣工:昭和7年
構造:木造
設計者:平野宇一郎(松江建築事務所)

【撮影】 
平成29年4月

【参考文献・HP】
「聞書 小林徳一郎翁伝」 昭和37年 小林徳一郎翁顕彰会
山陰新聞記事
松陽新報記事



  1. 2019/01/03(木) 22:49:57|
  2. 島根県の近代建築・出雲地方
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神徳橋(仁多郡奥出雲町稲原)

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新年最初の記事は、新春に相応しく神話のふるさと出雲横田の神徳橋から始めたいと思います。

神徳橋は出雲横田の稲田神社参道に架かる橋です。
稲田神社境内の「ゆかり庵」に蕎麦を食べに行く際に見つけました。
橋名板は失われていて現地では名前が分からず、
地図にも橋名の記載がなかったので困ってしまったのですが、
奥出雲町の教育委員会に問い合わせたところ、「神徳橋」と名前を教えていただきました。

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参道の橋に相応しく、親柱のデザインは灯篭風です。

3_20190103153214cab.jpg
戦前の橋では戦中の金属供出で金目のものはたいてい剥ぎ取られはぎとられているものですが、
この橋では装飾の金具が残されています。

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橋名板、ベースの金具は残っていますが、文字の部品が欠落していて文字は読めなくなっています。

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なにが書かれていたんでしょうか?

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四基の親柱のうち、一基は笠が外れてしまっています。

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コンクリートベースの人造石洗出しの欄干。この橋では装飾金具がはまっています。

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橋の全体。なかなか素敵なプロポーションです。

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川岸に降りて撮影。桁橋なのでしょうかラーメン橋なのでしょうか。

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橋の中央には橋と一体となった橋脚がありますが、細い。
これはなんという様式の橋なのでしょうか?

【神徳橋の歴史】
神徳橋の架橋は稲田神社の造営の一環で行われたものです。
稲田神社は島根出身の篤志家である小林徳一郎翁の寄付により、
昭和6年から14年にかけて順次整備されたものであります。

「聞書小林徳一郎翁伝」によれば、稲田神社の工事は下記の通り行われたという事です。

第1期工事(昭和6年~8年)
  境内の拡張整地
  参道の新設
  本殿・幣殿・社務所・神橋の建設

第2期工事(昭和13年~14年)
  拝殿・通殿・神饌殿・手水舎・玉垣・石垣・石段・大鳥居などの建設

昭和7年11月の松陽新報、山陰新聞では稲田神社遷座式の記事が掲載されており、
これらの記事に掲載された工事の概況はおおよそ次の通りでした。

大正15年3月     小林徳一郎氏横田を訪問
大正15年4月1日   参道工事起工式
大正15年7月      参道の工事大体終わる
昭和2年3月      村民有志が参道に桜を植える
昭和2年5月      社務所地鎮祭
昭和7年2月      小林徳一郎氏来村、本殿・幣殿・通殿・社務所・神徳橋の造営方針決定
昭和7年7月8日    起工式、社務所着工
昭和7年8月8日    神殿、各社殿着工
昭和7年11月18日  上棟式
昭和7年11月19日  遷座式
昭和8年まで      拝殿、神饌殿等付属施設建設

神徳橋の明確な竣工時期はわかりませんが、新聞記事によれば、遷座式に合わせて、
「神徳橋の渡り初め式」が行われているので、昭和7年架橋という事は間違えなさそうです。

12 071118神徳橋
(昭和7年11月18日付山陰新聞より)

昭和7年11月18日、稲田神社の遷宮祭が執り行われることになりました。
その際の山陰新聞記事には、工事を担当した平野宇一郎氏のコメントが掲載されていました。
神徳橋について言及している部分のみ抜粋します。

「工事の概要 工事監督 平野宇一郎氏談」
(前略)
参道の途中に川が横ぎりますのでここに神徳橋を架しましたが、
之も従来の神橋様式に新味を加えまして鉄筋コンクリート人造石洗出しの欄干に
僅か四間に四間の橋ではありますけれど
実に一千二百円の費用をかけ全く結構の極みであります
本殿、拝殿及び社務所だけの建築費でも実に一万一千円を費やし、
地均しから参道開通に神徳橋の架橋までの全部の費用を加えますと
実に五万数千円の巨費に達しますが、
設計並びに工事監督の衝に当たりました者として特に申し上げたいは、
この工事は最初から予算なるものを組まずに要るに任せて
小林氏がどしどし支出されましたことで
(後略)


コメントしている平野宇一郎氏は、松江に事務所を構えていた、
「松江建築事務所」は松江に事務所を構えていた設計所のようで、
島根県内の小学校、産組事務所、郵便局などの設計、監督に携わっています。
このブログで紹介している中では、加茂町の旧加茂郵便局がこの松江建築事務所による設計です。

ブログ主の調査不足なのでしょうが、今のところ、平野宇一郎氏はじめ事務所の詳細は不明です。
学校建築が多いので、県の技師のOBなどが主体になって設立した団体だったのかもしれません。
ブログ主が戦前の山陰新聞や松陽新報を確認してきた中では、
建物関連の記事で松江建築事務所の名が確認できるのは、この稲田神社がもっとも古い記録です。

14_20190103153302f59.jpg
以上、神徳橋のご紹介でした。
調査により橋の名前のほか、架橋年代や設計者までも判明したのはありがたい事でした。
橋名については奥出雲町教育委員会様より情報をいただきました。ありがとうございました。

【橋の諸元】
橋名:神徳橋
竣工:昭和7年12月
形式:RC桁橋?
所在地:奥出雲町稲原
川:?
道路:稲田神社参道

設計:平野宇一郎(松江建築事務所)
工費:1万200円

【撮影】 
平成29年4月

【参考文献】
「聞書 小林徳一郎翁伝」 昭和37年 小林徳一郎翁顕彰会
「横田歴史文化写真帖」  平成16年 横田町文化協会
山陰新聞記事
松陽新報記事




  1. 2019/01/03(木) 19:26:37|
  2. 島根県の近代橋梁
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あけましておめでとうございます

CIMG0879.jpg
本年も宜しくお願い致します。

昨年は1月に転職をしたこともあって、なかなか余裕のない一年でした。
そんな状況であまり更新が出来ませんでしたが、
国会図書館通いなど資料集めは継続していましたので、
今年はしっかりアウトプットできるようにしていきたいと思います。
  1. 2019/01/03(木) 14:19:40|
  2. その他
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木次機関庫(雲南市木次町)

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木次町の観音山から眺めた木次線の木次駅と車庫です。

2 121214木次機関庫
(松陽新報 昭和12年12月14日付)

「駅頭を飾る木次機関庫 けふ竣工祝賀式」
木次線の全通により新設された木次機関庫は
総工費二十二万を以て昭和十二年二月起工、
この程竣工しこれに伴い保線区車掌所等も新設せられ
(後略)


昭和12年12月に八川~備後落合間が開業し、木次線は全通、
それに伴い、木次駅に機関庫等が設けられ、
木次は木次線管理の中枢を担う駅になりました。
新聞に掲載された写真も上掲の画像とほぼ同じ位置・アングルです。
新聞写真に確認できるカーブするホームや機関庫などは今も変わりません。

3 121214木次機関庫t
木次機関庫を拡大してみます。

4_201812232130109f8.jpg
改修されていますが現在もほとんど変わらぬ姿を保っています。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:木次機関庫
竣工:昭和12年

【撮影】 
平成27年9月

【参考資料】
松陽新報

  1. 2018/12/23(日) 21:45:33|
  2. 島根県の近代建築・出雲地方
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国道54号線沿線に残る戦前の橋【その16・八雲橋】

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国道54号線シリーズその16は八雲橋です。

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(陸地測量部「木次」昭和7年より)
場所はこちら。
前回ご紹介した成木橋で三刀屋川を渡ったのち、道は川の蛇行に沿って三刀屋へ続きます。
八雲橋はその途中、三刀屋川に合流する飯石川に架かる橋です。

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(国土地理院WEBより)
現在の国道は三刀屋トンネルで三刀屋へ一直線です。

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八雲橋の全景。橋は単純なRC桁橋ですが、
欄干のデザインが特徴的です。

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コンクリート製のアーチ型をした欄干が4連続。

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国道54号沿線の戦前架橋の橋の中でも、
もっともデザインが凝っている橋だと思います。

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アーチとアーチのつなぎ目。

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1基のみ残っている親柱には達筆で「八雲橋」とあります。
架橋年はわかりません。

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橋面は美しい人造石研ぎ出し仕上げ。
細やかな造作を感じます。

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以上、八雲橋でした。
ご覧の通りの小さな橋なのですが、
デザインや仕上げの凝りようは沿線随一と思われます。

【橋の諸元】
橋名:八雲橋
竣工:?
型式:RC桁橋
所在地:雲南市三刀屋町粟谷
川:飯石川
道路:市道?

【撮影】
平成26年4月




  1. 2018/11/19(月) 22:19:05|
  2. 国道54号線の古い橋
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浜田の絵葉書より(その5)

①img261
前回(その4)の補足です。
その後、ブログをご覧いただいている元地元民様から
貴重な情報をいただきました。

②
この赤枠の中の大屋根は、「末広座」という劇場のものでは、という情報です。
末広座はその後火災で焼失し、跡に日勝館と名を変えて再建されたとのことで、
この点について当時の新聞記事などを確認してみました。

【末広座の位置】
3_201811182217523e7.jpg
大日本職業明細図より

大日本職業明細図の浜田町の地図に末広座を確認しました。
地図を仔細に確認しますと末広座の南東には今宮神社という表記があります。
この神社は絵葉書のタイトルにある「昭三公園」内に建立された神社です。
末広座の北西には佐野屋呉服店の表記もありますから、
この地図上に記された末広座の位置は、
絵葉書に写された大屋根の位置と合致する事になります。

4_20181118221755119.jpg
絵葉書と大日本職業明細図とを並べてみてみましょう。

【昭三公園とは】
昭三公園という少し変わった名前の公園の正体については、
昭和3年10月の松陽新報にその答えがありました。

③031016昭三公園
(昭和3年10月16日付松陽新報より)

「今宮遷宮 昭三公園の賑い」
既報那賀郡浜田町の中央南寄りの丘を開拓した昭三公園が愈々出来上がった
園内より浜田全町を俯瞰され其眺望も美しく杖を曳くには絶好の場所である
猶十四日は園内に新築した今宮神社の遷宮祭が行われた(以下略)


昭和3年に作られたから「昭三公園」ということなんでしょうね。

【末広座の火事】
④120619浜田末広座の火事
(昭和12年6月19日付 松陽新報より)

「浜田の朝火事 末広座から全焼」
浜田町字一丁目の活動常設館末広座より18日午前6時10分頃出火、
火はたちまち全館に燃え広がり建物及び内部にあった物すべてを烏有に帰し
同7時40分ごろ幸い附近へ類焼することなく鎮火した
(中略)
因み元この場所には劇場明治座があって明治33年2月火災で全焼し
その後大正4年浜田演芸株式会社がこの末広座を建築し、
目下吉田工業部が賃貸契約のもとに引き受け活動写真感を経営していたもので
(後略)


以上の新聞記事より、元地元民様の情報通り、
末広座は昭和12年6月18日の朝に火災にあい、
全焼したことが分かりました。

⑤
新聞記事によれば、この末広座は「吉田興行部」という会社が運営していたとのことですが、
絵葉書を拡大してみますと、「吉田」と書かれたノボリも確認できますので、
やっぱりこの建物は末広座ですね。

⑥
こちらのノボリには「吉田興行」と書かれているようにも見えます。

【再建・日勝館】
⑦121211日勝館
(昭和12年12月11日付 松陽新報より)

「浜田日勝館竣工 元旦から花々しく開館」
浜田末広座は今夏炎上したので浜田演芸株式会社を解散し
直ちに浜田日勝株式会社を組織し資本金二万円で今秋来元の敷地三百坪に
最新式木骨コンクリート二階建て百二十坪の映画常設館を新築中であるが
近く竣工「日勝館」と改名して新春元旦を卜し花々しく開館の準備を急ぎ
(以下略)


ということで、末広座焼失後、焼け跡に名前を「日勝館」と改め、
木骨コンクリートの近代的な映画館を新築することとなったことが分かります。
記事によれば日勝館のオープンは昭和13年元旦とのことです。
昭和12年7月には支那事変が勃発しており、「日勝館」という名前は、
そのあたりの時代の雰囲気から名づけられたものでありましょう。
この映画館は戦後まで同名で存続しています。

【まとめ】
以上のことから、元地元民様からの情報の通り、末広座は火災で焼失し、
その後日勝館と名前を改めて再建されたことが明らかになりました。
新聞記事より、末広座の歴史は下記の通りとなります。

明治33年2月    明治座全焼
大正4年        末広座新築
昭和12年6月18日  末広座全焼
昭和13年1月    日勝館として再建

また、この絵葉書の撮影時期ですが、前述の通り、
絵葉書に写る建物の中で最も新しいのが浜田信用組合の昭和9年、
そして末広座が焼けたのが昭和12年6月ですから、
昭和9年から昭和12年6月の間に撮影されたという事が言えると思います。

元地元民様から情報を頂いた事で、
この絵葉書の撮影年代がより明確になりました。
情報をいただきありがとうございました。

【参考HP・資料】
大日本職業別明細図 昭和12年 東京交通社
松陽新報記事

  1. 2018/11/18(日) 22:29:22|
  2. 島根県の近代化遺産(その他)
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旧二宮村信用購買組合事務所(江津市二宮町)

①
江津市二宮町に残る、旧二宮村信用組合事務所の建物です。

②H1708
当ブログの記念すべき第一回目に登場した建物でもあります。
当時(撮影は平成17年)はJAの支所が移転したばかりで空き家の状態でした。

③
現在は空き家ではなく、何らかの事務所として使用されているようでした。

④
玄関部分。

⑤
側面は板張りでした。

⑥
反対側は旧二宮村役場に通じる路地がありましてこちらはモルタル・装飾ありです。

⑦
建物の裏側。引き戸のあたりは宿直室跡でしょうか。

031029二宮信組
(松陽新報 昭和3年10月29日付)
松陽新報にこのような記事がありました。
昭和3年に御大典の記念事業として事務所新築を決議、
同年11月6日に建設の入札をするとの記事です。
3年11月に入札という事は、竣工は昭和4年頃になるのでしょうか。

⑧
以上、旧二宮村信用購買組合事務所のご紹介でした。
小さい記事でしたが運よく見つけることが出来、
建物の竣工年もおおよその見当がつけられたのは何よりでした。


【撮影】
平成27年1月(古い画像1枚だけ平成17年8月撮影)

【参考文献】
二宮の歴史と昔話 平成24年 山藤朝之
  1. 2018/11/03(土) 20:57:34|
  2. 島根県の近代建築・江津市
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松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その8)

①冒頭絵葉書
先代松江大橋の絵葉書では南詰下流側に建っていた街灯を写したものが多くみられます。
今回はこの街灯について考察してみようと思います。

〈街灯の設置者と設置年〉
上記絵葉書は、ブログ主の所有する先代松江大橋を写した絵葉書の中で、
特に街灯がクリアに写っているものです。

②
この街灯をよく見ますと、街灯の下部と上部それぞれに、
銘板が取り付けられているのが確認できます。これを拡大してみました。

③御大典拡大
街灯上部の銘板には「御大典記念」の文字が確認できます。

④出雲電気拡大
街灯の下部には「出雲電氣株式會社」とあります。

二つの銘板を合わせれば、
出雲電気株式会社が御大典の記念にこの街灯を設置したという事が推察されます。
「御大典」とは、辞書やWikipediaで調べてみますと、
天皇陛下のご即位の際に執り行われる諸儀式のうち、
特に即位の礼と大嘗祭に関連する一連の儀式を総称して、
「御大典」と呼ぶという事のようです。

先代松江大橋の架橋は明治44年ですから、
さすがに明治天皇ご即位記念の街灯ということはないでしょう。
可能性としては大正天皇の御大典か昭和天皇の御大典かという事になります。

大正の御大典 大正4年11月
昭和の御大典 昭和3年11月

この街灯はどちらの御大典の記念として設置されたものなのでしょうか。

⑤大正の絵葉書
こちらの絵葉書は北詰に松江キネマ倶楽部(T10年頃築)がなく、
かつ、水道管橋(T7年架橋)が存在しているので、
大正7年~10年の間に撮影されたものという事になります。
この絵葉書には橋の袂にあるはずの街灯が存在していません。

街灯を寄贈したと思われる「出雲電気株式会社」ですが、
この会社は明治44年に設立された会社で、設立当初より今市町(現出雲市)を中心とした
簸川郡エリアでの電力供給事業を行っていました。
松江市域における電力供給は、明治27年に設立された松江電燈株式会社が担っていました。
大正6年になって両社は合併し、社名を出雲電気株式会社として本社を松江市に置いています。
このことから、大正の御大典の時期松江市内の電気事業は「松江電燈」が担っていたこととなります。

以上のことから、「出雲電気」が「御大典記念」に設置した松江大橋袂の街灯は、
昭和の御大典の記念に建てられたものと推察されます。

当時の新聞にこの出来事が記されていれば、
設置された年月日がより明確になるのですが、まだ探し切れていません。
よって、現時点では、「昭和3年11月前後に設置」されたものとします。

〈街灯は何本あったのか〉
⑥
昭和の御大典記念として建てられたこの街灯、
先代の松江大橋を写した絵葉書は上掲のアングルのものが殆どで、
この一本のみ建てられたのか、橋の四隅にそれぞれ建てられていたのか、
絵葉書から他の位置に設置された街灯は確認できません。
果たしてこの街灯は何本建てられていたのでしょうか。

ということで、戦前の新聞を読み返して、
他の位置にも街灯があったのかどうか確認をしてみました。

⑦050712松江大橋南詰
(昭和5年7月12日付松陽新報より)
橋の向こうに松江キネマ倶楽部の建物が望めることから、
南詰の宍道湖側にも街灯が設置されていたことが確認できました。

⑧100516姿を消す水管橋
(昭和10年5月16日付松陽新報より)
松江大橋改架工事に先立ち、大橋川を渡る水道管は新大橋に移設され、
大橋に並行していた水管橋は昭和10年より解体が始まりました。
新聞記事は解体が始まった水管橋を写したものですが、
その傍らに件の街灯が写っていました。
位置的には北詰の宍道湖側のものです。

⑨100731大橋取り壊し進む
(昭和10年7月31日付松陽新報より)
解体されつつある松江大橋を撮影したものです。
右手に宍道湖が広がっているのが確認できることから、
北詰の下流側を写したものという事が分かります。

以上の事より、街灯はおなじみの南詰下流側だけでなく、
松江大橋の袂4箇所に設置されていたという事が明らかになりました。

⑩改装前拡大図
通常アングルの絵葉書でも、向こう岸(橋北)を拡大してみると、
街灯を確認することができました。
因みにこの絵葉書の方が、「御大典記念」の銘板がクッキリしています。

⑪北詰拡大
こちらの絵葉書は原田時計店が改築されているので昭和8年以降の撮影。
やはり橋北を拡大すると街灯が確認できます。

つまり、南詰下流側の街灯を写さない構図での絵葉書でも、
北詰の街灯の有無を確認すれば、年代が明確になるという事です。


〈まとめ〉
①先代松江大橋の袂には、出雲電気が寄贈した「御大典記念」の洋風街灯が設置されていた。
②設置されたのは橋の袂、4箇所である。
③街灯は御大典の開催された昭和3年11月前後に設置されたものと思われる。
④この街灯が写っている絵葉書は、昭和3年以降に撮影されたものである。

【参考文献】
中国地方電気事業史 昭和49年 中国電力
島根県を中心とした産業発展の歴史 明治・大正編Ⅲ
    平成25年 エネルギア地域経済レポート 中国電力㈱エネルギア総合研究所



  1. 2018/10/23(火) 22:38:24|
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