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元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

美保関小学校跡地その1(松江市美保関町)

①
美保関の町は、美保関湾と海に迫る山との境界に少しだけ開けている土地に沿って、
うねうねと細長い集落が形成されています。
美保神社から青石畳を抜け、歴史を感じさせる町並みを進んでまいりますと、
やがて空き地のような開けた場所へ抜けることができます。

ここは、明治8年から昭和41年まで、美保関小学校があった場所です。
画像右手の空き地は元の校庭だったところです。

② 030113美保関小学校(松陽)
(昭和3年1月13日付松陽新報)
美保関小学校はこの地で何度か増改築を行っていますが、
その中でも上記の新聞記事にある昭和に増築された校舎は
その後、昭和41年の移転まで使用されています。

新聞記事には、校舎の設計は広瀬町の河合藤助、
増築工事の請負は米子市の河津庄太郎で、
昭和2年12月10日に竣工したとありました。

河合藤助は広瀬町の腕の立つ大工さんだったようです。
同じ美保関で登録文化財になっている美保館旧本館(S7)も河合藤助によるものです。
その他、河合藤助が手掛けたものとして、
広瀬小学校(T15)、松江の大橋館(S7)、下山佐小学校(S9)、布部村役場・産組(S10)、
広瀬警察署(S10)、布部小学校(S12)、山佐村役場・産組(S13)などが確認できます。

③ 030113美保関小学校tt
新聞に掲載された昭和3年校舎の拡大です。
高低差があって石垣赤築かれており、その上に校舎が建てられています。
矢印の部分、通気口にご注目ください。

④
上記新聞記事の画像、校舎跡と同じ場所の現在の姿です。
いかがなものでしょうか、当時の石垣・土台・通気口が残っています。

⑤
石垣と通気口のある土台部分は、校舎がなくなった後も残っており、
一部は校舎跡に建てられた民家の土台になっていました。

⑥
中央の階段が、元の玄関の階段でありましょう。

⑦
030113美保関小学校tt
階段部分も当時のままの様に思われます。

⑦」
階段。階段を上がった先は現在、奥に続く民家への路地になっています。

以上、美保関小学校跡地のご紹介でした。
学校がなくなった後も、石垣や校舎の土台がそのまま残っているのは
なかなか珍しいケースなのではないかと思います。

⑧
今回ご紹介した美保関小学校のこの校舎は、美保関を写した絵葉書にもよく登場しています。
次回以降、絵葉書に写る美保関小学校の変化を踏まえて、
絵葉書の年代特定と小学校の校舎の変遷について整理します。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:美保関小学校
竣工:昭和2年12月
構造:木造
設計者:河合藤助
施工者:河津庄太郎

【撮影】 
平成29年12月

【参考文献】
昭和3年1月13日付松陽新報
美保関町誌上巻 昭和61年 美保関町誌編さん委員会



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  1. 2019/08/13(火) 11:13:46|
  2. 島根県の近代建築・松江市
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旧景山家住宅(奥出雲町三沢)

4
以前ご紹介した奥出雲町三沢の旧家について、「島根県の近代和風建築」に詳細がありましたのでご紹介します。

5
この建物は旧景山家住宅といい、この土地の名家のお屋敷でした。
かつては造り酒屋も営んでいたようです。

建物の建築は昭和2年、設計は佐藤作造、棟梁は長谷川松太郎という方で、
この棟梁は出雲エリアの豪農のお抱え棟梁だった方だそうです。

この建物は訪問した平成29年の段階では空き家の状態でしたが、
翌平成30年になって奥出雲町の手により、起業・創業の活動を支援する拠点として
改修され、現在、「みらいと奥出雲」と名付けられて活用されています。

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ちなみに景山家の近くにある赤枠で囲った建物も現存しているのです。

8
「島根県の近代和風建築」によりますと、大正9年に建てられたとのことです。

【建物のプロフィール】
建物名:景山家住宅(みらいと奥出雲)
竣工:昭和2年
構造:木造
設計者:佐藤作造
施工者:長谷川松太郎

【撮影】
平成29年4月

【参考資料】
島根県の近代和風建築 平成30年 島根県教育委員会



  1. 2019/08/10(土) 10:35:22|
  2. 島根県の近代建築・出雲地方
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幸町の洋館(松江市幸町)

1_201907242109027c0.jpg
市内幸町で洋風の建物を見つけました。

2_20190724210904368.jpg
玄関部分むくりのついた庇屋根と玄関上のアーチ状の窓が特徴です。
旧須佐郵便局の玄関にも少し似ていますでしょうか。

3_2019072421090594a.jpg
洋館らしい縦長の窓。今はサッシ窓になっていますが、元々は上げ下げ窓だったのでしょうか。

5_20190724210908f5c.jpg
この洋館は手前の平屋和風建築とつながっています。
元々は何に使われていたのでしょうか?
この手の町中の洋風建築となると医院か郵便局かのほぼ二択ですが、
通りに面しておらず、住居部分の和館が棟続きとなると、
元々は医院だったのではないかと想像します。

4_201907242109062cc.jpg
「島根県の近代化遺産」への掲載は無く、ネット上でも全く情報がない建物です。
ブログ主も何年も松江に住んでいたわけですが、この建物の存在には気が付きませんでした。
松江にはまだまだ知られざる近代建築が眠っているのかもしれません。

【建物のプロフィール】
建物名:?
竣工:?
構造:?
設計者:?
施工者:?

【撮影】
令和元年5月
  1. 2019/07/24(水) 21:53:35|
  2. 島根県の近代建築・松江市
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浅野小児科医院(松江市末次町)

1 h294
松江市末次町のランドマーク、浅野小児科医院の建物です。

大正元年築のこの建物、「中国地方の西洋館」では、

‟竣工の際、大工が挙げていた祝宴中に、
「天皇陛下が崩御されたのにここは何事か」と
警官に怒られ祝宴を取りやめた。”

という竣工の際のエピソードを紹介しています。
明治に起工して大正の始まりに竣工した、時代を跨いで建てられた洋館です。

平成元年に外観保存の上改修され、平成17年には国の登録有形文化財にしていされました。

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現在は濃淡ピンクに塗装された建物ですが、以前は全体に白っぽい塗装でした。
単純に色を塗りかえただけと思っていたのですが、こちらの松崎建設さんのブログより、
かなり大規模な改修がなされたことが分かりました。

ブログより、改修の概略は以下の通りです。
平成27年8月改修に着手
工期4か月
腐食した壁・バルコニー高欄の修復・復元
外観を平成元年改修時に近い色に塗り直し

4
バルコニー高欄まで復元されていたとは。
持ち主の方、修復にたずさわった方々には頭が下がるばかりです

6_201907222157323c9.jpg
建物と道路の間に小さな坪庭のような空間があって、背の低い柵で囲われています。
こういった造作を何というのか知りませんが、昔の医院っぽい感じです。
建物基部に使われているのは「中国地方の西洋館」によれば、
大根島の玄武岩だそうです。確かに多孔質で黒っぽい石は玄武岩の特徴です。

7_201907222157335f9.jpg
隣地との仕切塀はうろこ状の装飾がなされています。
細部まで凝った素晴らしい洋風建築です。

5
以上、浅野小児科医院のご紹介でした。
いつ松江を訪ねてもきれいなたたずまいを保つ洋館ですが、
この端正さを保つために、大変な労力が注がれていることを忘れてはなりませんね。


【建物のプロフィール】
建物名:浅野小児科医院
竣工:大正元年
構造:木造
設計者:?
施工者:岡田工務店

【撮影】
平成27年1月(改修前)
平成29年4月(改修後)

【参考資料】
中国地方の西洋館 平成3年  白石直典
(株)松崎建設ブログ

  1. 2019/07/22(月) 22:28:49|
  2. 島根県の近代建築・松江市
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神徳橋(仁多郡奥出雲町稲原)その2

1_20190720221445ba8.jpg
奥出雲の横田町、稲田神社参道に架かる神徳橋の続編です。

2
戦前の神徳橋を写している貴重な絵葉書を入手しました。

7
絵葉書には「奉納」の文字が記された幟が立ち並んでおります。
橋の袂には案内所なのでしょうか、テントが張られており、
参道には大勢の参拝者があるいています。
幟には「昭和7年11月吉日」と記されてあるのが確認できますので、
この絵葉書は稲田神社の遷座式が行われた昭和7年11月19日頃に
撮影されたものではないでしょうか。

3
4_20190720221450a0c.jpg
絵葉書にある橋の様子を観察してみますと、親柱に大きな変化がある事が分かります。
現在ある灯篭風の装飾は、架橋当時は無かったのですね。
それ以外、欄干の造作や親柱の下回り部分は現在も当時のままのようです。

5
親柱の過去・現在の比較。
かつては灯篭風の飾りは無く、親柱の頂部にドーム状の照明が設置されていたようです。
燈篭部分は比較してみると、材質も若干異なり、確かに付け足したような感じがします。

8_20190720221455b05.jpg
神徳橋の架橋中の姿を写した絵葉書も入手しています。
工事中の橋の手前に、橋桁の形をした鉄筋が並べ置かれているのが確認できます。
橋の左手には「神徳橋」の立て札があり、その奥には仮橋のような板橋も見えます。
戦前の橋造りの様子が分かる、貴重な資料ではないでしょうか。

9 071118神徳橋
(昭和7年11月18日付山陰新聞より)

こちらの画像は昭和7年11月の山陰新聞に掲載された神徳橋の写真です。
工事中であること、写っている作業員の姿が上掲の絵葉書と全く同じで、
同じネガから採ってきていることがわかります。
神徳橋に限らず、現在に残る絵葉書と、当時の新聞記事に掲載された写真とが
全く同じというのはよくあります。当時は写真も貴重でしたでしょうから、
写真館(絵葉書業者)と新聞社とが融通しあっていたのでしょうか・・・。



  1. 2019/07/20(土) 22:37:06|
  2. 島根県の近代橋梁
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有福温泉御前湯(江津市有福温泉町)その3

1_20190720103228ce6.jpg
有福温泉の景観を考える上でなくてはならない「御前湯」の建物は、
あまりにも有名な、島根県を代表する近代建築ですが、
なぜか近代建築の観点から記載された資料が少ないのが実情です。

江津市誌にも有福温泉については数行の記述があるのみ、
島根県の近代建築をとりまとめた「島根県の近代化遺産」にいたっては、
リストからも漏れてしまっています。
もとの有福村が浜田市と江津市に分割して合併されてしまったので、
色々と差しさわりがあるのでしょうか?

近年の資料で有福温泉や御前湯の歴史について丁寧に記載されているのは、
江津市文化財研究会が刊行している「石見潟」の25号だけではないかと思われます。

有福温泉の近代建築、「御前湯」については以前にも取り上げて
建築年の整理や建設当初の姿の紹介などをしてきました。

今回はその後の調査で分かってきたことなどをご紹介します。



【外壁改装の時期】
2_20190720103230ebe.jpg
現在、御前湯の外装は白色系のタイル貼りとなっています。
このタイルのせいか、ガイドブックなどでは「大正ロマンを感じるレンガ造り」と紹介されることが多いのです。

3
ところがこのタイル貼りはオリジナルな姿ではありません。
戦前の絵葉書を見るとタイルが貼られていなかったことが確認できます。

それ以降の時代の御前湯の写真がないか、国会図書館で色々資料を探してみました。

4 71-07日本温泉協会「温泉」t
(「温泉」昭和46年7月号より)

こちらの写真は、「日本温泉協会」が刊行している「温泉」という雑誌の
昭和46年の号に掲載されていたものです。
画像が若干粗くて不明瞭ではありますが、現在のようなタイル貼りではなく、
おおよそ創建当時の姿を保っているように見えます。

5 76‐12 旅
(「旅」昭和51年12月号より)

こちらはJTBが出していた雑誌「旅」の昭和51年に掲載されていた御前湯の写真です。
ご覧の通り、昭和51年の時点で現在の姿になっていたことが分かりました。
キャプションにご注目なのですが、
「・・・御前湯の入り口は、数年前に改築されて超モダンな造りとなった・・・」
とあります。
このことから、昭和40年代の末には改装工事が入って現代の姿になったということが推察されます。

【御前湯の設計者は?】
6_201907201032364ec.jpg
御前湯の設計者、施工者については明確な資料がなく、不明な状態ですが、
戦前の新聞より、気になる記事を見つけましたのでご紹介します。

7 S3年9月6日天神町復興(鴻池組)t
(松陽新報 昭和3年9月6日付記事より)
こちらの新聞記事は、昭和3年9月6日付の松陽新報より転載しています。
昭和2年の暮れに発生した天神大火からの復興ということで、
天神町や関係する企業・商店の紹介をしているいわゆる広告記事なのだと思いますが、
こちらに、鴻池組松江出張所が取り上げられていました。

鴻池組松江出張所は、大正9年の出雲今市の出雲製織工場建設に際して設置されたもので、
以降、戦前の島根県内の建築・土木工事に大きな影響を与えています。

この新聞記事の後段に、鴻池組が県内に建築中の建物のとして、
いくつかの建物の名前を挙げています。

目下建築中のものは
松江市母衣町島根県医師会及び松江医師会館
法吉村小学校
有福温泉株式会社大浴場


いかがなものでしょうか、この「有福温泉株式会社大浴場」というのが、
まさに御前湯のことを指しているのではないでしょうか。
ただ、この記事が書かれた昭和3年という年には、
有福温泉で洋風の「早月(さつき)湯」も新築されていますから、
確実に御前湯の事を指しているとは限らないかもしれません。

昭和3年(時期不明) 早月湯新築
昭和3年9月       松陽新報記事
昭和4年4月       御前湯新築

時系列にするとどちらにもとれる微妙な時期です。
ただ、
・戦前の島根県内の鉄筋コンクリート建築に関しては、鴻池組が関わっているケースが多い
・「大浴場」という表現から、有福温泉を代表する浴場を表していることがうかがえる
などと、御前湯の事を指しているんじゃないのかなぁと感じるわけです。


【まとめ】
・御前湯は昭和40年代末頃に改装され現在の姿になった
・御前湯の施工には鴻池組松江出張所が関わっていた可能性がある


【参考文献】
「松陽新報」 昭和3年9月6日付記事
「温泉 71年7月号」 昭和46年 日本温泉協会
「旅 76年12月号」 昭和51年 日本交通公社
「石見潟」 平成21年 江津市文化財研究会


  1. 2019/07/01(月) 00:15:31|
  2. 島根県の近代建築・江津市
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旧酒井医院(浜田市旭町市木)

1
市木という地名は、旧旭町と旧瑞穂町にまたがって存在していますが、
もともとは市木村という一つの村だったところを
昭和33年に旧旭村(旭町)と旧瑞穂町とに分離編入されたものだそうです。

以前紹介した旧石見市木自動車駅は旧瑞穂町(現邑南町)であり、
今回ご紹介する旧酒井医院は旧旭町(現浜田市)の市木に所在します。

2
昭和11年の築とされる旧酒井医院の建物です。
県道に面しておらず、県道から脇に入った田んぼ沿いの細い道に面して建っています。
車で通るとなかなか見つけにくいロケーションです。

3
建物の外装は改装されて新建材のボードで覆われているようですが、
一部崩れかけた箇所をみてみると、オリジナルは下見板張りだった様子です。


4
玄関庇はオリジナルを保っているのでしょうか。赤十字マークが医院建築を主張しているようです。

5
閉院してどのくらい経つのでしょうか、だいぶ傷んできています。
かつてはこの地域の医療を一手に引き受けていた頼もしい存在だったのではないかと思います。
今は田植えを終えた田んぼの前で静かにたたずんでいるばかりです。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:酒井医院
竣工:昭和11年
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【撮影】
令和元年5月

【参考資料】
島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書 平成14年 島根県教育委員会
  1. 2019/06/10(月) 21:44:05|
  2. 島根県の近代建築・浜田市
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旧米江旅館(松江市伊勢宮町)

1
松江市伊勢宮町は、松江市では橋北の東本町と並ぶ歓楽街であります。
盛り場の中で一軒だけ純和風の建物が残っています。
これが旧松江新地遊郭時代から残るほぼ唯一の建築、旧米江旅館です。

2
旧米江旅館は昭和2年築、新地遊郭の入り口である「黒門」に通じる
本通りに面した建物で、遊郭時代は大変ににぎわったのでありましょう。
戦後転業して「米江旅館」に。現在は「松江巴庵」という和食のお店になっています。

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遊郭の建物とはいいながら、松江らしく落ち着いた佇まいです。
室内は十分に吟味された資材を使って凝った造りになっておるそうです。

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玄関先の造作もなかなか素敵であります。

5_20190526170338263.jpg
旧米江旅館の裏側。

米江旅館は平成14年に登録有形文化財になっています。
その際に表示は表が「米江旅館本館北棟」、裏側の棟は「南棟」とされています。

【松江新地遊郭】
6 松江情緒
昭和13年5月に刊行された「松江情緒」という小冊子に新地遊郭の事が記されていました。
裏表紙には事変の激化で幻となった「神国博覧会」の記念スタンプが押印されています。

この小冊子には松江市内の観光スポットのほか、
料亭、食事処、旅館の紹介などが細かく記されており、
当時の松江の風俗を知る上で大変貴重な資料です。
後半には多くのページを割いて新地の芸妓を写真付きで紹介してありました。
今も地方のホテルなどに置いてある、「夜のスポット案内」のような立ち位置でしょうか。

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「松江情緒」には松江新地遊郭の略図も掲載されており、妓楼の名前と位置とが記されています。
この中には当然に「米江」の名前も確認できます。

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現在の松江新地正門付近の様子。
写真正面に「黒門」と呼ばれた新地の門があったそうですが、現在は何の痕跡も残っていません。
遊郭の事を象徴して「黒門」と称する慣例もあったようです(東大のことを『赤門』と呼ぶようなものですね)。

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遊郭正面の黒門より「黒門本通り」をまっすぐ進むと正面突き当りが現在の「松江新天地」です。
遊郭時代は「和多見病院」が建っていた場所です。

11 040725新地黒門t
(昭和4年7月25日付 山陰新聞より)
昭和4年7月、それまでは木造で黒塗りだった「黒門」がコンクリート造りとなり、
あわせて黒門本通りがアスファルト舗装となった際の新聞記事です。
写真には、頂部に灯具をのせたコンクリート造りの黒門が確認できます。
戦前の遊郭内の風景写真も大変貴重です。
当時の新地遊郭には、旧米江旅館のような建物がずらっと建ち並んでいたことが分かります。

12_20190526170348220.jpg
以上、旧米江旅館のご紹介でした。


【建物のプロフィール】
建物名:旧米江旅館(巴庵)
竣工:昭和2年
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【撮影】
令和元年5月

【参考HP】
松江巴庵



  1. 2019/05/26(日) 18:10:50|
  2. 島根県の近代建築・松江市
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旧石見市木自動車駅(邑南町市木)

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邑南町市木の中心集落から少し離れた県道沿いに佇む、省営自動車の駅の遺構です。

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省営自動車とは戦後の国鉄バス、現在のJRバスの大元と言える存在です。
鉄道未開業のエリアを補完するための存在であり、システム自体は鉄道と変わらず、
沿線には駅があり切符の販売や貨物の取り扱いをしていました。
この建物は省営自動車広浜線の石見市木自動車駅の駅舎として建てられたものとのことです。

090831広浜線開通t
(昭和9年8月31日付山陰新聞より)
浜田と広島とを自動車で結ぶ省営自動車広浜線は、昭和9年9月1日に開業しました。
この建物も昭和9年9月の開業に合わせて建設されたものだそうです。

090831広浜線開通tt
上掲新聞記事からの抜粋です。
このようにバスだけでなく、トラックも常備して貨物輸送をしていました。

CIMG9612.jpg
左の庇がある開口部分に切符売り場や待合室があったのでしょうか。

CIMG9611.jpg
この建物の存在と詳細は中国のバス車庫やバスの研究をされている、「バス車庫めぐり」さまに教えていただきました。
教えていただかなければ省営自動車の遺構とはわからずスルーしていました。本当にありがとうございました。

この時代、島根県では
出雲今市(出雲市)と備後十日市(三次)とを結ぶ雲芸線、石見大田と赤名を結ぶ大田線、
日原と岩国を結ぶ岩日線など、相次いで陰陽を結ぶ省営自動車路線が開設されています。
これによる、特に山間部の経済、産業の発展には計り知れないものがあったと思われます。

以上のような次第で、島根県の近代化を考える上で貴重な遺産であり、
省営自動車時代の遺構と言う点でも、現存するものは殆どないわけで、
この旧石見市木駅は極めて貴重な近代化遺産と言えると思います。


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:省営自動車広浜線石見市木自動車駅
竣工:昭和9年頃
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【撮影】
令和元年5月

【参考HP】
「バス車庫めぐり」




  1. 2019/05/20(月) 21:42:21|
  2. 島根県の近代建築・石見地方
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木次村方公会堂(雲南市木次町)

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木次町村方、ホシザキ電機の工場の向かいに建っている木次村方公会堂です。
公会堂と言っても、音響設備の整った大規模なものではなく、
いわゆる集落の集会所といった佇まいの建物です。
「島根県の近代化遺産」には未記載、ブログ主も何度もこの建物の前を通っていたはずですが、
存在に気が付いていませんでした。

100528木次村方公会堂t
(松陽新報 昭和10年5月28日付)

この建物の存在は松陽新報で知りました。
新聞記事では昭和10年5月26日に落成式を挙げた事が報じられています。
建物の写真も掲載されていたことからグーグルで確認したところ、
現存していることが判明しましたので現地を訪問してきました。

2_20190519141551d6e.jpg
道路から少し階段を上がった小高い丘に建っています。
建物の前の門柱も落成時の写真と同じもののようです。

5_20190519141555d1c.jpg
門柱の根元には「昭和拾年五月吉日」と刻まれていました。

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玄関部分。

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質実剛健な役場風の建物ですが、玄関庇の持ち送りが唯一のオシャレポイントでしょうか。

100528木次村方公会堂tt

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建具がアルミサッシに変わった以外は原型を保っているようです。
地域の集会所(公会堂)はたくさんありますが、
戦前に建てられたものが原形を保ったまま活用されているという点では
大変貴重な例だと思います。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:木次村方公会堂
竣工:昭和10年5月
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【撮影】
令和元年5月
  1. 2019/05/19(日) 14:37:30|
  2. 島根県の近代建築・出雲地方
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