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元島根県民のお部屋(島根県の近代建築)

島根県の近代建築・近代化遺産のブログ

旧海潮青年研修館(雲南市大東町北村)

DSC01953.jpg
海潮小学校のそばに、木造の建物を見つけました。

DSC01949.jpg
海潮小学校の敷地の道を挟んですぐ隣という立地なので、
学校の付属施設なのかな?という感じはしましたが現地ではよくわからず。

画像1
(大東町誌より)
後日、大東町誌を調べてみると、このような写真と記載がありました。

「大東町誌 」(1974)より引用
なお海潮青年団は昭和11年に小学校校舎に接して青年研修館を建設したが、
戦後昭和27年には現在地へこれを移転増築し、現在研修・会合の場として活用している。


DSC01952.jpg
というわけで、大東町誌に掲載されている建物写真の窓割りなどを見るに、
この建物は「海潮青年研修館」として建てられた建物である可能性が高いと思われます。
現在は玄関の庇部分が失われていますが、玄関上部に撤去された痕跡が確認できます。

大東町誌にある「移転増築」というのが、どのようなものだったのか不明ですが、
昭和11年に建てられたものを移転して、移転先で増築したという風に読めますので、
現存の建物の一部は、昭和11年に新築された当時の部分も残っている可能性があります。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:海潮青年研修館
竣工:昭和11年(昭和27年移転・増築)
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【参考文献】
大東町誌 1974 大東町

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  1. 2024/02/10(土) 23:37:09|
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旧美又信用購買販売組合その3(浜田市金城町追原)

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浜田市金城町追原の美又信組事務所については、日本ジャーナリスト教育センターさんが
建物利活用を目指してクラウドファンディングを実施中ですが(2023.10.10現在)
その活動報告から、大きなニュースが飛び込んできました。

島根建築士協会の協力の元、屋根裏から取り出した板図に、
昭和10年12月25日に竣工したことが記されていたというのです。
当ブログでは2014年に、資料の調査により金城町誌に
「昭和12年2月に追原に二階建て事務所を新築した」という記述を確認し、
これをこの建物の竣工年ではないかとしてきました。
その後、島根県教育委員会でまとめられた「島根県の近代和風建築」(2018)でも、
同じく金城町誌より、美又信組事務所の竣工を昭和12年2月としており、
これが現在まで美又信組事務所の竣工年とされてきていました。
今回の板図の発見により、竣工年が1年以上も早まったことになります。

では、金城町誌にあった「昭和12年2月に新築した。」
という記載はいったいどうしたことだったのでしょうか。

①昭和12年2月は実際の竣工ではなく記念式典を行った年月日だった?
 戦前の公共施設の竣工記念式典の新聞記事を読むと、建物が実際に完成した時期と、
記念式典を行った時期とが数か月、半年から1年ずれているケースが少なくありません。
吉日を選んだり、気候の良い時期を選んだり、様々な理由があったのでしょう。

②昭和12年2月は手続き上の竣工年だった?
121102日銀松江支店y
(大阪朝日新聞島根版 S12.11.2)

一例として、旧日本銀行松江支店の事例をご紹介します。
 旧日本銀行松江支店の竣工は、様々な公の資料でも昭和13年とされていますが、
当時の新聞記事を見ると、前年の昭和12年11月に建物は完成しており、
11月のうちに竣工修祓式を開催、12月上旬に執務開始とあります。
記念式典も昭和12年中に開催されているのに、公の記録では昭和13年竣工としている理由は
どこになるかということになるわけです。

130326出来上がった日銀松江支店y
(大阪朝日新聞島根版 S13.3.26)

昭和13年3月の新聞記事では、
「さきほど松江市京橋橋畔に壮麗な姿をもってデビューした日本銀行松江支店の
新築工事はいよいよ三月末をもって不動産取得税の申告期限となるが-(以下略)」

とあります。この記事からすると、公に伝えられている昭和13年3月というのは、
記事中にある「不動産取得税の期限」を以て竣工としているのではないかと思われますが、
いかがなものでしょうか。

美又信組事務所の築年についても、実際に(物理的に)竣工した昭和10年12月25日に対して、
金城町誌では、何らかの手続きが完了した年月日をもって、昭和12年2月に新築した。
という記載にしたという考え方もできるというわけです。

  1. 2023/10/09(月) 14:40:23|
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旧美又信用購買販売組合事務所のクラウドファンディング

1_2023092422552659f.jpg
浜田市金城町追原の旧美又信用購買販売組合事務所の建物について、
本ブログでは何度かご紹介しています。
近年は空き家の状態が続いており、今後どうなるのかと心配していました。
今年(2023)の9月に入って、クラウドファンディングにより、この建物を再生・活用するという、
とてもうれしい動きがありましたので、ご紹介します。

クラウドファンディングにより、この建物を改修・活用しようという取り組みを行っているのは、
一般社団法人・日本ジャーナリスト教育センターという団体です。

このメンバーの一人である、島根県にお住まいになりながら、
地域のニュースを記録・発信されている、ローカルジャーナリストの田中輝美さんが、
小さい頃に縁のあった建物だったそうで、思い出のあるこの建物を残したいとの思いから、
建物の購入、クラウドファンディングによる改修・活用を決断されたとのことです。

DSC00144.jpg
建物の改修を通じて、人やモノ、地域をつなぐ「共存共栄」の拠点をめざすとのことです。
これはまさに、この建物の正面に掲げられた、かつての信用組合の理念である、
「共存同栄」の考えとも通じるものがあり、元信用組合の建物の活用方法として、
最もマッチしたものではないでしょうか。

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近年、島根県内では近代建築の解体が相次いでいます。
少子高齢化・過疎化の流れは厳しく、個人や地域はもちろんのこと、
自治体ですら近代の建物を維持するのが相当厳しくなっているのが
実情ではないかと思います。
そのような中で、戦前に建てられた旧産業組合の建物を改修・活用しようという動きは、
光明とも言え、なんとかクラウドファンディングを成功させて、この建物を次の世代へ
引き継ぐことができれば、こんなに嬉しいことはありません。

ブログをご覧くださった皆様にも、
ぜひクラウドファンディングへのご協力を頂きたく、
下記、クラウドファンディングのページをご覧いただければ幸いです。


島根県美又地区|地域で愛される建物にみんなで新たな命を吹き込みたい

どうぞよろしくお願いいたします。



  1. 2023/09/24(日) 23:28:28|
  2. 島根県の近代化遺産(その他)
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木村義男アトリエ(松江市新庄町)

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(松陽新報 昭和5年11月11日付)

昭和5年の松陽新報に、本庄村(現松江市本庄町)に
木村義男のアトリエが新築されたという記事がありました。

「木村氏にアトリエを新築し贈呈式を挙行す」
昨九日八束郡本庄村木村画伯のアトリエ落成式挙行、
(中略)
午前十一時挙式来賓吉岡勘之助氏、大坪博士、西尾家政女学校校長、
森澤松操女学校長、櫻井天象氏等五十余名
先づアトリエ建築後援会幹事長森山與八郎氏左の如き式辞あり、
次いでアトリエ建築引寺本正氏の工事報告、
工事設計者飯塚工業学校教諭及び、工事請負者小林得助氏に記念品贈呈
(後略)


設計者が「飯塚工業学校教諭」と記されています。
以前ご紹介した有福温泉の御前湯の設計者であった飯塚源吉が、
この洋風建築の設計に携わっていたことが分かりました。


木村義男は島根出身の洋画家で、県立美術館の収蔵データベースでは次のように記されています。

以下「収蔵データベース」より引用
島根県松江市本庄町に生まれる。
1914(大正3)年松江で丸山晩霞の指導を受け、
平塚運一の勧めにより上京、川端画学校で藤島武二に師事する。
1916年18歳の時に《水郷暮色》が第3回日本美術院展初入選。
1918年の帰郷後も、帝展、文展に出品を続け、1936(昭和11)年帝展無鑑査推薦となる。
戦前の松江洋画研究所、戦後の島根洋画会の創立に加わり、
後進の指導にあたるなど、島根県の美術振興に尽くした。


地元で活躍していた木村義男のために、
松江の有力者たちがアトリエを提供したということになります。

本庄町にこのような洋風建築が現在も残っていれば、
かなり目立つのではないかと思い、Googlemapで色々探しましたところ、
見つかりました。

画像1
かなり荒廃した姿ではありますが、2012年に撮影したストリートビューにその姿が確認できました。

051111木村義男アトリエtう
同一ですね。

残念ながら、最新のストリートビューでは駐車場になってしまっており、
この建物は現存していないというのが事実です。
もう少し早く、この建物の存在に気が付けていれば・・・と悔やまれるのですが、
郷土の洋画家のアトリエが近年まで本庄に現存していたという記録のために、
ブログに記すことにいたしました。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:木村義男アトリエ
竣工:昭和5年
構造:木造?
設計者:飯塚源吉
施工者:小林得助

【参考文献・HP】
松陽新報 昭和5年11月11日付記事
島根県立美術館収蔵データベース

  1. 2023/09/02(土) 14:31:17|
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旧阿井村産業組合事務所・倉庫(奥出雲町上阿井)

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2012年に紹介した、仁多町上阿井のJAについて、新たな情報です。

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昭和17年に、阿井村産業組合事務所として建てられたもの。ということが分かりました。
戦時中に建設されたことになりますが、資材(木材)は当地の櫻井家から寄付があったとのことです。

これは、SNS上で、この地の御出身の方が、
現在も阿井地区にお住いの御親族から聞き取り、教えてくださったものです。

DSCF0492_20230722171658584.jpg
事務所の向かいには農業倉庫が建てられていますが、
これは事務所より1年早く昭和16年の築とのことです。
同じ昭和16年には出雲三成駅前にも阿井村の農業倉庫が建てられ、
こちらは後年、亀嵩の玉峯山荘へ移築され現存しています。

まとめ
阿井村産業組合事務所(現JA雲南阿井支所) 昭和17年築
阿井村産業組合倉庫(現JA雲南阿井支所倉庫) 昭和16年築
阿井村産業組合出雲三成駅前倉庫(現玉峯山荘) 昭和16年築

地元にゆかりのある方からの情報提供で、
3件もの近代化遺産の素性を知ることができました。
ありがとうございます。





  1. 2023/07/22(土) 17:32:11|
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旧恵曇製氷冷凍(松江市鹿島町恵曇)

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恵曇漁港の佐陀川の河口のところに、
戦前に建てられた「恵曇製氷冷凍」の建物が残されています。
来歴が分かり易く、RCの建物に「恵曇製氷冷凍」の文字が大書きされています。
このRCの倉庫風の建物は現在どのように使われているのか不明ですが、
「島根県の近代化遺産」のリストで「恵曇漁港倉庫(S9)」としている
建物のこれである可能性があります。

DSC02129.jpg
上掲の倉庫風の建物の裏側、
佐陀川の河口沿い側には木造平屋建てが連結していて、
こちらは三和鉄工所として使われています。
縦長窓から、かなり歴史のある建築であることが推察されます。

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恵曇冷凍製氷については、「鹿島町誌」に詳しい記載がありました。

昔から漁業の町として栄えていた恵曇では、
昭和の初年に恵曇港の大規模な改修工事が行われ、
昭和8年、近代的な漁港施設が竣工しています。

これに並行して、魚の保存に必要不可欠な製氷設備の設置が課題となり、
昭和7年に恵曇村村会にて、村営で製氷事業を行うことが決議されました。
この結果、建設されたのが、現在に残るこの建物群ということになります。

「鹿島町誌」より、恵曇製氷冷凍の沿革をまとめました。

【建物の沿革】
建物の沿革

増築を重ねているため、現在の建物のどの部分がいつ建てられたのか、
中々判断がむつかしいところです。

昭和10年の「冷凍資料 第8輯」(農林省水産局)に、
恵曇村製氷工場の記載があります。
この資料では、昭和8年12月30日竣工・木造瓦葺平屋とあり、
竣工年が鹿島町誌の昭和9年1月20日竣工という記載と若干ズレますが、
鹿島町誌にある操業当初の建物を示しているものと推察されます。

上掲の資料に建物の側面・平面図が添付されており、
現存する、三和鉄工の入居する木造平屋建てと似ていることから、
操業当初の建物は現存しているものと思われます。

漁港側のRCの建物は、前述のとおり、「島根県の近代化遺産」で、
昭和9年築の「恵曇漁港倉庫」とされているものと思われますが、
昭和9年は操業開始の年を示しており、
建物自体は鹿島町誌にある昭和10年築の「冷蔵庫」ではないかと思われます。

5_202307152226057ae.jpg
昭和8年築の製氷工場棟?

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昭和10年築の冷蔵庫?

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鹿島町誌に昭和戦後期の恵曇冷凍製氷の写真が掲載されています。
図の位置、現在は空き地になっている一角に木造2階建の事務所風の
建築物があり、これが鹿島町誌にある昭和16年築の事務所と思われます。

【会社沿革】
会社沿革

鹿島町誌より会社の沿革まとめました。
操業当初は村営で、組合営を経て昭和15年より
株式会社恵曇製氷所となっています。

鹿島町誌では「恵曇製氷所」から「恵曇製氷冷凍」と商号を変更し時期・理由が
記載されていませんでしたが、ほかの資料を見ると、
昭和24年では「恵曇製氷所」となっているのに対し、
昭和27年の資料では「恵曇製氷冷凍」となっていることから、
昭和24年~27年の間に社名が変わったものと推察されます。


【建物のプロフィール】
建物名:恵曇製氷冷凍(恵曇製氷所)
竣工:昭和8年~10年

【参考資料】
「冷凍資料 第8輯」 1935 農林省水産局
「全国工場通覧昭和24年度版」 1949 商工省
「島根県の経済事情昭和27年度」 1952 島根県企画室
「鹿島町誌」 1962 鹿島町
「島根県の近代化遺産」 2002 島根県教育委員会

【撮影】
令和5年5月

  1. 2023/07/15(土) 23:12:01|
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近年解体された建物

最近になって解体された、島根県内の近代建築についてまとめます。

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初代安来銀行(M34)。
最新の航空写真で確認すると更地になっています。
港町・商都安来の繁栄を記憶する貴重な建物でしたが、何ら活用されることなく消えてしまいました。

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旧米子銀行母里支店(T9)
母里の町で山陰合同銀行の代理店として近年まで現役でした。

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床几山配水池ポンプ室
現在、公園として整備されて公開されている床几山配水池にあった、
ポンプ室の建物ですが、園地の整備に伴い解体されました。

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出雲金蔵本店
「出雲ビル」の向かいにあった商店建築で、
出雲ビルを建てた家の本家筋にあたります。

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旧出雲製織事務所(S12)
まさに解体中の写真です。
出雲今市は繊維産業で栄え、近代化した町ですが、
その遺産はあまり顧みられることがなく、解体が続きます。

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山陰本線江南駅(T2)
開業以来の美しい木造駅舎が残っていましたが、解体されました。

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旧和栗銀行本店(T3)
西出雲駅前に、大正時代に建てられた銀行の建物が残っていたのですが、
解体されてしまいました。

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旧斐伊村役場(M42)
明治時代の貴重な村役場建築でしたが解体されました。
現在、跡地には建売住宅が建っています。

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旧加茂郵便局(S10)
昭和10年に建てられた旧加茂郵便局。加茂の歴史的な町並みの一角にあり、
景観的にも重要なポイントになっていましたが解体されました。

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旧久手信用購買販売利用組合会館(S9)
久手出身の建築家、岡田孝男の設計による産組事務所の建物。
スパニッシュな塔屋をもつ、唯一無二の存在でしたが、
平成30年の島根県西部地震により損傷を受け、
修繕にも多額の費用が掛かることから解体されました。

10_20230709154906e93.jpg
久手の煉瓦倉庫
久手駅近くにあった煉瓦の倉庫です。
島根県内では煉瓦造の建築は現存例が少なく、貴重な存在でした。

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旧大濱村役場(M30)
温泉津駅前の通りにあった、明治時代に建てられた旧大濱村役場です。
解体され跡地は民家が建っています。

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岡医院(T10)
大田市の大家にあった美しい医院建築でしたが、
無住となり、最近になって解体されました。

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旧石見簗瀬駅(S10)
開業当時の駅舎が残されていましたが、解体されました。

15_202307091549140e5.jpg
旧長谷郵便局(S9)
桜江町長谷にあった美しい郵便局の建物でした。

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宇野町の洋館
浜田市の宇野町にあった洋館。SNS上で元医院だったと教えていただきました。

14_202307091549142d9.jpg
旧上府村役場(S4)
上府の公民館として使われていた建物。
昭和4年に建てられた上府村役場の建物だったということまで調べました。
保育園建設のために解体されましたが、この建物を解体する必然性があったのか、よくわかりません。

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後野小学校講堂(S4)
夏帆さん主演の映画「天然コケッコー」のロケ地にもなった学校跡地です。

DSCF8438_20230709164420104.jpg
浜田市上水道相生水源地(S8)
浜田市の近代化に重要な役割を果たした水道施設です。
近代化遺産としての水道施設は、
各地で比較的記念施設として保存がなされるケースが多いように思われますが、
浜田市では特にその点は意識しなかったようで、解体されてしまいました。









  1. 2023/07/09(日) 16:49:35|
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荒島駅(安来市荒島町)

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山陰本線の荒島駅駅舎です。

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改修されているのでそこまで古い築には見えませんが、
駅舎に財産標が掲示されており、昭和10年築ということが分かりました。
戦前派の木造駅舎ということになります。

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屋根の形状ははかま腰屋根。この時代の公共建築にありがちな形式ですね。
妻面に円形の通風孔があり、このあたりが昭和のモダンな雰囲気を醸し出しています。

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ホームから駅舎を眺めます。

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駅舎からホームに差し掛けている屋根は木柱で、古レールで補強されています。

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かつての広瀬方面への玄関口であったことから、駅舎はなかなかの規模です。
現在は無人駅ですが、内部はコミュニティスペースとして活用されており、
当面の間はこの駅舎は安泰なのではないでしょうか。

【建物のプロフィール】
建物名:荒島駅
竣工:昭和10年
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【撮影】
令和5年5月
  1. 2023/07/09(日) 15:07:48|
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旧桜駅待合室(出雲市所原町)

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「しまねインフラツーリズムガイドinIZUMO」という冊子に、
一畑電鉄立久恵線桜駅の遺構が紹介されているのを見て訪問してきました。

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現在、一畑バスの「須谷医院前バス停」の待合所になっているのが、
近隣にあった「桜駅」から移設されたものとのことです。
確かにこうしてみてみると、駅のホームにある待合室っぽい感じがします。

一畑電鉄立久恵線は昭和7年に大社宮島鉄道として出雲今市~出雲須佐間で運転を開始し、
昭和13年に出雲鉄道へ改称、昭和29年に一畑電鉄立久恵線となっています。
昭和39年の集中豪雨により再起不能の被害を受け運転を休止し、昭和40年に廃止となりました。
半世紀前に廃止になった立久恵線の建物関係の遺構が残っているのは大変貴重です。

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待合室内部です。きれいに保たれていました。

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バス停名の看板が掲げられていました。

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この建物が桜駅開設当初(昭和8年)からのものなのか、
その後に建てられたものなのか、建築年まではわかりませんが、
立久恵線の建物の遺構としてはほとんど唯一の存在であり、
これまで大切に管理されてきた関係者の方々のご努力には頭が下がるばかりです。



【建物のプロフィール】
建物名:一畑電鉄立久恵線桜駅(現 一畑バス須谷医院前バス停)
竣工:? 桜駅より移設
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【参考資料】
「しまねインフラツーリズムガイドinIZUMO」 いずもインフラツーリズムガイド戦略会議

  1. 2023/05/28(日) 22:47:05|
  2. 島根県の近代建築・出雲市
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旧水上村役場(大田市大田町)

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大田市駅前、以前ご紹介した旧島根県産業組合聯合会大田支所の脇の坂道を登っていくと、
石州瓦の寄棟屋根で大柄なこの風変わりな建物に突き当たります。

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玄関には公民館の看板が掛かっており、公民館の建物ということは何となくわかりますが、
実はこの建物は、旧水上村(現大田市水上町)の村役場だった建物を移築したものなのです。

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なぜ水上村役場とわかったかというと、SNSで交流させていただいている地元の@葦野さんが撮影して、
見せてくださった当該建物の玄関屋根に、「水上」と記された鬼瓦が確認できたからです(上記はブログ主撮影)。

4  030929水上村役場yy
(昭和3年9月29日付 松陽新報)

大田市界隈で「水上」といえば、石州瓦の産地で有名な水上町(旧水上村)しかありません。
たしか、松陽新報に水上村役場落成の記事があったと探してみたのが、上記の画像です。

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玄関の位置は変わっていますが、建物の規模感や屋根の形状など、
松陽新報にある水上村役場の写真とかなり似ていることがわかります。

5 DSC00770ご大典
さらに、現地で撮影していて気が付いたのですが、鬼瓦にはこのように「大典」・「記」と記されており、
これは昭和3年のご大典(昭和天皇のご即位)を記念したものと推察され、
水上村役場竣工の昭和3年とも合致します。


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(昭和3年9月29日付 松陽新報)

元の水上村役場については、昭和3年9月29日付の松陽新報に竣工当時の記事があります。

・所在:邇摩郡水上村三久須(現水上まちづくりセンター)
・昭和2年12月、大田町幸田孝太郎氏請負の下に起工
・昭和3年8月30日竣工
・工費総額:五千百四十五円
・階下は村役場事務室、村農会室、村信用組合室
・階上は全部会議室
・設計は馬路村の田中末太郎氏

建物について設計者や請負者まで詳しく記されていました。
村役場の機能だけでなく、農会や信用組合も同居し、
2階は公会堂的な役割も果たしていたようで、
今でいうところの、合同庁舎+市民センターという位置付けでしょうか。

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状況証拠ばかりなので、太田市にも建物について問い合わせさせていただいたのですが、
残念ながら当該建物に関する記録はないとのことでした。
それではと、大田市立中央図書館にて、移築当時の資料がないか確認したところ、
昭和54年3月8日付の「広報おおだ」にこの建物の写真とともに下記のような記事を見つけました。

「大正西一児童会館」
(前略)
たまたま昭和52年、水上町の公民館を解体する話があり、
この材料の払い下げを受けて建設にかかる運びになりました。
木材もそのまま、屋根瓦もそのまま使えたので総工費は800万円でした
(後略)


明確な完成年度の記載がありませんが、
略した文中に「完成から1年あまり」と記載があるので、
おおよそ昭和53年くらいに移築完成したものと思われます。

この旧水上村役場のあるあたりは、「大田市駅周辺土地区画整理事業」の事業エリア内にあり、
旧島根県産業組合聯合会大田支所とともに早晩、解体されそうな勢いです。
石見銀山ももちろん重要なのですが、そのエントランスとなるエリアに残されている
このような近代建築にももう少し目を向けていただければなぁ。と思う次第です。

【建物のプロフィール】
建物名:水上村役場(現 大正西一自治会館)
竣工:昭和3年8月 昭和53年頃移築
構造:木造
設計者:田中末太郎(邇摩郡馬路村)
施工者:幸田孝太郎(邇摩郡大田町)

【参考資料】
昭和3年9月29日付 松陽新報
昭和54年3月8日付 大田市 広報おおだ

  1. 2023/05/21(日) 10:04:41|
  2. 島根県の近代建築・大田市
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