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元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

浜田の絵葉書より(その4)

その1その2その3と浜田市の絵葉書を考察してきましたが、
新たに浜田市を山の上から写した絵葉書を手に入れましたのでご紹介したいと思います。

①img261
エンタイヤの絵葉書で、なぜか写真の側に乃木大将の切手が貼られています。
切手の位置がちょうど宮脇洋品店のピンポイントで建物が確認できないのが残念です。

図2
前回まででご紹介した絵葉書より、撮影ポイントが東に移っています。

②図1(撮影地点推定)
キャプションには「浜田昭三公園より見たる亀山城址」とあります。
昭三公園は今宮神社境内周辺の緑地ですので、
撮影ポイントは大体この地図のようになると推察されます。

③img261
絵葉書には医師会館や改架された浜田大橋などが写っていますから、
撮影時期は前回の絵葉書とあまり変わらないようです。
一点前回の絵葉書と異なる点があるとすれば赤丸で囲った部分です。

④img261
この矢印の建物です。

⑤img852税務署のあたり
前回の絵葉書では姿がありません。

この建物の素性を調べて見たところ、
昭和9年に建設された旧浜田町信用組合の建物ということがわかりました。
ということで、この絵葉書は昭和9年以降に撮影されたものと言えます。



【参考HP・資料】
大日本職業別明細図 昭和12年 東京交通社
近代建築ガイドブック〈西日本編〉 昭和59年 松葉一清他



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  1. 2018/09/02(日) 12:50:26|
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浜田の絵葉書より(その3)

img8521.jpg
だいぶ間が開いてしまいましたが、前々回前回の続きです。

その3
今回は絵葉書の右下部分を見てみます。

⑩浪花食堂
⑩浪花食堂
浜田大橋のたもとに建つ塔をもった建物は、「浪花食堂」です。

⑩040503浜田浪花食堂
(昭和4年5月3日付松陽新報より)
当時は浜田で有数の高さを誇った建物だったようです。
「食堂」と名乗っていますが、上記新聞記事ではカフェーとして紹介されていました。
各階で食堂、カフェーと使い分けていたのかもしれません。

⑪石州銀行と浜田大橋
⑪浜田大橋と石州銀行
浪花食堂の向かいは石州銀行です。

⑪石州銀行大日本職業別明細図
石州銀行は大正12年に庚申銀行が浜田商業銀行を合併、改称して成立した銀行です。
昭和16年に山陰合同銀行に買収されました。
当時の建物は残っていませんが、今も浜田大橋のたもとに合銀浜田支店があります。

⑪070426浜田大橋
(昭和7年4月26日付松陽新報より)
絵葉書には浜田大橋も写っていますが、白い親柱のようなものも確認できることから、
近代的なRC橋に架け替えられた昭和7年以降の撮影と考えられます。
昭和7年に架け替えられた浜田大橋は鴻池組が工事を担当しました。
橋の設計は後に松江大橋の工事で殉職した島根県の深田技師によるものです。

⑫さのや呉服店と宮脇用品店
⑫さのや呉服店と宮脇洋品店
紺屋町には3階建ての「佐野屋呉服店」、
その向かいには現存する宮脇洋品店の建物が確認できます。

⑫151102浜田市成立(紺屋町)
(昭和15年11月2日付松陽新報より)
昭和15年、浜田市成立の際の新聞記事に、
佐野屋呉服店と宮脇洋品店とが写っていました。
かつて紺屋町界隈は浜田市きっての繁華街だったようです。

⑫DSCF8496
現存する宮脇洋品店の建物。昭和2年に建てられた看板建築で、
浜田市の中心部では数少なくなった貴重な近代建築です。
現在は洋品店としては営業していませんが、
きれいに色が塗り直されており、大切にされている様子です。

⑫101013宮脇洋服店t
(昭和10年10月13日付松陽新報より)
松陽新報に佐野屋呉服店と宮脇洋品店との広告を見つけました。
宮脇洋品店のほうは写真付きで当時の店頭の様子が分かり貴重です。


まとめ・・この絵葉書はいつ撮影されたものだろうか
img8521.jpg
ということで、絵葉書からわかる建物のご紹介をしてきましたが、
この絵葉書はいつ頃撮影されたものなのでしょうか。
建築年代の分かる建物を古い順に並べると次のようになります。

img852122.jpg
①坂根惣太氏邸 昭和2年頃
②宮脇洋品店  昭和2年
③那賀医師会館 昭和4年
③川口屋    昭和4年
④浜田大橋   昭和7年
⑤松原小学校  昭和8年

年代が確認できる建物で一番新しいのは松原小学校の昭和8年ですから、
この絵葉書は昭和8年以降に撮影されたものと考えられます。

以上、浜田の古絵葉書に写されている建物を分析してきました。
浜田市は戦災を受けていないので、もう少し古い町並みと
近代建築が残っていてもいいと思うのですが、
絵葉書に写っている殆どの建物が失われているのは残念な限りです。


【参考HP・資料】
松陽新報
大日本職業別明細図 昭和12年 東京交通社
深田清君の面影 昭和12年 京都帝国大学工学部土木教室
目で見る石見の100年 平成11年 郷土出版



  1. 2018/08/16(木) 20:30:15|
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佐和歯科医院(松江市寺町人参方)

0_20180811101423b36.jpg
松江市の寺町に「人参方」という小字がありまして、
これは封建時代の松江藩で大根島の朝鮮人参を取り仕切っていた、
「人参方」という役所があったことの名残であります。
今も寺町の屋根が掛かっているのは、かつての役所の長屋門の一部だそうです。

1
その人参方のすぐ近くに、歴史的な医院の建物が残されています。

2
電灯のデザインがモダンな雰囲気の玄関部分。
「佐和歯科醫院」の表札がかけられています。

3・070626泉尾ビルカフェー
(昭和7年6月26日付松陽新報より)
佐和歯科醫院(佐和医院)は歴史の長いお医者さんのようで、
戦前の新聞にもたびたび広告が確認できます。

4_201808111014293f9.jpg
人参方の門と共に、永く残しておきたい松江の近代建築です。


【建物のプロフィール】
建物名:佐和歯科医院
竣工:?
構造:?
設計者:?

【撮影】 
平成24年9月




  1. 2018/08/11(土) 10:24:08|
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出雲ビル(松江市白潟本町)

DSCF0357.jpg
松江市白潟本町はかつて松江市内でも有数の繁華な地だったのですが、
中心市街地の空洞化の波をうけてすっかり寂しくなってしまいました。
そのような状況の中、頑張っているのが大正14年築の「出雲ビル」の建物です。

DSCF0355.jpg
あまりにも有名な物件で、今更説明することもないのですが、
この建物は大正14年、千葉県野田市の「興風会館」などを手掛けた大森茂の設計により建てられました。
建築主の出雲益良氏はイギリス留学の際に現地のデパートを見学し、
帰国後松江でもデパート経営をしようとこの建物の建設を構想した由です。

現在も出雲益良氏の御親族がオーナーとなり、地階でカフェを経営されています。
出雲ビルの歴史に関してこの「カフェ出雲ストアー」に詳しく記されています。

DSCF0356.jpg
ビルの3階上部に設置されたレリーフの「いづビル」表記は有名ですね。

t140407出雲(山陰)
(大正14年4月7日付山陰新聞より)
「いづもビル」ではなく、どうして「いづビル」なのか不思議なのですが、
開業当初の広告でも「いづビル」という表記になっていました。
広告より、大正14年4月3日に出雲ストアが開店したことがわかりました。

出雲ストアは食料品を扱っていたほか、
地階や上層階ではカフェや食堂などの用途に使われていたようです。

050525出雲ストアカフェ
(昭和5年5月25日付松陽新報より)
昭和5年の松陽新報には、「カフェ」が流行らなくなってきたので、
出雲ストア地階を新趣向をこらした喫茶店にする計画という記事がありました。

070626泉尾ビルカフェーt
(昭和7年6月26日付松陽新報より)
昭和7年には出雲ストア地階に「サロン春」が開業しています。
5人もの「美女給」がいたようですね。

121017出雲ストア広告
(昭和12年10月17日付松陽新報より)
昭和12年、松江大橋開通の名刺広告にも出雲ストアの広告がありました。
「屋上亭より地下食堂まで全階直営食堂」とあり、
地下の「サロン春」もなくなりこの時期は建物全体が食堂だったようです。
大阪の「食い倒れビル」のような状況だったのでしょうか。


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:出雲ビル
竣工:大正14年
構造:鉄筋コンクリート
設計者:大森茂

【撮影】 
平成19年12月

【参考文献・HP】
島根県の近代化遺産 平成14年 島根県教育委員会
カフェ出雲ストア
松江市資料


  1. 2018/08/10(金) 20:15:49|
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また更新が途絶えてしまいました(生存確認など)

img128t
またまた更新を滞らせてしまいました。

転職して半年以上が経過しますが、環境の更新はなかなか体と頭が追い付かず、
どうしてもブログ更新までパワーがいきわたりません。

そうはいっても国会図書館での資料収集などは月一以上のペースで実施しておりますので、
ネタはたまっていく一方です。そろそろアウトプットしていかなければなりません。
  1. 2018/07/30(月) 19:45:20|
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旧上府村役場(浜田市上府町)その2

①
以前ご紹介した浜田市上府町の旧上府村役場について、
当時の新聞記事より建築年が判明しました。

②山陰新聞 040714
昭和4年7月14日付山陰新聞

「上府村の役場新築 此十五日着工」
那賀郡上府村では既報の如く村役場庁舎新築の為
過般入札に付した結果、三千四百円にて下府村
森下治三郎氏に落札した
右新庁舎は本館六間半五間半三十五坪五合、
瓦葺二階建、階下は事務室宿直室とし、
階上広間は会議室及び村公会堂とするもので
七月十五日着工、十月三十日竣工の予定


山陰新聞より、昭和4年7月に着工したことが分かりました。
設計者は不明ですが請負は隣の下府村の森下治三郎氏、
いわゆる地元の大工の棟梁という事でしょうか。

一階を役場の事務所スペースとして、二階に村の公会堂の機能を持たせる。
このような部屋割りは当時の村役場で少なくないようです。
現存する旧湯里村役場も、二階が公会堂に充てられています。

③松陽新報 041227
昭和4年12月27日付松陽新報

「大正御即位の記念事業漸く成る」
「上府村役場落成す」
那賀郡上府村は戸数二百四十余戸人口千二百余名の小村ではあるが
大正御即位記念に村役場の新築を思い立って以来無理をせずに村民が
心を合わせて蓄積し得た金によって今昭和四年工費四千六百三十余円を投じ
洋館建ての広壮な村役場を新築し二十四日其落成式をあげ (以下略)


タイミング的に「昭和御大典」の間違いでは?
と、見出しだけ読むと感じてしまうのですが、
そうではありませんでした。

松陽新報では昭和4年12月24日に落成式を挙げた事が報じられています。
前述の山陰新聞記事では10月末日竣工予定とありますが、
実際の竣工日から落成式開催の日までの間が数か月開くことは
当時の建築事情ではよくある事ですので、上府村役場の実際の竣工も、
12月以前だったのかもしれません。

④041227上府村役場
落成式当日?の貴重な写真です。
浜田市教育員会様からの聞き取りで、
戦後になって小学校の敷地の丘の上に移築されたという事が分かっていますので、
この写真はそれ以前、現在の県道のあたりに建てられた当時の写真なわけです。
現場と比べますと玄関の位置が異なります。

⑤
旧玄関が確認できますね。

⑥
移築された際に玄関の位置が変更されたのでしょうか?

⑦
丘の下に建っている上府小学校の校門。

⑧
不鮮明ですが、上府村の写真にも似た姿の門柱が写っています。
現在の上府小学校の校門は上府村役場の門柱を転用したものである可能性があります。


当時の新聞より、移築前の村役場時代の姿を確認することが出来ましたが、
残念ながらこの村役場の建物は解体されてしまい、その姿を見ることは出来ません。
平成27年に上府小学校が廃校となり、校舎・旧公民館(上府村役場)を解体して保育園が建設されています。
戦前からの貴重な物件であり、それこそ地域のシンボルであった建物なのですから、
完全に取り壊さなくても旧役場を取り込んだ保育園の設計も出来たのではないかと思うのですが。。。




【旧上府村役場の年表】
昭和4年  上府村役場新築(7/15着工・12/24落成式)
昭和11年 青年学校校舎に転用
昭和28年 上府小学校敷地拡張・旧役場を丘の上に移築
平成27年 上府小学校閉校
平成28年 上府保育園新築の為解体

【建物プロフィール】
昔の建物名:旧上府村役場
現在の建物名:上府公民館
竣工:昭和4年(平成28年解体)
構造:木造2階建
設計者:不詳
施工者:森下治三郎

  1. 2018/06/17(日) 12:02:50|
  2. 島根県の近代建築・浜田市
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浜田の絵葉書よりその2

img852.jpg
前回の続きです。

囲い⑥~⑨t
今回は絵葉書の左半分をみてみます。

⑥浜田税務署
⑥浜田税務署
いかにもお役所風な近代建築です。
戦前の新聞記事などから手掛かりを見つけることができなかったのですが、
昭和12年に刊行された「大日本職業別明細図」を確認したところによれば
位置からして浜田税務署だった建物のようです。
現在も大体同じ位置に浜田税務署がたっています。

⑦坂根惣太氏邸
⑦坂根邸
絵葉書の左端には見慣れない洋風3階建ての建物が確認できます。
これは「関西工務所」を経営していた坂根惣太氏の邸宅だった建物のようです。

⑦020707関西工務所t
(昭和2年7月7日付松陽新報より)

昭和2年の松陽新報に、邸宅の写真と坂根惣太氏の紹介がありました。
新聞に掲載された邸宅は、絵葉書の洋館のそれです。

新聞記事によれば坂根氏は邑智郡矢上出身で、給仕から身をたて、
艱難辛苦の上に「関西工務所」という会社を経営するまでになった、
「今では那賀郡内でも長者の佐々田家に次ぐ多額納税者」になった成功者とのことです。

「関西工務所」詳細が今一つよく分かりません。
新聞記事中に「土方の大親分」とある事から、
土木請負業を生業とする会社だったのでしょう。
あまりにも情報が少ないので今後も調査が必要です。

浜田ホテルニューキャッスル
(グーグルマップより)

その後の坂根惣太氏邸がどのような経緯をたどったのかは不明です。
現在の場所でいえば「ホテルニューキャッスル」のあたりになりましょう。
 
⑧那賀医師会館
⑧那賀医師会館
浜田川に面して異彩をはなつ洋館は「那賀医師会館」の建物です。

⑧040510那賀医師会館
(昭和4年5月10日付松陽新報より)

新聞記事より、那賀医師会館は昭和の御大典記念として計画され、
工費五千五百円、昭和3年11月起工昭和4年3月竣工したものとあります。

⑨川口屋
⑨川口屋
看板建築風の建物2件が確認できますが、このうちの
向かって右側は現存する川口屋(昭和4年築)の建物と思われます。

⑨DSCF8493
川口屋の三階部分、バルコニー状の装飾が絵葉書のものと一致しますね。

【参考資料】
松陽新報
大日本職業別明細図 昭和12年 東京交通社
島根県の近代化遺産 平成14年 島根県教育委員会

  1. 2018/05/06(日) 21:27:15|
  2. 島根県の近代化遺産(その他)
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三成のワキ

1
木次線の出雲三成と亀嵩の間、線路に沿って国鉄時代の貨車が二両保存?されています。
国道432からも良く見えるのでご存知の方も多いでしょう。

2
昭和43年の銘板。

3
二両とも台車が残っており、線路も敷かれていています。

4
この貨車は国鉄のワキ10000形といい、Wikipediaによれば貨物列車の運転速度向上のため、
最高速度時速100 kmで走れるように開発された貨車だそうです。

6
ワキ10120。

5
ワキ10073。

8
橋の上から俯瞰。ワキ10000はおそらく木次線で運用されたことはないかと思いますが、
既に現役を退き、現存する車体もほとんどないので貴重な存在と言えます。

それにしても、川と国道・木次線に挟まれたこの敷地にどうやって運び込んだのか。
トレーラーで陸送したとなると、国道から木次線を狭い踏切で渡らなければならず、
大変な作業だったのではないかと推察します。

【撮影】
平成27年5月

  1. 2018/05/06(日) 17:50:18|
  2. 島根県の近代化遺産(その他)
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旧鹿足郡役所(津和野町後田口)

1
水路に鯉が泳ぐ津和野のメインストリートに旧鹿足郡役場の建物が現存しています。
武家屋敷風の門が素敵な風情ですが、これは修景の為に後年建築されたもの。郡役所の建物は隠れがちです。

2
大正8年築の旧鹿足郡役所。和風平屋建ての堂々たる役所建築です。
益田に現存する旧美濃郡役所にそっくりですがこちらの役所の方が2年先輩です。

3
郡役所としては郡制廃止の大正15年まで使用されています。
その後昭和9年から昭和34年まで津和野警察署として使用されたのち、
現在まで津和野町役場として現役で活躍されております。
大正時代の役所建築が現在もほぼ同様の用途で現役というのはかなり貴重な存在ではないでしょうか。

5 (2)
役所の裏側から。
時代の変化に合わせて室内は現代の事務仕事に耐えうるよう、改装されているそうです。


【撮影】
平成26年4月

【建物のプロフィール】
昔の建物名:鹿足郡役所
現在の建物名:津和野町役場津和野庁舎
竣工:大正8年
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【参考文献】
島根県の近代化遺産 平成14年 島根県教育委員会

  1. 2018/05/04(金) 22:07:23|
  2. 島根県の近代建築・石見地方
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浜田の絵葉書より(その1)

最近絵葉書ネタばかりですが、やはり今回も絵葉書ネタです。

img852.jpg
せんだってヤフーオークションで浜田市をうつした絵葉書を落札しました。
なかなかクリアな画質で建物がいろいろ確認することが出来る貴重な資料です。
この絵葉書に写されている個々の建物について、
ブログ主が持っている資料を基に考察を加えてみたいと思います。

図1
(国土地理院WEBより)
絵葉書の写真は浜田の北側の山より日本海の方向に向けて撮影されています。
写っている範囲はおおよそ上図の赤枠の範囲内でありましょう。

囲い①~⑤
まずは絵葉書の右上、殿町~松原町界隈の建物をみていきます。


①旧制浜田中学校
①浜田中
大柄の瓦屋根の建物が重なる部分は旧制浜田中学の敷地、現在の浜田市役所付近にあたります。

①img489t
浜田中学校は戦後の学制改革で浜田第一高校となり、
昭和24年には旧浜田連隊跡地へ移転、その後は浜田市役所として使用されたそうです。

①DSCF8512
浜田中学跡地には旧校舎玄関の部材の一部が保存されています。


②松原小学校
②松原小
町はずれにみえる学校のような建物は松原小学校の校舎です。

②080517原井小松原小
(昭和8年5月17日付松陽新報より)
絵葉書に写された校舎は昭和8年に新築されたものです。
絵葉書の写真と全く同じ校舎ですね。


③浜田高等女学校
③浜田高女
松原小学校の手前に写っている大きな洋風建築は浜田高等女学校の校舎です。
現在の石神社の隣、浜田警察署の敷地(平成28年移転)にありました。

③img491
浜田高等女学校の校舎は明治35年に建設されたもので、戦後浜田高女が浜田第二高校となり、
昭和24年に浜田高校に統合されて旧浜田連隊に移転した後は
浜田市立第二中学校の校舎として昭和46年まで使用され、その後解体されました。
絵葉書にも写る校門の門柱は浜田高校と移転した第二中へ移設され現存しています。


④旧浜田町役場
④浜田町役場
浜田高女の手前、入母屋屋根の建物は旧浜田町役場の建物です。

④151102浜田市成立
(昭和15年11月2日付松陽新報より)
昭和15年、浜田市が成立した際の新聞記事にこの役場の建物の写真が掲載されていました。


⑤浜田町立女子技芸学校(浜田町立実践女学校)
⑤技芸女学校
浜田大橋の北詰にある学校建築は、浜田町立女子技芸学校(浜田町立実践女学校)の校舎です。

⑤技芸学校
浜田女子技芸学校は大正9年創立で昭和8年に実践町立女学校と名前を変えています。
この絵葉書ではタイトルがが「技芸学校」となっていますから、昭和8年以前に撮影されたものでありましょう。



【参考HP・資料】
島根県立浜田高校HP
浜田市立松原小学校HP
松陽新報
大日本職業別明細図 昭和12年 東京交通社


  1. 2018/04/21(土) 18:42:38|
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