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元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産のブログ

旧川崎銀行富沢町支店(ハリオガラス本店)

1_2020061414103869b.jpg
久しぶりに都内の近代建築のご紹介です。
日本橋富沢町の旧川崎貯蓄銀行富沢町支店だった建物です。
昭和7年築、都内でも現存が少なくなった戦前築の銀行建築で、
平成12年からは耐熱ガラスメーカーのHARIOの本社となっています。

2_202006141410399bb.jpg
玄関は角部分に設置されています。銀行建築らしい堂々としたたたずまいです。

4_2020061414104281a.jpg
正面玄関の上。

3_2020061414104120e.jpg
表通り側。

111.jpg
コリント式の柱が並び壮観です。

7_20200614141045d60.jpg
後ろ側。背面は装飾が簡略化されています。
この建物、3階部分と背面は後年の増築のようです。
旧川崎財閥系の資産管理をしている「川崎定徳株式会社」のHPに、
この建物の建築当初の画像があり、現在の姿との比較ができます。

6_20200614145626728.jpg
赤線から右側は後年に改修・増築された箇所となります。
よーく見てみると窓の幅がオリジナル部分より若干狭いようにみえますが、
基本、増築されたとは思えないくらい、オリジナル部分との違和感がありません。

S8火保図富沢町t
(昭和8年 火保図より)
昭和8年の火災保険地図を見ると、当該建物の後ろの部分には別の建物が記されています。

s22t
(国土地理院航空写真より)
こちらは昭和22年に撮影された航空写真です。
矢印の部分が当該建物ですが、後ろ部分の増築はまだありません。
増築されたのは戦後の昭和22年以降となりましょう。

【建物のプロフィール】
建物名:川崎貯蓄銀行富沢町支店
竣工:昭和7年
構造:鉄筋コンクリート
設計者:矢部又吉
施工者:?

【撮影】 
平成28年10月

【参考文献・HP】
火災保険特殊地図(日本橋区) 昭和8年 都市製図社復刻版
HARIO株式会社
川崎定徳株式会社


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  1. 2020/06/14(日) 15:16:40|
  2. 島根県以外の近代建築
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加茂中駅(雲南市加茂町)

DSCF1122.jpg
木次線の加茂中駅です。
木次線には昔ながらの木造駅舎が残っておりますが、
この加茂中駅もそのような魅力的な木造駅舎の一つです。

「島根県の近代化遺産」では加茂中駅の建築年を大正5年としています。
大正5年と言えば木次線の前身である「簸上鉄道」が宍道から木次の間で
営業を始めた年であり、加茂中駅駅舎も簸上鉄道時代のものという事になります。

本当に大正5年の駅舎なのだろうか。という点ですが、
木次線利活用推進協議会のHPにある「昭和初期の加茂中駅」で
掲載されている駅舎が現在とは全く異なる姿でした。
また、駅の「鉄道財産標」には昭和15年と表示がある事から、
この駅舎は開業当初に建てられたものではなさそうです。

160118木次駅新築工事開始t
(松陽新報 昭和16年1月18日付より)
昭和16年には木次駅が改築されています。
駅の財産標ににある昭和15年が改築の年数だとすれば、
昭和15年に加茂中駅、翌昭和16年に木次駅と、
簸上鉄道時代の駅舎をこの時期にまとめて改築したという事になります。

DSCF1123.jpg
庇は独立しておらず、屋根と庇が一体になった流造の様になっています。

DSCF1124.jpg
なかなか木次線の加茂中駅を利用する機会もなく、申し訳ないのですが、
ステキな駅舎が地元のご努力で維持・管理されているので、
いつか木次線を利用しつつ訪問してみたいと思っています。


【建物のプロフィール】
建物名:加茂中駅
竣工:昭和15年?
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【撮影】
平成25年9月

【参考文献・HP】
島根県の近代化遺産 平成14年 島根県教育委員会
木次線利活用推進協議会HP
  1. 2020/06/13(土) 13:38:51|
  2. 島根県の近代建築・出雲地方
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旧杵築銀行(出雲市大社町)

CIMG6972.jpg
大社のかつてのメインストリートに面して現存している、旧杵築銀行の建物です。
現在は民家になっており、外観上も玄関部分の改装、
屋根も後年の増築と思われる瓦葺の屋根が載っているなど、
かなり手が加えられている様子です。

CIMG6971_20200505231213b2b.jpg
玄関上の何らかの痕跡。この部分には白タイルが貼られていないので、
かつて何らかの装飾があったのだと思いますが、その形が独特です。
うーん。オリジナルの姿はどんなだったのだろう。気になります。

CIMG6977.jpg
角地にあり、側面は縦長の窓が4つ連続しています。

CIMG6975.jpg
窓の上のこれも独特な装飾。鳥の羽をモチーフにしているのでしょうか。
換気口を兼ねているのでしょうか、三つのルーバーの付いた孔があるように見えます。

CIMG6973.jpg
この建物の詳細については不明な点が多く、
確認できる資料といえば、島根県教育委員会の「島根県の近代化遺産」のリスト中に、
杵築銀行・RC・大正とあるのがすべてです。

杵築銀行は明治32年に設立され、大正11年には雲州今市銀行に合併しています。
雲州今市銀行も大正14年に雲州西浜銀行と合併して出雲銀行に、
出雲銀行も昭和2年には松江銀行と合併して消滅しています。
昭和12年に刊行された「大日本職業別明細図」では、この建物のある場所は
「松銀支店」となっていましたので、少なくとも昭和12年までは銀行として使われていたようです。


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:杵築銀行本店?
竣工:大正
構造:RC
設計者:?
施工者:?

【撮影】
平成29年12月

【参考文献】
大日本職業別明細図 昭和12年 東京交通社
エネルギア地域経済レポートNo.467「島根県を中心とした産業発展の歴史(明治・大正編Ⅲ)
                            平成25年  中国電力㈱エネルギア総合研究所
島根県の近代化遺産 平成14年 島根県教育委員会

  1. 2020/05/05(火) 23:29:43|
  2. 島根県の近代建築・出雲市
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旧雲州今市銀行平田支店?(出雲市平田町)

DSCF9828.jpg
平田大橋の袂にある床屋さんの建物です。

CIMG7077.jpg
全体的に改修されていて最近の建物の様にも見えますが、軒の蛇腹が何となく歴史を感じさせます。

021001一畑電化
(松陽新報 昭和2年10月1日付)
昭和2年の一畑電化を報じる松陽新報に、平田の町の写真が載っていたのですが、
この写真に上掲の建物が写っていました。

021001一畑電化tt
上掲の新聞写真の拡大です。

3_202005031753416fd.jpg
1階部分は増築などの改変が見られますが、2階の窓割は同じですね。

この建物は何だったのだろうと気になっていたのですが、
下記のような新聞記事を見つけました。

13213t
(山陰新聞 大正13年2月13日付)

「銀行支店新築落成」
簸川郡平田町大橋詰なる今市銀行平田支店新築中の處落成につき
十日に移転し十一日は同業各支店、官公署長らを、
十二日は近隣並びに特別関係者を招待し
一般預金のため来店者には記念品を贈ると
因みに新築工費五千円を要せしという


「大橋詰めなる」ということで、この建物の位置と一致しています。
今市銀行というのは「雲州今市銀行」ではないかと思われますが、
この銀行は翌年の大正14年には近隣の銀行と合併して出雲銀行となっています。

もう一つ、この建物と雲州今市銀行とを結びつける資料が欲しいところですが、
蔵造と洋風の折衷したデザインの建物と言えば、銀行建築が当てはまると思われますので、
おそらくこの建物は大正13年に建てられた雲州今市銀行平田支店だったのではと推察します。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:雲州今市銀行平田支店?
竣工:大正13年?
構造:木造?
設計者:?
施工者:?

【撮影】
平成29年12月

【参考文献】
エネルギア地域経済レポートNo.467「島根県を中心とした産業発展の歴史(明治・大正編Ⅲ)
                            平成25年  中国電力㈱エネルギア総合研究所


  1. 2020/05/03(日) 18:24:47|
  2. 島根県の近代建築・出雲市
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旧割烹久の家(松江市東本町)

CIMG5658.jpg
松江市東本町、大橋川河畔の旧料亭「久の家(ひさのや)」の建物です。
令和2年3月に松江市の「松江市登録歴史的建造物」に 12番目の建物として登録されました。

120105くのや広告t
(松陽新報 昭和12年1月5日)
この建物は昭和12年、割烹久の家として新築落成しています。

h15
平成15年の撮影時には旅館となっていました。
近年はあまり使われているようではなかったので心配していましたが、
この度の「松江市登録歴史的建造物」への登録を機に活用の動きがあるのかもしれません。

CIMG5680.jpg
北側(町側)は通りに面して格子を設けてあります。
2階部分の軒が高いのは近代の町屋の特徴ですね。

CIMG5670.jpg
玄関です。お客さんはこちらの玄関から入ったのでしょうか。大橋川の方から入ったのでしょうか。

【建物のプロフィール】
建物名:割烹久の家
竣工:昭和12年
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【撮影】 
平成15年5月
令和元年5月
令和2年2月

【参考HP】
松江市登録歴史的建造物 第12号

  1. 2020/05/03(日) 11:10:14|
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旧松江銀行本店(大田市大森町)その2

1_20200502165431389.jpg
石見銀山の入り口に旧松江銀行本店の建物が移築・保存されています。
現在は「なかむら館」といって、大森の町並みの維持・復元に尽力されている
地元企業「中村ブレイス」さんの施設として活用されています。

●新築の頃●
6 m361103松江銀行
(山陰新聞 明治36年11月3日付)
この建物は明治36年、現在の山陰合同銀行の前身の一つである、
松江銀行本店として、松江市の白潟本町に建設されました(現在合銀の駐車場になっているところ)。

5 m361031松銀移転広告
(山陰新聞 明治36年10月31日付)
明治36年11月2日に新築成った行舎へ移転がなされています。

当時の新聞記事によれば・・・。

山陰新聞(明治36年11月3日)
「松江銀行新築移転式」
予期せし如く株式会社松江銀行は昨日午前十時を以て本市の中枢たる
白潟本町の新行舎に移転したるを以て其式を行内の会議室に於いて挙行したり
来会者は重役行員諸氏をはじめ紀念会及び工事監督者土木棟梁等にして・・・
(中略)
頭取の挨拶大要左の如し
(中略)
然るに時勢の進運は不肖の驚才を顧みず頗りに事業の拡張を促かし
時に或は行舎の狭隘に訴え又顧客の不便を察せしめ〇〇行舎新築の
已むを得ざるに至りました併し新築は堅牢と営業の便利を目的としましたが
其の輪奐美麗は適ま以て吾等と諸君の脳漿に劇動を与えたと思いますから
吾等諸君と倶に奮励一番努力して先頭取松本君の意志を全うし併せて
新築の壮観に副ふべきまでに事業の発展せしめんことを希望いたします。
 


移転翌日の11月3日には、城山公園にて記念の園遊会が開催されたと、
明治36年11月5日付の山陰新聞が報じています。

この記事においては、工事監督委員として山内佐助という人の名前が出てきますが、
この方は建築関係の人物ではなく、松江銀行の関係者です。
設計者や施工者に関しては新聞記事に記載がありませんでした。

記事中の工事報告より、下記の事が分かりました。
・本館桁行梁行共に六間二階建一棟 建坪四十二坪二合五勺
・起工明治35年7月22日
・竣工明治36年10月30日

7t030101松江銀行(松陽)
(松陽新報 大正3年1月1日付)
新築から10数年後の大正3年の松陽新報に、松江時代の建物の写真がありました。
現在の姿との比較では、表面の窓の鉄扉が省略されている以外、ほとんど変わらぬ姿です。
それだけ、丁寧に復元がなされたという事でありましょう。

●松江銀行「交和」より●

松江銀行がおそらく社内報として発刊していたであろう、「交和」という冊子の
第19号 (昭和11年5月)に「松銀繁盛記」という、創業期の様子を回顧した
記事があり、新築当時の様子が記されてありました。

「行舎の移転と新築」
(前略)
35年夏起工、工費二百余円を費やして36年10月竣工しました。
新行舎は「設計は行舎外貌に於て富山十二銀行、事務室及び勘定台の構造は大阪北浜銀行、
本行舎と付属建物の構造其の他総ての間取りは兵庫第一銀行を参酌折衷して実用と利便を図り」、
当時としては「新機軸を出したるもの」であったそうで・・・
(以下略)


この文章では、行舎新築に当たって各地の銀行を参考にして設計されていたことがわかりました。
特に外観については富山十二銀行(現在の北陸銀行)を参考にしたとあり、
当時の富山十二銀行の建物を調べてみましたが、
蔵造りという点に共通項はあるものの、あまり似ていないような気がしました・・・。


●大田へ移築●
8t091014松江銀行
(山陰新聞 大正9年10月14日付)
その後、大正9年になって松江銀行本店は木子七郎設計による行舎に建て替えられます。

9 t091114松江銀行大田支店
(山陰新聞 大正9年11月14日付)
もとの建物はどうなったかと言いますと、大田町へ移築され、
松江銀行大田支店として活用されることとなります。
この記事では「新築」となっていて引っ掛るところではありますが、
前述の「交和」にて
「現在の建物の新築される際に大田へ移され現在の大田支店になっております。」
とありますから、やはり大田へ移築されたという事で良いのだと思います。

3_202005021654341fa.jpg
現在も昔のままに建物が保存されているのは素晴らしいことだと思います。

大田へ移築された後は山陰合同銀行支店江を経て
大田市役所の別館としても使用されていたそうですが、
その後使用されなくなり、解体寸前のところを中村ブレイス社に引き取られ、
平成12年に現在の地に移築復元されました。

移築前の写真が中村ブレイスさんのHPにありますが、相当破損がひどく、
この状態から復元するのは大変だったのではないかと思われます。
通常ですと「老朽化が著しい」という理由で取り壊され、永遠にその姿を消してしまう所、
このような形で移築保存され、現在も島根県の近代化遺産としてその姿を拝めるのは、
本当にありがたいことだと思います。


【建物のプロフィール】
建物名:旧松江銀行本店(中村ブレイスなかむら館)
竣工:明治36年
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【撮影】 
令和元年5月

【参考文献・HP】
交和 第19号  昭和11年 松江銀行
山陰新聞
松陽新報
中村ブレイス(なかむら館の項)
ほくぎん歴史ミュージアム


  1. 2020/05/02(土) 21:47:59|
  2. 島根県の近代建築・大田市
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旧邇摩郡役所(大田市大森町)その2

1
拙ブログの最初期にご紹介している旧邇摩郡役所について、
新しい資料などを踏まえて改めてご紹介したいと思います。

2
邇摩郡役所は明治35年に、大森の代官所跡に建設されました。
設計者は不明ですが、工事監督として、島根県の県属西村西村義抽、工手野津藤太郎、
邇摩郡役所主任の吉野留次郎、土木係大草鐐吉が担当しています。
特に県の技師だった西村義抽という方は、後に出雲大社の彰古館(旧宝物館)などを設計しています。

3
郡役所と言えば、他県では擬洋風建築での現存例が多いように思われますが、
島根県内では和風の建物が多く、殊に邇摩郡役所は質実剛健なたたずまいです。

建物の変遷については下記の通りです。
明治12年      代官所解体・郡役所建設
明治34年      現役所建物建設
明治40年      皇太子殿下山陰行啓の際の御昼餐所となる
大正9年      邇摩郡役所廃止
大正15年      邇摩郡土木管区事務所
昭和21年以降   裁縫女学校校舎や大森保育園として活用
昭和51年      石見銀山資料館 

明治40年に東宮殿下の山陰道行啓の際には、
この邇摩郡役所も御昼餐所となり、御座所を新築の上、
明治40年5月29日、東宮殿下(大正天皇)をお迎えしています。

6
当時の記念絵葉書に、御座所の写真がありました。

行啓を記録した「行啓記念 春日の光」には、大森の御昼餐所について次のように記されています。

5月29日の御昼餐所は大森成る邇摩郡役所に設けられ前門アーチを建設す
郡会議事堂の西に接して新築されたる4間に4間の室を以て御座所とす
南北に各3間の硝子窓ありレースを掛く座上毛氈を布き詰め生花1、盆栽2を飾り
西のかた壁に寄せて金屏風を建て御座を設け議事堂を以て教育品陳列所に充てたり


絵葉書と「春日の光」の記述とを比べてみますと、
開口部にレースのカーテンのようなものが設えてあり、
壁側には金屏風がたてられて東宮殿下がお座りになる
御座が据えてあるのが確認できます。
盆栽は見えませんが、生花1は確かに飾ってあります。
絵葉書にみえる手前の室が教育品陳列所になった郡会議事堂でしょうか。

この御座所は「新築されたる」とありますから、
行啓が決まった後に増築されたものと思われます。
山根大知他による「明治40年山陰行啓における東宮一行の滞在施設に関する歴史的考察」では、
当時の御昼餐所となった邇摩郡役所の平面図を記載してありますが、
これによれば御座所は郡役所を正面から見て右奥に位置しています。
航空写真などで確認する限り、御座所の増築部分は確認できませんので、
時代は不明ながら後年に取り壊されて現存しないものと思われます。

5
こちらも行啓記念の絵葉書で、飾り付けられた郡役所正門が写されています。
門には菊の御紋の入った幕が張られ、日章旗がはためいています。
手前の栄橋にも装飾が施されているのが分かります。
上掲の「春日の光」にある「前門アーチを建設す」とは
この栄橋の装飾を指しているのでしょうか(アーチじゃないけど)。

4
上掲絵葉書と同じアングルで撮影してみました。
現在の栄橋は昭和11年に架け替えられたものなので当時と異なりますが、
郡役所の佇まいなどは昔のままの様に思われます。

7_20200501204651fa4.jpg
以上、旧邇摩郡役所のご紹介でした。


【建物のプロフィール】
建物名:旧邇摩郡役所(石見銀山資料館)
竣工:明治34年
構造:木造
設計者:?
工事監督:西村義抽 他
施工者:川戸秋太郎・天野梅太郎

【撮影】 
令和元年5月

【参考文献】
行啓記念春日の光 明治40年 上田仲之助
島根県の近代化遺産 平成14年 島根県教育委員会
明治40年山陰行啓における東宮一行の滞在施設に関する歴史的考察 平成26年 山根大知 他

  1. 2020/05/01(金) 21:59:15|
  2. 島根県の近代建築・大田市
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湯村発電所(雲南市木次町湯村)その2

52.jpg
木次の湯村温泉場の奥に現役で残る湯村発電所のご紹介です。
湯村発電所に関しては以前にもご紹介しているのですが、
その後、当時の絵葉書や新聞記事などを入手しましたので、
改めてご紹介する次第でございます。

53_2020043022534113d.jpg
湯村発電所は大正8年、当時出雲エリアの発電・配電を担っていた出雲電気により建設されました。

●当時の新聞記事より●
3 t080328湯村発電所
(山陰新聞 大正8年3月28日付)

「出雲電気第三発電所 来る八月竣工」
出雲電気株式会社にては其の社運の隆盛に伴い
仁多郡温泉村大字湯村に第三発電所を増設せんとし
(中略)
前に施工上の手続きを終え東京明正組に工事を請負わしめ
爾来多数の工夫を使役して従事中なるが目下既に四分通りの
工程を終わりたる由にて来る八月までに竣工の予定なりと云う
(以下略)


「第三発電所」としているのは、すでに出雲電気には北原発電所(明治45年)、
窪田発電所(大正4年」)の二つの水力発電所を有しておりましたから、
この湯村発電所は3番目ということで「第三発電所」と称しているものと思います。
工事請負は東京の明正組と記されていますが、
「明正組」というのがどのような会社だったのか調べ切れませんでした。

4 t081016湯村発電所
(山陰新聞 大正8年10月16日付)

「発電所竣工 近く送電」
(前略)
出雲電気株式会社にては既報の如く最近一般経済界の好況と
石油暴騰との結果動力並びに電燈の需要激増し
現在二個の発電所に生ずる一千五百余キロの電力にては
到底これに応じ得ざる為め山陰電気会社より供給を受け
僅かに其の不足を補いつつあるも電力の需要は愈々益す甚だしきより
昨年来仁多郡温泉村に第三発電所を設ける事となり工事中
此程迄全く竣工し
(中略)
二十五日頃使用認可申請の手続きをなし直ちに許可あるべきを以て
遅くも本月中には送電をなすに至るべしと而して
今回新設発電所にては一千キロワットの発電をなし
従来の電力を合し二千五百キロワットとなり俄かに多大電力を
増加することとなれるも新設の一千キロワットの内半数は
今回成立の筈なる出雲製織会社へ供給する約あり
(以下略)


要約すると、
・電力の需要が高まり、従来の2発電所ではまかないきれない
・昨年(大正7年)より第三発電所の工事を進めこのほどほぼ完成した
・認可が下りれば大正8年10月中には送電できる
・湯村発電所の発電は一千キロワットで、その半分は出雲製織へ供給する
ということになりましょうか。

新聞記事では10月中に送電を始める予定とありますが、
中国電力のHPによれば、大正8年11月に発電を開始したとあります。


●当時の絵葉書より●
1 img866 (3)
竣工当時?の絵葉書を入手しました。
絵葉書のキャプションには「第二発電所」とあり、新聞記事の「第三」と矛盾するのですが、
北原発電所は松江電燈時代に建設されたものなので、
新生出雲電気としては第二という事なのかもしれませんし、
仁多郡内としては第二番目の発電所(窪田発電所は簸川郡)という事か、
ただ単純に間違えただけなのかもしれません。
キャプションともかく明らかに湯村発電所なので良いことにいたしましょう。

2_20200430225334e5c.jpg
現在は改装されてしまっている、屋根・パラペット部分の原型がわかる貴重な資料かと思われます。
腰回りとそれから上部とで色合いが異なる事も確認できます。
建物の後方には職員の詰め所でしょうか、現存しない付属建物も確認できます。

51.jpg
若干アングルは異なりますが、現在の姿を遠景で撮影したものです。
やはり屋根の改装によって、竣工当初とは雰囲気が異なるのが分かりますね。

1_2020043022533273a.jpg
正面部分を拡大してみました。「雲」という文字の様に見えるマークがパラペット頂部に取り付けられています。
「中国地方電気事業史」にある出雲電気の社紋とは若干異なるデザインです。

59 img866 (3)5
玄関庇上部には照明と看板のようなものが確認できます。

58.jpg
現在も庇部分は原形のままです。
灯具は失われていますが、基部の金具のようなものが残っています(違うかな?)


56.jpg
湯村発電所は大正時代の建築で100年を経過していますが、
いまなお現役で電力を供給しています。
島根県の生活・産業を支えてきた貴重な近代化遺産であると思います。

【建物のプロフィール】
建物名:湯村発電所
竣工:大正8年
構造:鉄筋コンクリート
設計者:?
施工者:東京明正組

【撮影】 
平成27年9月
平成29年4月

【参考文献・HP】
中国電力HP
中国地方電気事業史 昭和49年 中国電力
島根県の近代化遺産 平成14年 島根県教育委員会
島根とお雇い外国人技術者たち 平成27年 岡﨑秀紀
中国地方における明治・大正期の水力発電所の建築的特徴  平成28年 高橋奎伊 他


  1. 2020/04/30(木) 21:18:24|
  2. 島根県の近代建築・出雲地方
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旧今市新町郵便局(出雲市今市町)

今年のGWも島根県の近代建築巡りをと思っていたのですが、
新型コロナウイルスの感染拡大によりそうも言っていられなくなりました。
島根の皆様もどうぞお気をつけてお大事にお過ごしください。

2 070401今市新町郵便局開局t
(松陽新報 昭和7年4月1日付)
国会図書館も休館中という事で家で複写してある松陽新報を眺めていたところ、
「けふ開局、今市新町郵便局」という写真付きの記事を見つけました。
この建物、現存しています。

4_20200429122536081.jpg
3 070401今市新町郵便局開局tt
いかがなものでしょうか。現在は郵便局ではなく、
「鳥よし茶屋」さんという鳥料理のお店になっていますが、
殆ど当時のまま、建物が残っています。

1_20200429122532c5f.jpg
建物の全景です。当時の新聞記事では「堂々たるモダン局舎は出来上がった」とあり、
あたかも新築されたかのような表現ではありますが、
建物を見ると元からあった町屋建築を改装したようにも見えます。

6_20200429122539b8d.jpg
奥には入母屋造りの建物が繋がっています。住居部分に当たるのでしょうか。

7_20200429122541dd4.jpg
最初は料亭かなにかと思っていました。

以上、昭和7年に開局した今市新町郵便局が現存していた。と言うお話でした。
80年も昔の新聞記事にある建物が、実は現在も残っている。という事に気づいたとき、
大変な感動を覚えるわけですが、今市町の近代化を担った貴重な建物ですので、
今後もお元気でと願わずにはおれません。

なお、現在入居されている「鳥よし茶屋」さんも、大変おいしそうなお店ですので、
出雲市再訪の折にはぜひ入店してみたいと思っています。


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:今市新町郵便局
竣工:昭和7年?
構造:木造
設計:?
施工:?

【撮影】
平成29年12月



  1. 2020/04/29(水) 13:09:53|
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旧大社駅(出雲市大社町北荒木)

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島根県を代表する近代建築の一つ、旧大社駅です。

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大社線は明治45年に開業、現在まで残る駅舎は、大社駅利用者の増加に伴い、
大正13年に建てられたものです(起工は大正12年9月、竣工は大正13年2月)。
建設は駅舎の建設を担当した、神戸鉄道管理局工務課の技手、丹羽三雄とされいます。

戦前から大阪方面の急行列車の始発駅となり、戦後も優等列車の始発駅となって、
大変な賑いを見せていたのですが、モータリゼーションの波に飲まれて利用客は漸次減少、
大社線はローカル線に陥落してしまい、平成2年3月末で廃止となってしまいました。
路線は廃止になりましたが、駅舎は其の豪壮さもあって、幸いにも今日まで保存されています。
平成16年には国の重要文化財に指定されました。

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大社駅の古絵葉書です。人力車が見えますから、かなり古い時期に撮影されたものでしょう。

4 t130206大社駅
(山陰新聞 大正13年2月6日付)
山陰新聞に掲載された建設中の大社駅の写真です。
新聞は2月6日付、「島根県の近代化遺産」によれば、
竣工は2月13日とありますから、完成間近に撮影されたものなのでしょう。
屋根までスロープ状の足場が伸びているのが興味深いですね。

5 100417大社駅貴賓室t
(松陽新報 昭和10年4月17日)
出雲大社の玄関口ですから、皇族方の参拝や宮中からのご勅使、
その他貴顕・高官の利用も多かったのでありましょう。
昭和10年には貴賓室が増設されたそうです。

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駅正面です。廃止後も当時のままに保存されています。

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駅舎の内部です。建物中央は吹抜けとなっており、柱のない広々とした空間です。
右側の張り出した部分がかつての出札口、奥は駅事務所になっています。

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駅事務所。「国鉄」時代はこちら側が切符売り場だったのでしょう。
この部分だけ戦後の造作を感じます。

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改札口から玄関方面を眺めます。照明も凝っていて、素敵な空間です。

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正面右手は元の二等待合室、左手は小手荷物の扱い所だったところだそうです。

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かつての切符売り場。和風の精巧な造形です。

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素敵ですね(語彙力)。

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広々としたプラットフォーム。
かつて、出雲大社の玄関口として大社駅が大いに賑わっていた名残です。

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山陰中央新報の記事によれば、
出雲市により、令和2年度より6年かけて半解体修理を行うとのことです。
どのように生まれ変わるのか楽しみですね。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:大社駅
竣工:大正13年
構造:木造
設計者:丹羽三雄

【撮影】
平成29年3月

【参考文献】
島根県の近代化遺産  平成14年 島根県教育委員会

  1. 2020/04/11(土) 22:33:52|
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