元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

旧制松江高校本館基礎部分

最近、浅草十二階(凌雲閣)の基礎部の煉瓦が発掘されたニュースが話題になりましたが、
島根県でも基礎の煉瓦が発掘され、こちらはしっかりと保存されています。
便乗ではありませんがこの機会にご紹介したいと思います。

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発掘・保存されたのは島根大学の前身である、旧制松江高等学校本館の基礎煉瓦部分です。
旧制松江高校本館は大正10年に建てられ、
その後の学制改革による松高廃止後は島根大学の校舎として昭和40年代まで使われたものです。
現在の島根大学本部棟から大学正門あたりに建てられていました。

平成26年に本部棟改修工事に際して埋蔵物の調査が行われ、この際に発見されたそうです。
発掘、保存の経緯などは島根大学ミュージアムさんのHPに紹介されています。

「本部棟改修工事に伴う発掘調査(その2)」

「本部棟横で見つかった旧制松江高校本館の煉瓦基礎を移築保存しました」

島根大学ミュージアムさんのブログで基礎部分が保存されたことを知り、懐かしの母校に見学に行ってきました。

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ミュージアムの脇に、煉瓦の大きな塊が3つ並べて保存されていました。

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煉瓦が階段状に積まれています。

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前掲の絵葉書を拡大してみますと、土台部分が煉瓦積みになっているのが確認できますね。

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煉瓦の下には玉砂利交じりのコンクリートがくっついていました。
煉瓦を積む基礎にコンクリートを敷いていたのでしょう。

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くの字状に曲がっている煉瓦基礎。

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本館のこの部分でしょうか。

旧制松江高校の数少ない遺構の一つが大切に保存されることになったのは素晴らしいことですね。

【余談その1】
前掲の絵葉書ですが、使用されたものでした。

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おそらく以前の絵葉書の持ち主が切手趣味だったのでありましょう、切手がきれいにはがされています。
あて先は「大阪外国語学校 中目校長殿」とあります。
送り主は北堀町の武田さん、内容は達筆でほとんど読めないのですが、
「松江高校」、「開校式」の文字が確認できますので、
おそらくですが開校式への出席に謝意を表しているもののようです。

ウィキペディアで調べたところ、「大阪外国語学校」は後の大阪外国語大学、
「中目校長」は中目覚という、ドイツ語、地理学の方面で大きな功績を残した方で、
大阪外国語学校の初代校長ということがわかりました。

北堀の武田氏ですが、松高開校時の地理教官に武田雄三という方がいます。
達筆で読めないので何とも言えませんが、宛先の中目覚氏も地理学ですから、
地理つながりで武田雄三教授が出した絵葉書の可能性が高いかもしれません。

旧制松高の絵葉書が欲しくてヤフオクで落札したのですが、
思いがけず、貴重な記録が付いてきた感じがします。

【余談その2】
よ3
「松江高校全景」というキャプションのついた絵葉書です。
現在の川津の交差点付近から撮影したものでしょうか。

現在は自動車の往来の激しい川津交差点ですが、
松高創立当時は「川津村」、周辺は純然たる農村地域だったことが分かります。
道はもちろん未舗装で一車線ていどの幅しかありません。
右の方へカーブしていくあぜ道のような道が確認できますが、
これは今の大学裏の方へ通じる道のご先祖でしょうか。

よ4
現在の川津交差点前の様子。全く面影がありません。







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  1. 2018/02/18(日) 21:48:07|
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旧白潟派出所(松江市伊勢宮町)

DSCF0402.jpg
松江市内、新大橋の南詰に近代建築っぽい建物がありました。
建物には「松江魚商協同組合」の看板が掲げてありました。
ちょっと昔のマップルでは「伊勢宮町会館」となっています。

戦後の建物のようにも見えるし、何とも言えない物件でしたが、
昭和15年の松陽新報を読んでいたら、
この建物が「派出所完成」として登場してきましたのでご紹介します。

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(昭和15年4月19日付松陽新報)
いかがなものでしょうか、「新築された松江署白潟派出所、中原派出所」のキャプションとともに、
当該の建物の写真が掲載されていました。当時は建物のそばに火の見櫓があったことも分かります。

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建物の向かって左側に広い開口部が確認できます。
火の見櫓が併設されていることから、消防詰所も兼ねていたのでは・・・。という感じもしますね。
キャプションに「記事既報」とあるので、記事に詳細が記載されている可能性がありますが、
「既報」の記事を見逃しておりますから、また国会図書館へ行って新聞を読み直さなければなりません・・・。

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白潟派出所とともに紹介されている中原派出所。
画像が不鮮明ですがスクラッチタイル貼りなのでしょうか、かなりモダンなデザインです。
内中原小学校向かいに内中原交番がありますが、同じ場所なのでしょうか?

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(昭和8年2月26日付松陽新報)
戦前の松江市内の派出所はモダンなスタイルのものが多かったようです。
こちらの画像は白潟派出所の新築より7年ほど前、昭和8年に完成した東京橋たもとの派出所。
今の東京橋南詰、テラスになっている場所にあった派出所で、こちらもなかなかモダンなスタイルです。
松江市市制施行110周年記念写真集「松江今昔」の、
戦後の京橋周辺を撮影した写真にも、この派出所が写っているのが確認できます。

以上、旧白潟派出所のご紹介でした。
近年取り壊されてしまい、跡地は駐車場になっています。
松江在住当時はそれほど古い建物に見えず、写真もほとんど撮っていませんでした。
もっと早くこの建物の歴史に触れることが出来ていれば・・・と残念でなりません。


  1. 2017/10/25(水) 16:28:14|
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津森医院(松江市本庄町)その2

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だいぶ前にご紹介した、松江市本庄町の津森医院について補足です。

津森医院の築年代について、島根県教育委員会の「島根の近代化遺産」リストでは昭和元年、
文化庁のデータベースでは昭和初期としてあります。
大正天皇が崩御された大正15年12月25日をもって昭和に改元されていますから、
昭和元年は12月25日から12月31日までのわずかの期間しかなかったことになります。
ということで、津森医院は本当に昭和になってから建てられた建物だったのだろうかと
少し疑問というかもやもやしていたわけですが、当時の新聞に素敵な記事を見つけたのでご紹介します。

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(大正15年10月4日付山陰新聞)

いかがなものでしょうか、大正15年10月の新聞に、津森医院が新築落成したことを伝える広告が掲載されていました。
この広告により、津森医院は大正15年の10月には「新築落成」していたことが明らかになりました。
森医院の竣工年については、これまで昭和元年とされてきましたが、
大正15年築としたほうが正確なのではないでしょうか(実質同じ年ではあるのですが)。

※ちなみに、こちらの資料では施工を松江市の伊藤善平としています。
ブログ主的には初めて聞く名前なので、今後、施工・設計についても調べていきたいと思います。




  1. 2017/08/19(土) 22:52:47|
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旧島根師範学校正門門柱(松江市西川津町)

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久しぶりに島根大学構内を散策していたら、妙なものを発見しました。
教育学部の玄関の向かいにある茂みの中です。

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これは何でしょうか?
門の一部のようにも見えます。

大学構内ということもあって、
大学の前身にあたる学校に関連するものではないか・・・。
と、帰京してから島根大学のサイトなどから古写真を確認してみました。

島根大学のサイトより、こちらの写真をご覧ください
かつて外中原町に所在した旧島根師範学校の正門門柱に酷似しています。

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古写真では、門柱からアーチ状に支柱が伸び、
門の真上にランプが取付けられているのが確認できますが、
現物でも頂部にその跡を確認することが出来ます。
おそらく、この石造物は旧島根師範学校正門の門柱の一部でありましょう。

旧島根師範学校の外中原校舎は明治37年に新築されていますので、
その当時に設置されたものと考えられます。
現在、旧師範学校の敷地は松江市立一中の敷地となっています。
教育学部が西川津に移転する際か、師範学校の遺構が取り壊される際にか、
記念として門柱の一部を移動させたのではないでしょうか。


現在の一中の敷地に何か名残は残っていないか・・・。
と、グーグル様で確認をしたら、このような通用門をみつけました。

図1
古写真の門柱と同様のデザイン・素材なので、師範学校時代の遺構と思われます。
敷地を取り囲む石垣も、師範学校時代の物のように見受けられます。

※いつも拝見している、島根大学ミュージアム様にもこの件をご連絡したところ、
  さっそく調べていただき、「島根大学ミュージアムのブログ」でも門柱を紹介していただいています。
 師範学校の経緯なども詳しく記載されていますのでぜひご覧ください。

【撮影】
平成29年4月

【参考文献】
「松江今昔 市制施行110周年記念写真集」 平成11年 松江市

【参考HP】
島根大学HP




  1. 2017/04/09(日) 12:57:21|
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旧制松江高等学校外国人官舎(島根大学旧奥谷宿舎)その2

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以前ご紹介した旧制松江高等学校(淞高)の外国人官舎は、
大正13年の建築で、当初は独語講師用(1号官舎)・英語講師用(2号官舎)と、
二棟の官舎が双子のように並んでいたとのことです。

建築当時の新聞記事などが残っていないか調べようと思ったのですが、
国会図書館に所蔵している松陽新報、山陰新聞は、
なぜか大正期の分がごっそり抜け落ちており、
調べようがないことがわかりました。残念。

代わりにと言っては何ですが、
昭和12年、火災で英語講師用官舎が焼失した際の記事を確認してみました。

s12330.jpg
(松陽新報昭和12年3月30日付)

「市民の火の用心」
「奥谷火事に鑑みて松江署が一層喚起する」
例年春先になると一家不在中における火事騒ぎが頻出するので
松江署ではかねてより一般市民に対し火気には一段の注意を喚起していた矢先、
二十八日午後奥谷町高校教師ウッドマン氏の留守宅の風呂場の火の不始末から
同家を全焼するに至ったが消防組の活動によって鎮火し隣家への類焼を逃れたが
もし発見が遅かったのと烈風の際は相当の大事に至ることは当然とみられるが、
同署では今後こうした火災を未然に防止すべく一般市民に対し火の用心について
一層の注意を喚起することとなった


高等学校の官舎が焼けたという事件なのでもう少し大きな記事になるかと思いましたが、
火事への注意喚起と絡めたあっさりとした内容となっていました。

近火見舞
(松陽新報昭和12年3月30日付)

上記記事の下欄にには、関係者の近火見舞いの名刺広告が掲載されていました。
高校の事務方が手配をしたのか、新聞社で定型文を用意していたのか、
外国人名と候文の組み合わせが何とも言えない雰囲気をかもしだしています。

名刺広告にある「カルシュ」、「ウッドマン」は、それぞれ下記の通りです。

カルシュ:ヘルマン・フリッツ・カルシュ(独語講師 淞高在籍T14~S14)
ウッドマン:ハロルド・ジョンソン・ウッドマン(英語講師 淞高在籍S7~S17)


【参考文献】
嵩のふもとに・・旧制松江高等学校史 平成2年 旧制松江高等学校同窓会
島根大学HP



  1. 2017/01/22(日) 22:42:35|
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