元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

津森医院(松江市本庄町)その2

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だいぶ前にご紹介した、松江市本庄町の津森医院について補足です。

津森医院の築年代について、島根県教育委員会の「島根の近代化遺産」リストでは昭和元年、
文化庁のデータベースでは昭和初期としてあります。
大正天皇が崩御された大正15年12月25日をもって昭和に改元されていますから、
昭和元年は12月25日から12月31日までのわずかの期間しかなかったことになります。
ということで、津森医院は本当に昭和になってから建てられた建物だったのだろうかと
少し疑問というかもやもやしていたわけですが、当時の新聞に素敵な記事を見つけたのでご紹介します。

15104津森医院d
(大正15年10月4日付山陰新聞)

いかがなものでしょうか、大正15年10月の新聞に、津森医院が新築落成したことを伝える広告が掲載されていました。
この広告により、津森医院は大正15年の10月には「新築落成」していたことが明らかになりました。
森医院の竣工年については、これまで昭和元年とされてきましたが、
大正15年築としたほうが正確なのではないでしょうか(実質同じ年ではあるのですが)。

※ちなみに、こちらの資料では施工を松江市の伊藤善平としています。
ブログ主的には初めて聞く名前なので、今後、施工・設計についても調べていきたいと思います。




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  1. 2017/08/19(土) 22:52:47|
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旧島根師範学校正門門柱(松江市西川津町)

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久しぶりに島根大学構内を散策していたら、妙なものを発見しました。
教育学部の玄関の向かいにある茂みの中です。

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これは何でしょうか?
門の一部のようにも見えます。

大学構内ということもあって、
大学の前身にあたる学校に関連するものではないか・・・。
と、帰京してから島根大学のサイトなどから古写真を確認してみました。

島根大学のサイトより、こちらの写真をご覧ください
かつて外中原町に所在した旧島根師範学校の正門門柱に酷似しています。

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古写真では、門柱からアーチ状に支柱が伸び、
門の真上にランプが取付けられているのが確認できますが、
現物でも頂部にその跡を確認することが出来ます。
おそらく、この石造物は旧島根師範学校正門の門柱の一部でありましょう。

旧島根師範学校の外中原校舎は明治37年に新築されていますので、
その当時に設置されたものと考えられます。
現在、旧師範学校の敷地は松江市立一中の敷地となっています。
教育学部が西川津に移転する際か、師範学校の遺構が取り壊される際にか、
記念として門柱の一部を移動させたのではないでしょうか。


現在の一中の敷地に何か名残は残っていないか・・・。
と、グーグル様で確認をしたら、このような通用門をみつけました。

図1
古写真の門柱と同様のデザイン・素材なので、師範学校時代の遺構と思われます。
敷地を取り囲む石垣も、師範学校時代の物のように見受けられます。

※いつも拝見している、島根大学ミュージアム様にもこの件をご連絡したところ、
  さっそく調べていただき、「島根大学ミュージアムのブログ」でも門柱を紹介していただいています。
 師範学校の経緯なども詳しく記載されていますのでぜひご覧ください。

【撮影】
平成29年4月

【参考文献】
「松江今昔 市制施行110周年記念写真集」 平成11年 松江市

【参考HP】
島根大学HP




  1. 2017/04/09(日) 12:57:21|
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旧制松江高等学校外国人官舎(島根大学旧奥谷宿舎)その2

DSCF9314.jpg
以前ご紹介した旧制松江高等学校(淞高)の外国人官舎は、
大正13年の建築で、当初は独語講師用(1号官舎)・英語講師用(2号官舎)と、
二棟の官舎が双子のように並んでいたとのことです。

建築当時の新聞記事などが残っていないか調べようと思ったのですが、
国会図書館に所蔵している松陽新報、山陰新聞は、
なぜか大正期の分がごっそり抜け落ちており、
調べようがないことがわかりました。残念。

代わりにと言っては何ですが、
昭和12年、火災で英語講師用官舎が焼失した際の記事を確認してみました。

s12330.jpg
(松陽新報昭和12年3月30日付)

「市民の火の用心」
「奥谷火事に鑑みて松江署が一層喚起する」
例年春先になると一家不在中における火事騒ぎが頻出するので
松江署ではかねてより一般市民に対し火気には一段の注意を喚起していた矢先、
二十八日午後奥谷町高校教師ウッドマン氏の留守宅の風呂場の火の不始末から
同家を全焼するに至ったが消防組の活動によって鎮火し隣家への類焼を逃れたが
もし発見が遅かったのと烈風の際は相当の大事に至ることは当然とみられるが、
同署では今後こうした火災を未然に防止すべく一般市民に対し火の用心について
一層の注意を喚起することとなった


高等学校の官舎が焼けたという事件なのでもう少し大きな記事になるかと思いましたが、
火事への注意喚起と絡めたあっさりとした内容となっていました。

近火見舞
(松陽新報昭和12年3月30日付)

上記記事の下欄にには、関係者の近火見舞いの名刺広告が掲載されていました。
高校の事務方が手配をしたのか、新聞社で定型文を用意していたのか、
外国人名と候文の組み合わせが何とも言えない雰囲気をかもしだしています。

名刺広告にある「カルシュ」、「ウッドマン」は、それぞれ下記の通りです。

カルシュ:ヘルマン・フリッツ・カルシュ(独語講師 淞高在籍T14~S14)
ウッドマン:ハロルド・ジョンソン・ウッドマン(英語講師 淞高在籍S7~S17)


【参考文献】
嵩のふもとに・・旧制松江高等学校史 平成2年 旧制松江高等学校同窓会
島根大学HP



  1. 2017/01/22(日) 22:42:35|
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JFしまね恵曇支所古浦出張所(松江市鹿島町古浦)

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旧鹿島町古浦に残る、古い漁協の建物です。


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装飾は少なく、唯一玄関部分だけが洋風の趣です。

数年前まではトンガリの屋根飾りが残っていましたが、

昨年(平成27年)に訪問した際には折れてしまっていました。

 

グーグルストリートビュー(平成24年)では、

玄関上に「恵曇漁港古浦支所」の看板が掲げてありましたが、

今は撤去されています。

漁協も再編を繰り返しており、現在はタイトルにもある通り、

「JFしまね恵曇支所古浦出張所」という名前になっているようです。


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正面より。年輪を重ねた渋い建物ですが建築年はわかりません。

画像では切れていますが、向かって左側に平屋の付属建物が連なっています。


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周囲にも古い建物が連続して現存しており、

昔ながらの漁村の風情が色濃く残っています。

  

 

【建物のプロフィール】
昔の建物名:恵曇漁業協同組合古浦支所

現在の建物名:JFしまね恵曇支所古浦出張所
竣工:?
構造:木造2階建
設計者:?
施工者:?

 

【撮影】

平成279



  1. 2016/10/03(月) 20:35:23|
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旧日本銀行松江支店(松江市殿町)

DSCF9235.jpg
島根県内の代表的な近代建築の一つである、
旧日本銀行松江支店です。

日本銀行の支店が松江にできたのは大正7年、
当時の建物は木造レンガの洋風建築でしたが、
軟弱地故地下金庫が沈下、やむなく昭和13年に
長野宇平治設計により現在の建物に改築されました。

昭和56年に日銀松江支店は母衣町に移転。
島根県が借り受けて分庁舎となりました。
平成8年に松江市に所有がうつり、
平成12年にカラコロ工房として再デビューします。

カラコロ工房のホームページによれば、
昭和63年に取り壊しの上、県庁分庁舎の建設計画が持ち上がりましたが、
その後市民有志の根強い運動の末、建物の保存・活用が決まったとあります。
今では市内を代表する観光施設の一つであり、
京橋川をはさんだカラコロ広場からの眺めは、
堀川めぐりにおける重要な景観スポットとなっています。

CIMG6502.jpg
夜間はライトアップされ、
昼間とは別の優美な姿を京橋川に映し出しています。

DSCF9237.jpg
全景。建物の背後には暖房用のボイラー煙突も残っています。
当時の新聞によれば、全館直接暖房、エレベーターその他設備が完備され、
「他に類例を見ない至れり尽くせり完備さ」とあります。

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設計者である長野宇平治は辰野金吾博士の愛弟子で、
数多くの日銀支店を設計した人物です。
日銀以外では台湾総督府、大倉山精神文化研究所なども有名です。
氏は昭和12年12月に亡くなっておりますから、
日銀松江支店は長野宇平治最晩年の作品ともいえます。



【建物の築年について】
日銀松江支店の建築年は、一般的に「昭和13年」とされています。
「島根県の近代化遺産」では、昭和13年建築都市、
昭和10年10月に工事がはじまり、2年5か月を費やしたとあります。
日銀HPでも昭和13年3月に完成したとありました。

ところが、昭和12年11月の松陽新報に、
日銀の竣工を伝える記事を見つけました。

s121129mi.jpg
昭和12年11月29日付松陽新報

「工費百万円延人員四万人」 
「日銀松江支店竣工す-近代建築美に一異彩を放つ-」

百万円の工費、四万人の延べ人員と一年六か月の期間を要した日本銀行松江支店は
近代文化の粋を集めて清水組の手によって愈々白亜の金融大殿堂として完成したが
その竣工修祓式を二十八日新庁舎に於いて永岡須衛都久神社社司斎主となり、
-中略-荘厳に執行した。
午後は一般行員の家族らに観覧せしめ、
二十九日は特定の有力者のみに観覧を許可することになっている。
尚現在の仮設支店からの引っ越しは十二月三日から三日間に亘って
全部を完了六日から新屋で営業を開始することになっているが

-後略-


新聞にはすでに完成している建物の写真が掲載されています。
(玄関に国旗が掲揚されてあるので、式典の前後と推察されます)
竣工修祓式を昭和12年11月28日に実施していることからして、
日銀松江支店の築年は昭和13年3月ではなく、
昭和12年11月だったのではないか、と、思われるのです。

「島根県の近代化遺産」
起工:昭和10年10月
竣工:昭和13年3月
工期:2年5か月
工費:872,000円

「松陽新報」
起工:昭和11年5月
竣工:昭和12年11月28日
工期:1年6か月
工費:1,000,000円

工期が1年弱ずれてしまっているのはなぜなのか。
旧建物の解体作業などを含めるか含めないか、
というあたりが影響している気もします。

竣工については、竣工修祓式をやった。という記事が出ているのですから、
やはり、昭和12年中には完成していたのではないかと思われます。
登記やそれ以外の何らかの手続き上の関係で、
「書類上」13年3月となっているのでは・・・。
と、思うのですがいかがなものでしょうか。


そもそも、何を以てして「建築年」とするのか。
ブログ主も専門的なことはわからず、
何となく使ってしまっている言葉ではありますが、
実工事が完了した日なのか、竣工式を行った日なのか、
業務が開始された日なのか、「書類上」(登記?)の手続きが完了した日なのか、
何か定義があるものなのでしょうか。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:日本銀行松江支店
現在の建物名:カラコロ工房
竣工:昭和12年年11月(竣工修祓式:S12年11月28日)
構造:鉄筋コンクリート
設計者:長野宇平治
施工者:清水組

【撮影】 
平成24年9月

【参考文献・HP】
松陽新報 昭和12年11月29日付記事
中国地方の西洋館 平成3年 白石直典
島根県の近代化遺産 平成14年 島根県教育委員会
カラコロ工房HP
日本銀行松江支店HP


  1. 2016/09/11(日) 15:34:30|
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