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元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

美保関小学校跡地その5(松江市美保関町)

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美保関の絵葉書シリーズ、今回は赤丸で囲った燈篭について整理したいと思います。

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前回取り上げた産業組合?の建物の先の防波堤にこの燈篭は建っていました。
絵葉書の右手前に写っている灯篭は美保関湾の西側、「弁天波止場の常夜燈」と呼ばれているもので、
天保13年に建立、明治3年に再建されたものです(現地案内板より)。

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上掲の絵葉書の拡大。産業組合?の事務所と共に燈篭が確認できます。

4 031015美保関大灯篭完成t
(昭和3年10月15日付松陽新報より)
この燈篭がいつ建立されたのか、という事については、当時の新聞から明確に特定することが出来ます。
昭和3年10月13日竣工、この年に行われた美保神社の正遷宮祭記念として建てられたことが
新聞記事に記されてありました。

・遷宮祭記念として東波止場先端に設置された
・台座部分の作成は美保関町の大坂某に依頼
・燈篭は松江市の渡部兵之助氏に依頼
・昭和3年7月起工、同年10月13日竣工
・総工費千二百円
・表面に横山美保神社宮司の筆蹟により「神光照海」を刻む
・燈篭には500燭の電灯を設置した

とあります。前述の美保湾西側の弁天波止場燈篭と共に、
美保湾口の灯台の役割を果たすことを企図していたようです。

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この大燈篭は現存しています。
燈篭の表面には新聞記事の通り、「神光照海」の文字がありました。

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東波止場の防波堤はその後延長されており、
それに伴い燈篭の位置も移動しているようです。

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現在は燈篭の先に現代的な灯台が設置されています。

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以上、美保関の東波止場の大燈篭についてまとめました。

美保関小学校の新築が昭和2年12月、
産業組合?の建設も小学校と同じころと推定され、
大燈篭は昭和3年10月完成と、3者の揃った時期が固まっているため、
これ等がまとまって写っている絵葉書であれば、
昭和3年10月以降に撮影されたものと判断することが出来るわけであります。


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  1. 2019/09/21(土) 23:16:33|
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美保関小学校跡地その4(松江市美保関町)

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美保関小学校が写されている絵葉書について整理してきましたが、
今回もそれに関連して、小学校の右手に建っている、赤矢印の物件について
整理してみようと思います。。

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上記絵葉書の建物の拡大画像です。
戦前らしい、役場や産業組合の事務所にありそうな風の建物です。

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この建物、明治期の美保関小学校が写っている絵葉書には姿がありません。

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講堂が新築された大正以降の絵葉書にも姿はありません。

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絵葉書を確認する限り、この建物は昭和2年の美保関小学校と必ずセットで写っています。
このことから、小学校と同時期あるいはそれ以降に建てられたのではないかと思われますが、
以前ご紹介した昭和3年1月の小学校落成式の新聞記事にはこの建物が新築されたという
記述はなく、その前後の新聞でも、まだこの建物に関連した記事を見つけることは出来ていません。

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この建物の用途は何でしょうか?
港のはずれで、建物周辺には倉庫のような建築も多いことから、
漁業系の産業組合の事務所だったのではないかとブログ主は考えています。

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この建物は平成の中頃まで残っていました。
写真は平成15年、大学生だったブログ主が美保関に遊びに行った際に偶然撮影していたものです。
まだデジカメでなくフィルム撮影でコマも限られていたというのに、
よくこの物件を撮影していたものだと、当時の自分に驚き、呆れます。

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絵葉書の姿と比べると、玄関の庇が失われてはいますが、それ以外は概ね当時のままでした。
廃墟然としていますが、物置のような使われ方をしていたように記憶しています。
平成29年に訪問した際にはすでに建物は無くなっていました。

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これは完全な妄想なのですが、この建物は明治に建てられた
美保関小学校の部材を転用しているのではないでしょうか。

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比べてみますと、屋根が寄棟/入母屋という致命的な違いにまず気づきますし、
奥行きも小学校の方が深いことが分かります。
ただ、桁行で見ると長さは同じようですし、何より窓割がほぼ一致しています。

・当時は解体した部材の再利用は一般的
・美保関の地形上、大型建築物の新築・解体、資材の運搬は困難を伴う
・昭和2年築の小学校と、当該建物とが絵葉書に出現するタイミング

などから、昭和2年に校舎を新築する際、
解体した明治の校舎の部材で近場に産業組合の事務所を新築した・・・。
などという筋書きも無理はないと思うのですが、
いかんせん、資料がないので妄想の域を越えません。

島根県立図書館に、「美保関新聞」の縮刷版が保存されているということなので、
これを調べれば何かこの建物に関する記述があるかもしれません。







  1. 2019/09/21(土) 11:26:37|
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美保関小学校跡地その3(松江市美保関町)

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前回に引き続き美保関小学校についてのご紹介です。

【奉安庫跡?】
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旧美保関小学校跡地の片隅に、なにやら石垣と階段があるのを見つけました。

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石段を上がると「美保関小学校跡」と記された石碑がありました。
このスペースは何だったのでしょうか?
戦前の小学校にあった奉安庫(殿)の痕ではないか?
というのがブログ主の推測です。

奉安庫(奉安殿)は、学校に下賜された御真影(天皇皇后両陛下のお写真)を
保管するための建物で、戦前に各地の学校に建てられたものです。
独立した建物を建てるケースもあれば、校長室の一郭に庫を設えたり、
様々なケースがあったようではあります。

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こちらは「櫻山小学校」*の奉安庫の絵葉書です。
立派な基壇の上に奉安庫が建っています。
旧美保関小学校跡に残っているのも、奉安庫の基壇だったのでは?ということです。

*櫻山と名の付く小学校は全国に複数あるため、どこの小学校かは現在のところ不明です。

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なかなか立派な装飾が残されています。

011.jpg
手持ちの美保関小学校が写っている絵葉書を色々探してみましたが、
明瞭に奉安庫が写っているものはありませんでした。
赤円内に心の目で見るとそれらしきものが写っているようにも感じられますがどうでしょう・・・。

現段階では、これが奉安庫の跡と確定できる資料は見つけられませんでした。
当時の新聞などを確認すると、奉安庫竣工の記事が出てくるかもしれません。
今後も調査を継続していきたいと思います。


【撮影】
平成29年12月





  1. 2019/09/16(月) 21:36:43|
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美保関小学校跡地その2(松江市美保関町)

030113美保関小学校t
前回、昭和2年築の旧美保関小学校の遺構についてご紹介しましたが、
今回はその続きとして、当時の史料や絵葉書をもとに、
旧美保関小学校の校舎の変遷について整理したいと思います。

図1
この表は、昭和3年の美保関小学校落成式について記載された
松陽新報の記事にあった小学校の歴史と、美保関町誌の記述とを合わせ、
時系列にまとめたものです。

dimg834
島根県有数の観光名所でもある美保関は、
戦前より多くの絵葉書が発行されており、
その絵葉書に小学校が写っているものが少なくありません。

前述のA~Dの小学校に外観上の大きな変化があったであろうイベントに対し、
そのイベントが表されている絵葉書をピックアップしてみて、
視覚的な小学校の変化を整理してみたいと思います。


【A 明治30年、二階建校舎建築】
①
美保関小学校の始まりは仏谷寺本堂を仮校舎としたところからスタートします。
その後、明治8年に現在地、もと藩政時代の番所があったところを校地として、
元の番所の建物を西洋風に改造して校舎に充てたと松陽新報に記されています。
その時代の校舎が写っている絵葉書はまだ見つられていません。
手持ちで最も古いのが、この画像の明治30年に建てられた2階建校舎のものです。

①-1
上記絵葉書の校舎部分の拡大です。
明治30年に番所を改造して建てた校舎を改築したものです。
明瞭な画像ではないですが、あまり洋風の要素がなさそうな建物です。

【B 大正3年、講堂増築】
②
大正3年には、町の公会堂を兼ねた講堂が増築されています。

②-1
なかなか大きな建物だったようで、頭一つ抜けています。
(建てられた位置が高い場所だっただけかもしれません)

【C 昭和2年、増築校舎竣工】
③
前述の通り、昭和2年の12月に、河合藤助設計の新校舎が竣工します。
当時の新聞によれば、旧校舎は講堂と2教室を残し、80%を改築したとあります。
また、改築に先立って旧校舎の移築を行ったとありますから、
おそらく、講堂部分を移動させ、そのうえで校舎の新築を行ったのでありましょう。

③-1
新校舎部分の拡大です。まだ校舎の前に校庭は無く、船を揚げるスペースになっているのが分かります。
校舎の左奥に後ろに続く建物が見えますが、これが移動された講堂なのではないかと思われます。

【D 昭和9年、校庭拡張】
④
昭和9年には校庭が拡張されています。
これは現在も校庭跡として残る、校舎前の敷地のことと思われます。
この変化は絵葉書でも明確に確認することが出来ます。

校庭1
校庭の今。

④-1
絵葉書の拡大。校庭に食い込んでいるような民家がありますが、
移転に応じなかったんでしょうね。

校庭3
海側から現在の校庭の姿。美保関灯台へ通じる道路が出来て、海が遠くなりました。
護岸の石垣は当時のままの様に思われます。


【まとめ】
美保関小学校の変遷についてまとめてみました。
当時の新聞や絵葉書などから、美保関小学校がどのように変化したのかがある程度
整理できたのではないかと思われます。
また、美保関小学校の変遷を整理することで、美保関の絵葉書の撮影年代も、
小学校をベンチマークとすることである程度絞ることが出来るわけであります。

いずれにしても、この地から美保関小学校がなくなって半世紀たつわけですが、
それでも敷地や、土台、石垣などが現在も残されており、まるで古城のように、
往時の面影を偲ぶことが出来るというのは有り難いことですね。

【参考文献】
昭和3年1月13日付松陽新報
美保関町誌上巻 昭和61年 美保関町誌編さん委員会


  1. 2019/09/01(日) 23:53:03|
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美保関小学校跡地その1(松江市美保関町)

①
美保関の町は、美保関湾と海に迫る山との境界に少しだけ開けている土地に沿って、
うねうねと細長い集落が形成されています。
美保神社から青石畳を抜け、歴史を感じさせる町並みを進んでまいりますと、
やがて空き地のような開けた場所へ抜けることができます。

ここは、明治8年から昭和41年まで、美保関小学校があった場所です。
画像右手の空き地は元の校庭だったところです。

② 030113美保関小学校(松陽)
(昭和3年1月13日付松陽新報)
美保関小学校はこの地で何度か増改築を行っていますが、
その中でも上記の新聞記事にある昭和に増築された校舎は
その後、昭和41年の移転まで使用されています。

新聞記事には、校舎の設計は広瀬町の河合藤助、
増築工事の請負は米子市の河津庄太郎で、
昭和2年12月10日に竣工したとありました。

河合藤助は広瀬町の腕の立つ大工さんだったようです。
同じ美保関で登録文化財になっている美保館旧本館(S7)も河合藤助によるものです。
その他、河合藤助が手掛けたものとして、
広瀬小学校(T15)、松江の大橋館(S7)、下山佐小学校(S9)、布部村役場・産組(S10)、
広瀬警察署(S10)、布部小学校(S12)、山佐村役場・産組(S13)などが確認できます。

③ 030113美保関小学校tt
新聞に掲載された昭和3年校舎の拡大です。
高低差があって石垣赤築かれており、その上に校舎が建てられています。
矢印の部分、通気口にご注目ください。

④
上記新聞記事の画像、校舎跡と同じ場所の現在の姿です。
いかがなものでしょうか、当時の石垣・土台・通気口が残っています。

⑤
石垣と通気口のある土台部分は、校舎がなくなった後も残っており、
一部は校舎跡に建てられた民家の土台になっていました。

⑥
中央の階段が、元の玄関の階段でありましょう。

⑦
030113美保関小学校tt
階段部分も当時のままの様に思われます。

⑦」
階段。階段を上がった先は現在、奥に続く民家への路地になっています。

以上、美保関小学校跡地のご紹介でした。
学校がなくなった後も、石垣や校舎の土台がそのまま残っているのは
なかなか珍しいケースなのではないかと思います。

⑧
今回ご紹介した美保関小学校のこの校舎は、美保関を写した絵葉書にもよく登場しています。
次回以降、絵葉書に写る美保関小学校の変化を踏まえて、
絵葉書の年代特定と小学校の校舎の変遷について整理します。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:美保関小学校
竣工:昭和2年12月
構造:木造
設計者:河合藤助
施工者:河津庄太郎

【撮影】 
平成29年12月

【参考文献】
昭和3年1月13日付松陽新報
美保関町誌上巻 昭和61年 美保関町誌編さん委員会



  1. 2019/08/13(火) 11:13:46|
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