元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

出雲横田駅(奥出雲町横田)

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出雲横田駅は木次線の要衝、駅舎は開業当初以来の木造駅舎です。

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昭和8年11月20日付山陰新聞

木次線の出雲三成~八川間は、昭和9年11月開業しました。
開業に伴い設置された駅は亀嵩、出雲横田、八川の三駅で、
いずれの駅舎も現在まで開業当初の姿を残しています。

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新聞記事に掲載された開業区間の駅写真、上より、出雲横田駅、亀嵩駅、八川駅です。
すでに八川駅はご紹介していますが
亀嵩駅も玄関の位置が左右逆なだけで、八川駅とほぼ同じスタイルです。
これに対して出雲横田駅は社殿風で一段と立派な駅舎です。

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注連縄が印象的な玄関、神話のふるさと奥出雲らしいたたずまいです。

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「島根の近代化遺産」によれば、
建設にあたり、「神話の里、奥出雲にふさわしい駅舎を建設してほしい」という
地元の要望をくんで設計され、宮大工を呼び寄せて建てられたとのことです。

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外壁木部は校倉造り風のしつらえになっています。

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ホーム側からの眺め。
駅舎隣のトイレも、駅舎のデザインに合わせてあります。

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列車の本数の少ない木次線ですが、
駅舎の撮影中にトロッコ列車「奥出雲おろち号」が入線してきました。

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出雲横田駅周辺には、神話にまつわるスポットも数多く点在しています。
ぜひとも途中下車して駅を愛でつつ神話の里めぐりをしたいものです。

【撮影】
平成29年4月

【参考文献】
「島根の近代化遺産」  平成14年 島根県教育委員会

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  1. 2017/04/16(日) 23:16:53|
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海潮の歯科医院(雲南市大東町)

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旧大東町の海潮でこんな素敵なお医者さんを見つけました。
古風な門柱に洋館、典型的な戦前のお医者様です。

2
完全な洋館ではなく、何となく和風のテイストも漂います。

3
アーチな玄関庇が楽しい感じです。

4
近くにはこのような建物も。駐在所でしょうか?

【撮影】
平成29年4月

  1. 2017/04/09(日) 13:55:32|
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旧加茂信用組合その2(雲南市加茂町)

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旧加茂町中心部に現存する旧加茂信用組合事務所について、
竣工当時の新聞を確認しましたので続編をお送りします。

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松陽新報(昭和5年11月8日付)

「加茂町信組事務所成る 雲南随一のモダン事務所」
加茂信用組合は去る大正15年4月優良組合として島根支会より表彰されたが、
爾来、組合員の自主的観念も漸次高まり、事業分量も頓に増加し、
事務所の狭隘を告げたので本年一月の総会にて新築を決議し、
駅前目貫の場所に敷地百坪を購入し四月起工し、
近世式木骨鉄網コンクリート造、県下稀に見るモダン事務所の新築中であったが、
この程竣工し本八日その落成式を挙ぐる事となった。
(中略)
新築事務所は
本館:幅員四間奥行六間八分、
高さパラペット上端まで二十七尺階段室二間二部四方。
倉庫:梁行二間五分桁行三間壱棟
便所物置:梁行一間二分、桁行六間二分一棟
工費:本館及階段室八千三百円、
付属舎八百二十円暖房照明三百五十円を要し、
工事は信用組合員である職工組合に請負はしめ
人夫材料も全部組合員の手によって充足し
所謂町産奨励による等不況対策として
資するところ頗る大なるものがあったと共に、
組合員も我等の組合事務所という熱愛の犠牲的信念に燃え、
一本の釘一塊のセメントにもこうした力が込められて
内容外観ともに完備した工事を進められ、
今や加茂中駅前を飾る一大偉観を呈するに至った。
(以下略)

「組合精神の表れ 組合長佐藤元造氏談」
菊花秀麗に薫り、
半歳にわたりましたわれらの組合事務所新築の工もここに竣えまして、
駅前にそそりたちレーテスト式(ブログ主注 最新式)の
雄々しい姿を前にして感慨無量にたえぬものがあります。
(中略)
事務所新築を計画し、本年一月の総会で満場一致の同意を得まして、
工を起こすことになったのであります。
工事請負者は組合員たる職工団体に指命しまして、
職工延人員千二百平人夫に至る迄全部組合員の手によりて、施工、
建築材料も大部分組合員の手により供給せられましたのは、
現時の不況対策にもあづかって力あるものと信じます、
尚又、我等の組合事務所と言う責任観念により一挺の鏝、
一振の鎚にも皆之れ組合敬愛の熱情がブチ込まれているので、
往々他に見る様な施工上の粗略などもなく、
この点は大に誇るに足るものと信じます。
建築様式は耐火を考慮し鉄筋コンクリート防火壁を設けまして
事務所自体の災害を予防すると共に、
連坦地の防火線たることを期しています。
本館は木骨鉄網コンクリート造りとし、
前面と側面の大部は石目タイル張と背面は黄龍石洗出塗、
内部はドロマイト仕上げとし、
事務室丈は吹抜き格天井応接室の階上は会議室とし、
ここは反音防止のため天井はエンソボードを使用し、
階段室によりて昇降しています。
屋根は耐重の関係上銅板張りにスパニッシュ瓦を棒引にし、
雨水はパラペット内側の谷より外部に排出の設備をなし、
尚、避雷針によりて万一の場合に備えています
将来のスピード時代を慮り振動のために生ずる壁体の亀裂に
従来此の種の建築物において多分に味っている欠陥に鑑みて
基礎工事と屋根には最も重要視いたしましたので
工費の約四割を充当したのであります
(以下略)


以上、長文となりましたが、新聞記事より、
建物の詳細に架かる部分を抜き出しました。

当時の新聞に、新築の記事は少なくありませんが、
ここまで詳細に建築の経緯、
建物のプロフィール等が詳しく掲載されているのは珍しいです。

建築の背景として、
町内の職工組合に工事を請け負わせた旨の記述があり、
事務所新築が不況下の対策の一環として活かされたことが窺えます。

建物は木骨鉄網コンクリート造りということが記されています。
鉄筋ではなく、木骨で鉄網コンクリート造りというのが珍しく感じます。
茨城県筑西市(旧下館市)に、同じく木骨鉄網コンクリート造りの
「一木歯科医院」が現存しています。
こちらは大正11年築で国の登録有形文化財になっています。

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「一木歯科医院」(T11年築 H28.5撮影)

筑西市のHPでは
「鉄網コンクリート仕上げは、金網を張りその上にコンクリートを厚く塗るもので、
この方法による建物は全国的にも少なく貴重なものです」
とあります。

そうなりますとこの旧加茂信用組合も、
木骨鉄網コンクリート造りの数少ない現存例として
貴重ということになりましょうか。


基礎工事についても興味深い記載があります。
「将来のスピード時代を慮り振動のために生ずる壁体の亀裂に
従来此の種の建築物において多分に味っている欠陥に鑑みて
基礎工事と屋根には最も重要視いたしましたので
工費の約四割を充当したのであります」

つまり、今後、自動車交通がより進歩することを予測して、
その振動からくる建物の損傷を防ぐために、
基礎工事に対して相当の配慮をしたということです。
「従来此の種の建築物において多分に味っている欠陥」
ということから、当時すでに、自動車などの振動によって、
建築物が損傷していたということもうかがえます。

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そのほか記事に記載されている建物の特徴をみてみます。
・前面と側面の大部は石目タイル張と背面は黄龍石洗出塗
→現在も正面ならびに側面にはタイルが残り、新聞の記述通りです。

・事務室丈は吹抜き格天井応接室の階上は会議室とし
→当初は事務所部分は吹抜けだったことが分かります。
 現状は不明ですが、店舗に改造した際に吹抜けはなくなっているかもしれません。

・階段室によりて昇降しています
→階段室は現在も確認できます。

・屋根は耐重の関係上銅板張りにスパニッシュ瓦を棒引にし
・雨水はパラペット内側の谷より外部に排出の設備をなし
→もともとは屋根を隠すまでのファサード丈があったようですが、
現在はファサード上部が削られています。

・避雷針によりて万一の場合に備えています
→それらしいものが屋根に確認できます。

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当時の記事より、建物だけをトリミングしてみました。
前庭があり、いかにも「事務所」といった風情です。
玄関上部には事務所名が掲げられており、
ファサードの中央上部には、
組合のものでしょうか、紋章が飾られています。

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現在の姿です。
店舗として使用されているので、
建物前面に増築がなされるなど、改造されています。

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竣工当時と現在の姿とを比べてみると、印象が全く異なります。
まず、玄関部分が前面に増築されている点が一番大きな改変箇所でが、
その他、ファサード上部が削られ、雨どいが露出していること、
縦横の飾り柱が削られていることなどがあげられます。
横方向帯状にタイルの色合いが異なるのは、
この部分の装飾を撤去した跡だったことがわかります。

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最後にこの建物の設計者ですが、上記新聞記事の名刺広告より、
大社町の木須井溥文という人が携わったことがわかりました。

この、木須井溥文という方は、
大社町に住んでいた建築家のようですが詳細は不明です。

当時の新聞を確認しますと、
窪田村信用組合事務所(S4)
窪田小学校(S8)
荒木村産業組合事務所(S11)
などを手掛けていたことがわかりました。

上記の建築のうち、
荒木村産業組合事務所は鉄筋コンクリート造りであることから、
木造だけでなく、この加茂信用組合も含め、
それなりに専門的な技術を持っていたようにも見受けられます。

戦前期に島根県内で活躍した建築家に関しては、
まとまった資料がなさそうなので、今後研究が必要です。

  1. 2016/05/29(日) 14:39:26|
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旧斐伊村信用組合農業倉庫(雲南市木次町里方)

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旧斐伊村の産業組合倉庫が木次町里方に現存しています。

島根県の近代化遺産リストによりますと、
昭和14年築とのことです。

この建物のすぐ近くに以前ご紹介した
斐伊村役場の建物が残っておりますので、
ここが斐伊村の中心地だったことがしのばれます。

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建物前面のトタン張りとなっているところには、
元々は事務作業や軽作業をするための平屋の前室が付属していたはずです。

戦前の産業組合(信用組合)やその付属施設である農業倉庫に関しては、
安城市の埋蔵文化財センターHPに非常に詳しく記載があり参考になります。

上述HPによると
『明治45年(1912)5月の米穀検査の施工を契機に、
産業組合による米穀の保管・共同販売業務と検査を行うために
設置され始めたのが農業倉庫です。』
と、あります。

産業組合(信用組合)は戦前にほとんどの市町村で設立され、
戦後それはJAの母体となっていきます。

現在でも、地方の町のJAの裏や、駅の隅のほうなどに
古い倉庫が建っているのを見かけることができますが、
これは、戦前の産業組合が建てた農業倉庫の名残というわけです。
※駅にある倉庫は通運会社が建てたものの場合もあります。

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ブログ主も近代化遺産リストでその存在を理解したものであります。
予備知識がないと「古い倉庫がある」。くらいにしか感じませんね。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:斐伊村信用組合農業倉庫
現在の建物名:民間倉庫
竣工:昭和14年
構造:?
設計者:?
施工者:?


【撮影】
平成27年9月

【参考文献】
島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書 平成14年 島根県教育委員会
安城市埋蔵文化財センターHP

  1. 2016/03/19(土) 18:51:41|
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寺領小学校旧校舎(雲南市木次町)  

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木次町の「健康の森」に移築されている、
寺領小学校の木造旧校舎です。

寺領小学校は元の日登村、現在の木次町日登に所在する
明治7年開校の歴史の古い小学校です。

現存している木造校舎は大正13年築、
平成4年の校舎新築まで使用されました。
平成5年に建物の長さを短縮した上で、
木次町内の「健康の森」に移築され、「創作研修棟」として、
宿泊施設・体験学習の場として活用されています。

図1
上記は昭和49年に刊行された「寺領小学校校誌」に掲載されていた
校舎の変遷に関する図をブログ主が編集したものです。

現存する校舎は上図の黄色部分、「前館」と呼ばれていた校舎です
島根県の近代化遺産リストでは健康の森に保存されている当該校舎の築年を
昭和12年としていますが、上掲の「寺領小学校校誌」、「あかつち 新築記念誌」より、
保存されているのは大正13年に建てられた「前館」校舎であることがわかります。

昭和12年には、前館校舎の背後にあった、
明治・大正期の校舎群を建て替え、
「後館」校舎(北校舎)が新築されました。

近代化遺産リストが築年を昭和12年としてしまったのは、
後館の築年を混同してしまったものでありましょう。

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建物を観察してまいりましょう。
特徴的な和風の立派な玄関です。

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大正から昭和初期の校舎にはこのようなお寺のような
立派な玄関が付いているのが多い気がします。

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玄関から中を覗いてみました。
玄関の真ん中に柱が建っているというのがちょっと不思議。
移築時の短縮に伴い、間取りも改変されている可能性があります。

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短縮されたとはいえ、堂々とした佇まいです。

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「健康の森」にはもう一棟、
寺領小学校に関連する建物があります。

上掲の「あかつち 新築記念誌」によれば、
『旧校舎の材木を使って平屋の休憩室を建てる』とあります。
切妻屋根や切妻部分のデザイン、板張りの様式などからして、
昭和12年築の「後館」校舎の部材を使ったのではないかと思われます。

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以上、寺領小学校旧校舎でした。

一口に「戦前の木造校舎」といっても、
明治、大正、昭和(~5年くらい)、昭和10年代と、
少しづつ様式が変わっていくような気がします。
戦前の木造校舎のデザインの変遷ついては、
もっとサンプルを増やして分析をしてみたいと思います。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:寺領小学校
現在の建物名:健康の森「創作研修棟」
竣工:大正13年(平成5年、短縮の上移築)
構造:木造2階建て
設計者:寺本佐太郎
施工者:周藤嘉太郎

【撮影】
平成25年9月

【参考文献】
「寺領小学校校誌」 昭和49年 寺領小学校開校百周年記念委員会
「あかつち 新築記念誌」 平成6年 寺領小学校・寺領幼稚園建設実行委員会
「島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書」 平成14年 島根県教育委員会















  1. 2016/02/05(金) 22:18:39|
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