元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

浜原駅(美郷町浜原)

1_2015071111101608f.jpg
三江線の浜原駅は昭和12年、石見簗瀬-浜原間の部分開通の際に開業し、
昭和50年の全線開通まで長らく三江線(三江北線)の終着駅でした。

そんな浜原駅には玄関に長く伸びた庇が特徴的な
木造モルタルの駅舎が現存しています。

この駅舎、シンプルな姿で、モダンな戦前築とも、
戦後築とも、どちらにもとれるデザインで、
実際に建築されたのは開業時なのか、それとも戦後になって建てられたのか、
明確にされた資料がなく、築年の断定ができないでいました。

色々と資料を探したのですが、いずれの資料も浜原駅の「開業」が
昭和12年であることは明記されていても、
駅舎がいつ建てられたのかということには触れられていないのです。

例によって松陽新報の開業当時の記事に、この駅舎の写真を確認し、
開業当時からの駅舎、昭和12年築であることが明らかになりました。

(昔のことを調べるときには、当時の新聞を読んでみるのが
一番手っ取り早いような気がしてきました。)

2_201507111110178ef.jpg
松陽新報 昭和12年10月12日付新聞記事より抜粋

3_20150711111018edb.jpg
開業当時と現在の姿とを見比べてみると、
窓がアルミサッシ化されたほかはあまり改造もなく、
現在もほぼ開業当時の姿を保っていることがわかります。

4_201507111110199a9.jpg
浜原駅最大のポイントである玄関。
これだけ庇が広いと、雨が降っても安心ですね。

5_20150711111020b04.jpg
庇を支える腕が美しい弧を描いています。

6_201507111111106c9.jpg
浜原駅の時刻表を見てみましょう。
江津方面は日に5本、三次方面は日に4本しか列車がありません。
三次方面に至っては、7時47分の列車を逃すと、
夕方17時1分まで待たねばなりません。

これでは利用したくても利用しにくいですよね。
とはいいながら、沿線人口も少なく、本数を何本か増やしたところで
地域の一般の利用者の増加はあまり望めそうもありませんから、
観光や陰陽連絡の方面で何とかもう少し有効活用出来たらいいのですが。

7_20150711111111997.jpg
賑わっていたころの名残なのでしょうか、ホームは長いです。

8_20150711111112cef.jpg
改札口のあたり。現在、浜原駅は無人駅になっています。

9_2015071111111405a.jpg
ちょっとレトロな駅名看板が残っています。


【撮影】 
平成24年9月

【参考文献】
松陽新報 昭和12年10月12日付新聞記事
島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書 平成14年 島根県教育委員会
石見潟第25号 平成21年 江津市文化財研究会


スポンサーサイト
  1. 2015/07/11(土) 11:20:29|
  2. 島根県の近代建築・石見地方
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

旧上田所郵便局(邑南町上田所)

国道261号線を走っていたら、
上田所の集落に洋風建築を見つけました。

1
こんな具合に。

2
近づいてみると、縦長窓の洋風建築ではないですか!?

3
国道から細道を下ると建物の前まで。

4
下見板張りに縦長の窓。

5
建物の中を覗きましたがカウンターがあり、
郵便局だったような雰囲気です。

6
玄関部分のデザインが古風です。

7

8
このようなデザインをなんというのかわかりませんが、
明治か大正くらいまでさかのぼるのではないでしょうか。

9
縦長の上げ下げ窓。

10
東側の窓は引き違い窓でした。
建物裏側の水回りに若干の改装が見られますが、
それ以外はほとんど手が加えられていないように思われます。

11
小ぶりな建物ではありますが、
ここまで立派(本格的)な洋風建築が、
原形を損なわずに、かつ状態の良いままで現存しているのは
島根県内でも希少なのではないかと思います。

邑南町には「旧田所小学校講堂」という、有名物件がありますが、
当該の建物は「島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書」のリストに記載がなく、
詳細が分かりませんでした。

デザイン的に、明治から大正くらいまでの間に建てられた建物と思いました。
邑南町の郷土資料を何点か調べてみましたが、
この建物の手がかりになりそうな資料は見つけられませんでした。

そこで邑南町の教育委員会に問い合わせてみましたところ、
・詳細は分からない
・旧上田所郵便局の局舎
・大正はじめ頃の建築らしい
以上のことを教えていただきました。

このような素晴らしい近代建築が人知れず残っていたとは、
近年最大の発見でした(ブログ主的に)。
大正初期の地方の洋風郵便局建築が、
極めて良好な状態で残されており、
文化財級の貴重な物件だと思われます。
なぜ「島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書」リストから
漏らしてしまったのでしょうか??

現在は空家のようで、一部の窓ガラスも割れています。
地域の歴史を語る貴重な洋風建築を
このまま朽ちさせるのはあまりにももったいないと思います。

(おまけ)
図2
郵便局前にこのような石柱が立っていました。
かなり風化していて文字が読みにくいのですが、
なんとか解読してみます。

図1
指さす左手がおちゃめです。
郵便局前で右に曲がると、下田所、断魚渓方面へ。

図3
「明治卅一年三月」とありました。
「卅」かどうか不明瞭ですが、とにかく明治時代に建立された道しるべのようです。


【撮影】 
平成26年4月

【御礼】
邑南町教育委員会へ問い合わせをさせていただいたところ、
ご丁寧に回答をいただきました。
どうもありがとうございました。

  1. 2015/02/22(日) 23:09:38|
  2. 島根県の近代建築・石見地方
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

津和野郷土館(津和野町森村)

1_20140727202521d23.jpg
観光地津和野のハイライトといえば、白壁と水路の殿町通りと、
津和野大橋周辺の風情であります。
その津和野大橋のたもとに、「津和野町郷土館」が建っています。

3_20140727202524254.jpg
周囲を塀と長屋門、木とに囲まれ、建物全体を撮るのが難しいのが難点です。

2_20140727202523543.jpg
建物は昭和15年築。洋風デザインにせず、あえて屋根を載せたのは
周辺の景観に合わせるためでありましょうか。

現地の案内板によると、「郷土館」は大正10年に設立。
当時は島根県内唯一の郷土博物館だったとのこと。

現建物は昭和15年、紀元2600年記念事業の一環で建設され、
戦中の一時休館を経て昭和29年までは町役場として利用されていたそうです。

4_20140727202525778.jpg

5_201407272025266aa.jpg
柱や破風のデザインは寺院風です。

6_20140727202554750.jpg
建物の裏側から。

【撮影】 
平成26年4月






  1. 2014/07/26(土) 22:36:40|
  2. 島根県の近代建築・石見地方
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

旧布施時計店(津和野町後田字本町)

CIMG1203.jpg
津和野といえば、鯉の泳ぐ水路、古い町並みが殊に有名です。
街歩きをしていても、大変しっとりとした風情が感じられて、
山陰の小京都(あまり好きな言葉ではありませんが)というにふさわしい情景です。

古い町並みは残されておるのですが、意外に「近代建築」的な建物の現存は少なく、
その中でこの旧布施時計店は江戸から昭和初期の商家建築が立ち並ぶ通りにあって、
異色といっていいほどの戦前築のモダン建築であります。

島根県近代化遺産リストでは昭和5年頃の築としていますが、
島根県HP掲載の登録有形文化財リストでは、昭和9年の建築としています。
「日本近代建築総覧」でも昭和9年としていますので、
おそらく、昭和9年の建築ということでよいのでしょう。
日本近代建築総覧では、設計者を「大畑建築事務所」※としています。


※大畑建築事務所=大畑利一郎、益田に事務所を構えていたようで、
  他の作品として 鎌手村産業組合事務所(S11)、益田共存病院(S11)などが確認できます。


CIMG1206.jpg
基本的に直線的なデザインなのですが、その中にあって、
3つの丸窓が良いアクセントになっていますね。

CIMG1202.jpg
側面から見ると、看板建築的な要素を持っていることがわかります。

CIMG1221.jpg
カッコイイ建物です。
現在は山陰中央新報の津和野支局となっています。

CIMG1219.jpg
元店舗だっただけあり、玄関周りも凝った作りになっているのがわかります。
扉両側のポスターを貼ってある場所はショウウインドウでしょう。


【建物のプロフィール】
昔の建物名:布施時計店
現在の建物名:山陰中央新報津和野支局
竣工:昭和9年
構造:木造2階建
設計者:大畑建築事務所
施工者:?


【撮影】
平成26年4月

【参考文献】
日本近代建築総覧 昭和58年 日本建築学会
島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書 平成14年 島根県教育委員会
島根県HP

※青字部分平成29年1月加筆
  1. 2014/05/24(土) 13:17:56|
  2. 島根県の近代建築・石見地方
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

旧横道小学校(津和野町左鐙)

CIMG0961.jpg
津和野町(もとの日原町)左鐙の上横道地区に残る、旧横道小学校の校舎です。

CIMG0958.jpg
上横道地区は「杣の里よこみち」として、地域全体を自然体験の里として位置づけており、
平成2年に廃校となった横道小学校は、宿泊や体験の中核施設「杣の館」として活用されています。


地域の郷土資料「左鐙誌」より、横道小学校のプロフィールを抜き出してみます。

横道小学校の前身は明治7年に創立しており、
明治29年に現在の場所に校舎を新築移転しています。
昭和8年には「横道校校舎新築期成同盟会」が結成され、校舎改築の嘆願書が出されたそうです。
校舎が建てられてから35年、校舎の老朽化が進み、設備も貧弱なことから、
地域・父兄から校舎建て替えの運動が起こったようです。

その後、諸般の事情からなかなか改築の話は進まなかったようですが、
昭和15年になって校舎の新築が進められることになります。

昭和15年12月に起工し、翌昭和16年3月26日に上棟式を行ったところ、
翌日27日に強風によって上棟式を行ったばかりの校舎が倒壊し、けが人を出したとあります。
完工は昭和16年12月11日と、なんと日米開戦3日後という時期であります。

昭和16年築の近代建築というのはなかなかお目にかかることができないと思います。
支那事変勃発後、学校校舎等の建築についても資材の統制が厳しくなったと聞いていましたが、
昭和15年の段階で校舎建築を進めることができたのは、この地区が林業で栄えた土地柄だったからでしょうか。

学校名の変遷は以下の通りであります。
明治29年   左鐙尋常小学校
昭和22年4月  左鐙小学校横道分教場
昭和23年3月  横道小学校

CIMG0959.jpg

CIMG0960.jpg
素朴な雰囲気の校舎です。

CIMG0957.jpg
校門から。

【撮影】 
平成26年4月

【参考文献】
左鐙誌 昭和44年 木村義明(左鐙郷土史研究会)
日原町史(近代・上巻) 昭和51年 日原町
「杣の里よこみち」HP


  1. 2014/05/11(日) 21:53:31|
  2. 島根県の近代建築・石見地方
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ