元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

旧和栗銀行本店(JAいずも知井宮支店)その2

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山陰本線西出雲駅前の旧和栗銀行についての続報です。

大正15年4月16日付の山陰新聞をご覧ください。
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(山陰新聞 大正15年4月16日付)

当時の知井宮村の役場を、旧和栗銀行本店建物に移転したことが記されています。

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大正15年当時の旧和栗銀行の姿が写し出されていました。
現在はモルタル塗り風ですが、当時は石造り風の装飾の多いデザインだったことが分かります。
玄関庇部分はバルコニー風な感じです。

和洋折衷ではなく、本格的な様式建築であることから、地元の大工が建てたというものではなく、
大阪方面の著名な建築家に設計を依頼した可能性も考えられると思います。

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現在の姿。外装は変わってしまいましたが屋根の形状はほぼ当時のままのようです。

新聞記事には建物について下記の通り記されています。

役場庁舎既に老朽して改築の止むなきに迫られた時も恰も
和栗銀行は雲陽(実業)銀行と合併してその本店庁舎は不要となったので譲受の交渉を開始した結果
大正14年9月売買契約を締結して本年1月敷地を除く建物一切を一万三千円にて買収し
同(大正15年1月)21日移転したものであるがもとより和栗銀行本店庁舎であっただけあって
当時数万円を投じて新築のルネサンス式建築物とて
全国を通じてあまり類を見ないであろうと自他共に許している


以上のことから、大正14年に和栗銀行が雲陽実業銀行と合併解散後、空き家となっていたものを、
役場が腐朽していた知井宮村が買い取り、大正15年1月より知井宮村役場として使用開始した。
という事が分かり、これで建築から現在に至る迄の建物の歴史がつながる事となりました。

残念ながらこの旧和栗銀行の建物は、平成25年にJA知井宮支店が他のJA支店と統合となって、
西出雲駅の南側に新築移転し、建物はJAの史料から察するに平成26年頃に解体されてしまったようです。
島根県内でもかなり古い時代の本格的な洋風建築であり、
かつ、近代の地方小規模銀行の歴史を伝える物件として貴重な存在であったので、
これは非常に残念な結果となってしまいました。

改めて経歴をまとめてみます(赤字が建物の経緯)。
大正2年:和栗銀行開業
大正3年:和栗銀行本店として竣工
大正14年:和栗銀行解散
大正15年:知井宮村役場
昭和18年 知井宮村、布智村が合併して神門村成立
時期不明:神門村役場となる
昭和23年:神門村農協発足
昭和31年:神門村が出雲市と合併
時期不明:出雲市役所神門支所となる
昭和37年:神門農協事務所となる
昭和38年:神門農協解散、出雲市農協と合併、出雲市農協知井宮支店となる
平成26年:解体


島根のJAはここ最近再編が多い事もあるのでしょうが、
歴史的な建築物が近年になって立て続けに解体されており(柿木・鎌手・荘原・知井宮など)、
せっかくの地域の遺産なのですから、何とか町おこしなどで活用できなかったものなのかなぁ
と、残念に感じてしまいます(なかなか難しいのだとは思いますが・・・)。


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  1. 2017/11/18(土) 22:44:55|
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来原岩樋の水門上屋(出雲市大津町来原)

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来原岩樋は元禄年間、斐伊川から高瀬川への取水口として築かれた水門設備です。
出雲今市の街中を通る高瀬川は出雲平野を潤すための農業用水として大梶七兵衛によって開削されました。
当初の斐伊川からの取水口は木で作られていたそうですが、これが洪水などで破損する恐れがあった為、
岩樋(つまりトンネル)を掘って取水口を新たに設けたものです(岩盤を掘り抜いて導水することで、
岩盤が天然の堤防としての役割を果たして取水口を守ることが出来るということだと思います)。

用水の取水口としての役割だけでなく、斐伊川と高瀬川をつなぐ高瀬舟の水運にも利用されましたが、
水位の異なる二つの川を通るために、岩樋に設けられたゲートを上下させることで水位を調整しながら船を通過させる
「閘門」も機能も持っていたそうで、土木学会の選奨土木遺産にもなっています。

※以上のようにわが国の貴重な物件であり、行政側でも岩樋周辺を保全して綺麗に整備してくださっているのですが、
肝心の「岩樋」部分は奥まったところにあって、一般の見学では見ることができないのが残念なところであります。
写真で見ると非常に迫力があって、見応えがあるのに残念なことです。
近くまで行けると良いのですが・・・。


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来原岩樋の閘門機能については、現地の説明版に丁寧な説明がありました。

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ご紹介する物件は、上記の2画像とは岩樋をくぐって斐伊川側、
斐伊川からの取水口の水門部分にかけられた上屋の部分です。

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元々は斐伊川に直接面していたのだと思うのですが、
現在は県道と改修された高い堤防に囲まれて、やや存在感が薄くなってしまっています。

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外観はご覧の通りいたってシンプルなデザインです。

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建物正面にはこのような立派な額が設置されています。
一部達筆すぎて読めませんがおおよそ下記の通り記されています。
「来原岩樋 元禄〇開 大梶氏開鑿 島根県知事 男爵大森佳一 書」

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建物入口の脇には、このような名板も設置されていました。
「岩樋上家改築 昭和5年5月」
これにより、この上屋が昭和5年築ということが分かりました。
山陰新聞、松陽新報の昭和5年頃の記事を調査中ですが、
今のところ当該上屋新築に関する記事は見つけられていません。

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入口から柵越しに中を覗いてみますと、木製の水門設備の跡が確認できました。
現在は岩樋の向こう側に水門設備が設置されているので、こちらは使用されていない様子です。

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水門設備の下では、水がジャージャーと岩樋に流れ込む音が響いていました。

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上屋と取水口の全貌。現在もここから水が取り込まれて、高瀬川へと通じているわけであります。


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:来原岩樋上屋
竣工:昭和5年5月
構造:?
設計者:?
施工者:?

【撮影】 
平成27年9月

【参考文献・HP】
写真集明治大正昭和出雲 昭和54年 石塚尊俊・ 原宏一
土木学会選奨土木遺産「来原岩樋」
中国建設弘済会資料
出雲市資料「来原岩樋の土木学会選奨土木遺産認定について」

  1. 2017/08/01(火) 23:17:13|
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旧簸川銀行本店その3(出雲市今市町)

新築本店
その2に引き続き、出雲市の「旧簸川銀行本店」について、
資料をもとに考察を加えたいと思います。

<落成式を伝える山陰新聞>

現在残る建物が建築された当時の新聞記事に、建物に関する記載がないか、
下記のような記事をみつけました。
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山陰新聞大正9年2月17日

「簸川銀行落成式」
簸川郡今市町簸川銀行は昨年末竣工と共に移転せるが
来る二十一日午後一時より簸川郡会議事堂に於いて落成式を挙行する由



いかがなものでしょうか、注目すべきは、
「昨年末竣工と共に移転せるが」という箇所です。
さまざまな資料で、旧簸川銀行本店の竣工年を大正9年としていますが、
この新聞記事からすると、実際に建物が完成して使われ始めたのは、
大正8年の12月ごろということになります。

近代建築や近代化遺産といった分野を研究する上で、
竣工をもって竣工年(完成年)とするのか、
正式な竣工式の開催をもって竣工年とするのか、
そのあたりのルールや定義のようなものがあるのかどうかは知らないのですが、
単純に建物が完成して使われ始めた。という点で竣工年を考えると、
旧簸川銀行本店の竣工は、従来大正9年とされてきましたが、
実際のところは大正8年という事になるのではないかと思います。

前年(大正8年)暮れに完成したとのことだったので、
大正8年12月の山陰新聞も調べてみたのですが、
それらしい記事を見つけるに至っていません。

ご参考まで?、落成式の記事もご紹介します。
図1s
山陰新聞大正9年2月23日

「簸川銀行落成式」「昨日盛大に挙行」
簸川郡今市町簸川銀行新築落成式を22日午後1時より簸川郡役所に於て挙行せり
当日銀行は門前に幔幕を張り国旗を交差して装飾を施し
午後一時数発の煙火を合図に関係者は式場郡会議事所に集合せり
(以下略)


落成式は300余名も集めて華々しく挙行されたと記事にあります。

tizus.jpg
落成式の行われた「簸川郡役所」ですが、
落成記念絵葉書にその位置が記されていました。
地図の位置からして、現在の県道277号線沿いにあったと思われますが、
今は跡形もありません。

(まとめ)
これまで旧簸川銀行本店の建築年は、大正9年とされてきたが、
当時の新聞では大正8年の暮れには完成していたことがわかった。


  1. 2017/04/30(日) 23:35:04|
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旧簸川銀行本店その2(出雲市今市町)

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以前ご紹介した出雲市の「旧簸川銀行本店」について、
その後、新たな資料も増えましたので、少し考察を加えたいと思います。

<新築記念絵葉書からの考察>
2
ヤフーオークションで、簸川銀行本店新築記念の絵葉書を手に入れました。
当該の絵葉書には、新店舗・旧店舗の写真のほか、
当時の今市町の地図があしらわれています。
地図には新店舗、旧店舗それぞれの位置や、
町内の官公庁等の主要施設の位置も記載されて、
当時の出雲今市の町の姿を知る上で大変貴重な資料です。

(新築当初の姿について)
3
現在の建物には、茶色のタイルが貼られています。
このタイルはブログ主の目から見ると、新築当初のものには見えず、
後年の改修によるものではないかと考えていました。
新築当時の写真があれば、現在の姿と比較できると思っていたのですが、
手に入れた絵葉書では建物の写真が小さく不鮮明で、
あまり詳細が観察できないのが残念なところです。

4
それでも写真を見てみると、建物の色調は現在と変わらないようであり、
拡大して観察してみると、タイルが貼ってあるようにも見えることから、
タイル張り(あるいは化粧レンガ張り)は、後年の改修ではなく、
当初からのデザイン(あるいはそれを踏襲したもの)であることが推察されます。

5_20170427231221ac8.jpg
写真を並べて比較してみました。
玄関部分が自動ドアに改造され、建具も変わっていますが、
外壁は同じような色調なので、現在もオリジナルを保っているのでしょうか??

(旧店舗の姿について)
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絵葉書には旧店舗の写真もあります。
銀行といいながら、伝統的な商家建築そのものだったことが分かります。
旧店舗の建物は、隣家に比べて2階の軒が相当低く、
屋根には竈などの煙を抜くための越し屋根もついていることから、
かなり古い時代の商家建築と思われます。

簸川銀行の開業は明治30年であり、
この旧店舗は開業当初から使用されていたものと推察されますが、
上述の通り、商家のつくりとしてかなり古い形態であると思われるので、
銀行開業によって新築されたというよりは、
既存の商家を改造して簸川銀行の店舗としたものではないかと思いました。

img3241.jpg
また、絵葉書の地図より、旧店舗は新店舗の向かいにあったことがわかります。
旧店舗のあった場所は現在、和菓子の老舗、「いしはら菓子舗本町店」となっています。

7
木子七郎の新店舗にばかり目を向けて、
後ろの旧店舗の写真はまったく撮影していなかったので、
グーグルストリートビュー様より、画像を拝借しました。
相変わらず詰めが甘い・・・。

8
如何なものでしょうか、
現在の建物は1階部分は店舗に改装されていますが、
2階部分を観察すると、窓の配置や隣の商家との屋根の高さの差など、
旧店舗の形態の特徴がそのまま残っています。

新店舗への移転後に、旧店舗が立て直された可能性も無いとはいえませんが、
伝統的な商家建築であっても、近代以降に建てられたものは、
時代が新しくなるにつれて、2階部分の軒が高くなる傾向にあります。

当該建物(現在のいしはら菓子舗本町店)が立て直されたとすれば、
新店舗への移転が行なわれた大正9年以降であり、
この時期に、商家風の建物をあえて2階軒の高さを旧来同様の低さで
新築することは現実的ではないと思われます。

(まとめ)
・絵葉書の写真より、現存する簸川銀行の建物は、当初より、茶色系統のタイルかレンガが貼られていた可能性がある。
・新築する以前の旧店舗は、新店舗の向かい(現在のいしはら菓子舗本町店)にあった。
・その旧店舗の建物は伝統的な商家風の建物を改造したもので、現存している可能性がある。




  1. 2017/04/27(木) 23:19:16|
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出雲大社彰古館(出雲市大社町)その2

DSCF1040.jpg
以前、出雲大社境内の「彰古館」をご紹介したのは平成24年のことで、
ブログ創成期ということもあり、読み返してみますと情報が今一つといった感じなので
改めてご紹介したいと思います。

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大正3年3月9日付松陽新報より

この建物は大正3年に、出雲大社の「宝物館」として建設されたものです。
大正3年3月の松陽新報に「新築の大社宝物館」というキャプション付きで、
建物の写真が掲載されていました。
写真のみの掲載で、詳細記事は見つけることが出来ませんでしたが、
大正3年の3月ごろに完成したということが推察されます。

日本近代建築総覧のデータより、設計が「西村義抽」、
施工者が「小国岩吉」とありました。
両者ともにネットでは検索でヒットしませんでしたが、
西村義抽氏については、昭和11年、
乃木村小学校(現松江市立乃木小学校)落成の記事に、
設計者としてその名前を発見しました。

S11.jpg
昭和11年12月11日付松陽新報より

「万感実に交々 村長野村萬太郎氏談」
(前略)
斯くの如くにして設計を斯界の権威者本村の耆老西村氏に委嘱し
西村氏更に斯道の経験者佐々木氏を加え一意専心五月計成り鴻池組工を受け
(以下略)


新聞記事には以上のとおりあり記事の下段には、
下記のような名刺広告の掲載がありました。

名刺広告
昭和11年12月11日付松陽新報より

彰古館と乃木小学校の設計者が同一であるという明確な根拠はありませんが、
「義抽」という珍しい名前はそういそうもありませんので、
同一人物と考えてよいのではないかと思います。

また、乃木小学校の記事では「斯界の権威者」、「耆老西村氏」と称していることから、
実績の大なる人物で、昭和11年の時点で60~70歳であることが分かります。
昭和11年は彰古館建設から数えて22年後の出来事になりますから、
西村氏が40代で彰古館を手掛け、22年後に乃木小学校を手掛けた。
ということであれば、辻褄も合いそうです。

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彰古館は平成27年に登録有形文化財となり、
館内の収蔵物だけでなく、建物そのものも文化財としての価値が認められたことになります。

前回の記事では、建物の行く末について下記のように記していました。
「最近の出雲大社公式HPにこの建物の存在がないのが気にかかります。」
これは境内の整備工事の影響で一時休館となっていただけのようであり、
現在は引き続き彰古館として活用されています。




【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:宝物館
現在の建物名:出雲大社彰古館
竣工:大正3年
構造:木造二階建て
設計者:西村義抽
施工者:小国岩吉

【参考文献・HP】
日本近代建築総覧 昭和58年 日本建築学会
松陽新報 大正3年3月9日付 昭和11年12月11日付
文化財オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/266042

【撮影】
平成25年9月


  1. 2016/09/01(木) 00:22:53|
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