元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

旧簸川銀行本店その3(出雲市今市町)

新築本店
その2に引き続き、出雲市の「旧簸川銀行本店」について、
資料をもとに考察を加えたいと思います。

<落成式を伝える山陰新聞>

現在残る建物が建築された当時の新聞記事に、建物に関する記載がないか、
下記のような記事をみつけました。
t9217s.jpg
山陰新聞大正9年2月17日

「簸川銀行落成式」
簸川郡今市町簸川銀行は昨年末竣工と共に移転せるが
来る二十一日午後一時より簸川郡会議事堂に於いて落成式を挙行する由



いかがなものでしょうか、注目すべきは、
「昨年末竣工と共に移転せるが」という箇所です。
さまざまな資料で、旧簸川銀行本店の竣工年を大正9年としていますが、
この新聞記事からすると、実際に建物が完成して使われ始めたのは、
大正8年の12月ごろということになります。

近代建築や近代化遺産といった分野を研究する上で、
竣工をもって竣工年(完成年)とするのか、
正式な竣工式の開催をもって竣工年とするのか、
そのあたりのルールや定義のようなものがあるのかどうかは知らないのですが、
単純に建物が完成して使われ始めた。という点で竣工年を考えると、
旧簸川銀行本店の竣工は、従来大正9年とされてきましたが、
実際のところは大正8年という事になるのではないかと思います。

前年(大正8年)暮れに完成したとのことだったので、
大正8年12月の山陰新聞も調べてみたのですが、
それらしい記事を見つけるに至っていません。

ご参考まで?、落成式の記事もご紹介します。
図1s
山陰新聞大正9年2月23日

「簸川銀行落成式」「昨日盛大に挙行」
簸川郡今市町簸川銀行新築落成式を22日午後1時より簸川郡役所に於て挙行せり
当日銀行は門前に幔幕を張り国旗を交差して装飾を施し
午後一時数発の煙火を合図に関係者は式場郡会議事所に集合せり
(以下略)


落成式は300余名も集めて華々しく挙行されたと記事にあります。

tizus.jpg
落成式の行われた「簸川郡役所」ですが、
落成記念絵葉書にその位置が記されていました。
地図の位置からして、現在の県道277号線沿いにあったと思われますが、
今は跡形もありません。

(まとめ)
これまで旧簸川銀行本店の建築年は、大正9年とされてきたが、
当時の新聞では大正8年の暮れには完成していたことがわかった。


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  1. 2017/04/30(日) 23:35:04|
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旧簸川銀行本店その2(出雲市今市町)

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以前ご紹介した出雲市の「旧簸川銀行本店」について、
その後、新たな資料も増えましたので、少し考察を加えたいと思います。

<新築記念絵葉書からの考察>
2
ヤフーオークションで、簸川銀行本店新築記念の絵葉書を手に入れました。
当該の絵葉書には、新店舗・旧店舗の写真のほか、
当時の今市町の地図があしらわれています。
地図には新店舗、旧店舗それぞれの位置や、
町内の官公庁等の主要施設の位置も記載されて、
当時の出雲今市の町の姿を知る上で大変貴重な資料です。

(新築当初の姿について)
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現在の建物には、茶色のタイルが貼られています。
このタイルはブログ主の目から見ると、新築当初のものには見えず、
後年の改修によるものではないかと考えていました。
新築当時の写真があれば、現在の姿と比較できると思っていたのですが、
手に入れた絵葉書では建物の写真が小さく不鮮明で、
あまり詳細が観察できないのが残念なところです。

4
それでも写真を見てみると、建物の色調は現在と変わらないようであり、
拡大して観察してみると、タイルが貼ってあるようにも見えることから、
タイル張り(あるいは化粧レンガ張り)は、後年の改修ではなく、
当初からのデザイン(あるいはそれを踏襲したもの)であることが推察されます。

5_20170427231221ac8.jpg
写真を並べて比較してみました。
玄関部分が自動ドアに改造され、建具も変わっていますが、
外壁は同じような色調なので、現在もオリジナルを保っているのでしょうか??

(旧店舗の姿について)
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絵葉書には旧店舗の写真もあります。
銀行といいながら、伝統的な商家建築そのものだったことが分かります。
旧店舗の建物は、隣家に比べて2階の軒が相当低く、
屋根には竈などの煙を抜くための越し屋根もついていることから、
かなり古い時代の商家建築と思われます。

簸川銀行の開業は明治30年であり、
この旧店舗は開業当初から使用されていたものと推察されますが、
上述の通り、商家のつくりとしてかなり古い形態であると思われるので、
銀行開業によって新築されたというよりは、
既存の商家を改造して簸川銀行の店舗としたものではないかと思いました。

img3241.jpg
また、絵葉書の地図より、旧店舗は新店舗の向かいにあったことがわかります。
旧店舗のあった場所は現在、和菓子の老舗、「いしはら菓子舗本町店」となっています。

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木子七郎の新店舗にばかり目を向けて、
後ろの旧店舗の写真はまったく撮影していなかったので、
グーグルストリートビュー様より、画像を拝借しました。
相変わらず詰めが甘い・・・。

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如何なものでしょうか、
現在の建物は1階部分は店舗に改装されていますが、
2階部分を観察すると、窓の配置や隣の商家との屋根の高さの差など、
旧店舗の形態の特徴がそのまま残っています。

新店舗への移転後に、旧店舗が立て直された可能性も無いとはいえませんが、
伝統的な商家建築であっても、近代以降に建てられたものは、
時代が新しくなるにつれて、2階部分の軒が高くなる傾向にあります。

当該建物(現在のいしはら菓子舗本町店)が立て直されたとすれば、
新店舗への移転が行なわれた大正9年以降であり、
この時期に、商家風の建物をあえて2階軒の高さを旧来同様の低さで
新築することは現実的ではないと思われます。

(まとめ)
・絵葉書の写真より、現存する簸川銀行の建物は、当初より、茶色系統のタイルかレンガが貼られていた可能性がある。
・新築する以前の旧店舗は、新店舗の向かい(現在のいしはら菓子舗本町店)にあった。
・その旧店舗の建物は伝統的な商家風の建物を改造したもので、現存している可能性がある。




  1. 2017/04/27(木) 23:19:16|
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出雲大社彰古館(出雲市大社町)その2

DSCF1040.jpg
以前、出雲大社境内の「彰古館」をご紹介したのは平成24年のことで、
ブログ創成期ということもあり、読み返してみますと情報が今一つといった感じなので
改めてご紹介したいと思います。

トリミングT3
大正3年3月9日付松陽新報より

この建物は大正3年に、出雲大社の「宝物館」として建設されたものです。
大正3年3月の松陽新報に「新築の大社宝物館」というキャプション付きで、
建物の写真が掲載されていました。
写真のみの掲載で、詳細記事は見つけることが出来ませんでしたが、
大正3年の3月ごろに完成したということが推察されます。

日本近代建築総覧のデータより、設計が「西村義抽」、
施工者が「小国岩吉」とありました。
両者ともにネットでは検索でヒットしませんでしたが、
西村義抽氏については、昭和11年、
乃木村小学校(現松江市立乃木小学校)落成の記事に、
設計者としてその名前を発見しました。

S11.jpg
昭和11年12月11日付松陽新報より

「万感実に交々 村長野村萬太郎氏談」
(前略)
斯くの如くにして設計を斯界の権威者本村の耆老西村氏に委嘱し
西村氏更に斯道の経験者佐々木氏を加え一意専心五月計成り鴻池組工を受け
(以下略)


新聞記事には以上のとおりあり記事の下段には、
下記のような名刺広告の掲載がありました。

名刺広告
昭和11年12月11日付松陽新報より

彰古館と乃木小学校の設計者が同一であるという明確な根拠はありませんが、
「義抽」という珍しい名前はそういそうもありませんので、
同一人物と考えてよいのではないかと思います。

また、乃木小学校の記事では「斯界の権威者」、「耆老西村氏」と称していることから、
実績の大なる人物で、昭和11年の時点で60~70歳であることが分かります。
昭和11年は彰古館建設から数えて22年後の出来事になりますから、
西村氏が40代で彰古館を手掛け、22年後に乃木小学校を手掛けた。
ということであれば、辻褄も合いそうです。

DSCF1031.jpg
彰古館は平成27年に登録有形文化財となり、
館内の収蔵物だけでなく、建物そのものも文化財としての価値が認められたことになります。

前回の記事では、建物の行く末について下記のように記していました。
「最近の出雲大社公式HPにこの建物の存在がないのが気にかかります。」
これは境内の整備工事の影響で一時休館となっていただけのようであり、
現在は引き続き彰古館として活用されています。




【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:宝物館
現在の建物名:出雲大社彰古館
竣工:大正3年
構造:木造二階建て
設計者:西村義抽
施工者:小国岩吉

【参考文献・HP】
日本近代建築総覧 昭和58年 日本建築学会
松陽新報 大正3年3月9日付 昭和11年12月11日付
文化財オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/266042

【撮影】
平成25年9月


  1. 2016/09/01(木) 00:22:53|
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旧出西小学校その2(出雲市斐川町出西)

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以前ご紹介した旧出西小学校
竣工当時の新聞記事を確認しました。

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松陽新報(昭和4年4月5日付)

校長先生と村長さんの話が掲載されておりましたので、
建物に関連する部分を抜粋します。

「農村教育の向上に益々精進したい」
‐新宮出西校長談‐
(前略)
此の学校は明治41年の新築でありまして
当時は郡内でも有数の校舎と称えられていましたが、
其後高等科を併置したのと逐年児童の増加で
特別教室は勿論、職員室も廃し廊下や宿直室で
授業をせなければならぬ状態となりました上に、
教育の進展に伴い種々の施設改善を要することになりまして
愈々増築問題は焦眉の急務となりました所、
昨年大典奉祝記念事業として奉蔵庫の建設及び校舎、
講堂増築の議が遂にまとまり、
昨年10月起工、関係各位の努力で落成いたしました。
新講堂は梁行8間、桁行13間、
それに付属の応接室及び器具室で
内部の洋式装飾と外観は近代的色彩美に満てる
堂々たるもの新校舎は階上共8教室でありますが、
内階下の一室は職員室に充て、
他の7室は普通教室3と特別教室4であります。
別に付属建物として各2か所の昇降口と長廊下があります。
奉蔵庫は当校下一般の寄付によるもので、
校舎に一入の交際を添えるものと深く感謝の意を表します 
(以下略)



「村民各位の愛郷心を謝す」
‐出西村長常松因信氏語る‐
(前略)
児童は年々増加の趨勢にあり校舎の狭隘且不便は
名状すべからざる位で出西校増築の必要に直面した。
しかし村内各方面の事業上之を遂行すること難く
 (中略) 
この間に処して県の指導、有志の援助、
村民諸氏の熱誠は遂に増築を励行することとなり、
工費三万四千七百円(内一万円は起債、一万九千七百円は財産支消、
二千五百円は積立金支消、其他二千五百円は村費)を以て
校舎一棟、雨天体操場兼用講堂一棟を
御大典記念として建築議決を経たのは昨年8月1日のことであった。
斯くて十月下旬村内矢田甚兵衛氏に請負はしめて工事を起し、
今回竣工したのである。
尚、校舎の増築を機とし同校児童保護会並に
校下七区一般より御真影奉蔵庫一棟を
新築寄附することとなった。
此費額約700円で洵に奇特の事である。
(以下略)


以上のことから、建物のプロフィールをまとめます。

校舎2階建て1棟増築・講堂兼雨天体操場新築
起工:昭和3年10月
工費:34,700円
施工(請負):矢田甚兵衛(出西村)

この外、学校区の住民の寄付により、工費700円で
御真影奉蔵庫を一緒に新築したこともわかりました。

3_20160410232723ab7.jpg
増築当時の校舎の様子を見てみましょう。
右手の2階建て校舎が現存する昭和4年築の校舎、
左に同時に新築された講堂が写っています。
校舎と講堂の間に写る屋根は、明治41年築の旧校舎でしょうか。
増築校舎と講堂とを結ぶ平屋建ての建物の手前に、
奉蔵庫らしき建築物が確認できます。

現在は2階建ての昭和4年築校舎しか残っていませんが、
かつては講堂とさらにもう一棟校舎建っていたことがわかります。

4_20160410232725e72.jpg
写真からの情報をまとめてみました。

●建物の施工者
「興雲閣修理復元基本計画(平成21年)」では、
興雲閣を請け負った和泉利三郎の作品として、
出西小学校と温泉津の藤の湯とを挙げています。
しかし上記の松陽新報記事では、
現存校舎の請負は出西村の矢田甚兵衛氏と記載されていますので、
もし和泉利三郎がかかわったとするならば、
明治41年に新築された旧校舎のほうなのではないか、と推察されます。

戦後直後の航空写真を確認すると、
現存校舎の後に旧校舎らしき校舎が建っているのが確認できます。

●校舎の玄関部分について
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現存する校舎部分を拡大してみます。
切妻で窓と壁板部分が装飾的に連続した、
昭和戦前期の典型的な洋風木造校舎ですが、
玄関部分だけは和風の入母屋で、
建物全体と比べてちぐはぐな印象を受けます。

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現在の玄関部分です(画像が傾いてるなぁ)。
立派なのですが、
洋風な建物本体と比べると和風の要素が強く感じられます。
よくみると柱を支える礎石部分のデザインも古風に感じます。

以下に、島根県内の大正~昭和初期に建てられた
校舎の玄関部分を紹介します。

q.jpg
こちらは大正3年築の旧宍道小学校の玄関です。
建物自体も入母屋で、玄関もそれに合わせたデザインになっています。

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以前ご紹介した大正13年築の旧寺領小学校です。
建物本体も入母屋で和風の要素が強く、
玄関部分とのデザインの連続性もしっかりしています。

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こちらは昭和3年築の旧谷小学校です。出西小学校とほぼ同時期の建設で、
校舎も切妻洋風であり、玄関もそのデザインに一致したものとなっています。

こうしてみてみると、大正時代までのは和風の要素が強い校舎であれば、
入母屋の玄関は自然でありますが、
昭和に入ってからの切妻の洋風校舎に入母屋の玄関が
付いているのは不自然な感があります。
出西小学校のケースでは建物として一体感がなく、
建築当初に意図してこのような仕様にしたとは考えにくいような気がします。

この玄関部分は、
明治41年築の旧校舎のものだったのではないでしょうか。
そうであるならば(仮定に仮定を重ねる話ですが)、玄関部分のみ、
和泉利三郎の造作が現存している。ということになるかもしれません。

昭和の校舎増築の際、
明治校舎が裏に後校舎になってしまうので、
玄関部分だけ記念に残そうと新築校舎にくっつけたのではないでしょうか。


5_20160410232726bc4.jpg
以上、戦前の新聞記事より、
建築当時の出西小学校の詳細を明らかにすることができました。
玄関部分の仮定の話については、今後も調査を続けたいと思います。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:出西小学校
現在の建物名:出雲市環境学習センター
竣工:昭和4年(起工:昭和3年10月)
構造:木造2階建て
工費:34,700円(校舎・講堂)
設計者:?
施工者(請負):矢田甚兵衛(出西村)


  1. 2016/04/11(月) 00:25:46|
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旧四ヶ村共同農業倉庫(出雲市斐川町直江)

1_2016031423154333c.jpg
直江駅前のJA伊波野支所の敷地に建つ農業倉庫です。
駅前や農協の敷地に何気なく佇む農協倉庫、
その出自などあまり注目していなかったのですが、
戦前の新聞に倉庫建築の記事が出ていたのでご紹介します。

2S101125.jpg
松陽新報 昭和10年11月25日付

「共同農業倉庫晴れの竣工式」
簸川郡出西、伊波野、直江、久木四ヶ村共同農業倉庫は
昨秋来直江駅付近に工事中のところその工全く終り
けふ二十四日午前九時より竣工祭を、
正午より竣工式を挙行するが
総工費は一万六千五百四余円で建物の坪数百六十二坪、
一万俵を収容し得る堂々たる大建築物で
米所簸川郡出雲部の中央に位置し
今後地方産業界の開発飛躍に重大なる使命を果たさんとするものである。


3_201603142315456d7.jpg

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平屋の前室部分が失われている点と、
屋根の切妻部分の形状が若干異なりますが、
おそらく新聞にある昭和10年に建設された農業倉庫でありましょう。

新聞記事によれば、戦後旧斐川町の一部となった出西村、伊波野村、
直江村、久木村の各産業組合の共同倉庫として建設されたとあります。
記事には記されていませんが、名刺広告より、
設計・監督が松江の「松江建築事務所」、
工事請負が直江村の藤江善吉氏ということがわかります。

5_2016031423154710e.jpg
現在のJA伊波野支所と旧共同倉庫。
何となくみかけている駅前やJAの倉庫ですが、
戦前の産業組合時代に建てられたものも少なくないようです。

「島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書」には、
産業組合倉庫の記載がある町村と
現存していても記載がない町村とがあります。
島根県内には実際にどのくらい産業組合時代の倉庫が現存しているのか、
時代や地域による建築様式の違いがあるのかなど、調べてみたいと思っています。

(余談)
6_20160314232114645.jpg
JAの近くには伊波野村の道路元標が現存しています。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:四ヶ村共同倉庫
現在の建物名:JA伊波野支所
竣工:昭和10年11月
構造:土蔵造?
設計者:松江建築事務所
施工者:藤江善吉(請負・直江村)

【撮影】
平成27年9月

【参考文献】
松陽新報記事
「島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書」 平成14年 島根県教育委員会

  1. 2016/03/14(月) 23:22:28|
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