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元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

神徳橋(仁多郡奥出雲町稲原)その2

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奥出雲の横田町、稲田神社参道に架かる神徳橋の続編です。

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戦前の神徳橋を写している貴重な絵葉書を入手しました。

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絵葉書には「奉納」の文字が記された幟が立ち並んでおります。
橋の袂には案内所なのでしょうか、テントが張られており、
参道には大勢の参拝者があるいています。
幟には「昭和7年11月吉日」と記されてあるのが確認できますので、
この絵葉書は稲田神社の遷座式が行われた昭和7年11月19日頃に
撮影されたものではないでしょうか。

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絵葉書にある橋の様子を観察してみますと、親柱に大きな変化がある事が分かります。
現在ある灯篭風の装飾は、架橋当時は無かったのですね。
それ以外、欄干の造作や親柱の下回り部分は現在も当時のままのようです。

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親柱の過去・現在の比較。
かつては灯篭風の飾りは無く、親柱の頂部にドーム状の照明が設置されていたようです。
燈篭部分は比較してみると、材質も若干異なり、確かに付け足したような感じがします。

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神徳橋の架橋中の姿を写した絵葉書も入手しています。
工事中の橋の手前に、橋桁の形をした鉄筋が並べ置かれているのが確認できます。
橋の左手には「神徳橋」の立て札があり、その奥には仮橋のような板橋も見えます。
戦前の橋造りの様子が分かる、貴重な資料ではないでしょうか。

9 071118神徳橋
(昭和7年11月18日付山陰新聞より)

こちらの画像は昭和7年11月の山陰新聞に掲載された神徳橋の写真です。
工事中であること、写っている作業員の姿が上掲の絵葉書と全く同じで、
同じネガから採ってきていることがわかります。
神徳橋に限らず、現在に残る絵葉書と、当時の新聞記事に掲載された写真とが
全く同じというのはよくあります。当時は写真も貴重でしたでしょうから、
写真館(絵葉書業者)と新聞社とが融通しあっていたのでしょうか・・・。



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  1. 2019/07/20(土) 22:37:06|
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神徳橋(仁多郡奥出雲町稲原)

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新年最初の記事は、新春に相応しく神話のふるさと出雲横田の神徳橋から始めたいと思います。

神徳橋は出雲横田の稲田神社参道に架かる橋です。
稲田神社境内の「ゆかり庵」に蕎麦を食べに行く際に見つけました。
橋名板は失われていて現地では名前が分からず、
地図にも橋名の記載がなかったので困ってしまったのですが、
奥出雲町の教育委員会に問い合わせたところ、「神徳橋」と名前を教えていただきました。

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参道の橋に相応しく、親柱のデザインは灯篭風です。

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戦前の橋では戦中の金属供出で金目のものはたいてい剥ぎ取られはぎとられているものですが、
この橋では装飾の金具が残されています。

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橋名板、ベースの金具は残っていますが、文字の部品が欠落していて文字は読めなくなっています。

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なにが書かれていたんでしょうか?

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四基の親柱のうち、一基は笠が外れてしまっています。

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コンクリートベースの人造石洗出しの欄干。この橋では装飾金具がはまっています。

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橋の全体。なかなか素敵なプロポーションです。

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川岸に降りて撮影。桁橋なのでしょうかラーメン橋なのでしょうか。

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橋の中央には橋と一体となった橋脚がありますが、細い。
これはなんという様式の橋なのでしょうか?

【神徳橋の歴史】
神徳橋の架橋は稲田神社の造営の一環で行われたものです。
稲田神社は島根出身の篤志家である小林徳一郎翁の寄付により、
昭和6年から14年にかけて順次整備されたものであります。

「聞書小林徳一郎翁伝」によれば、稲田神社の工事は下記の通り行われたという事です。

第1期工事(昭和6年~8年)
  境内の拡張整地
  参道の新設
  本殿・幣殿・社務所・神橋の建設

第2期工事(昭和13年~14年)
  拝殿・通殿・神饌殿・手水舎・玉垣・石垣・石段・大鳥居などの建設

昭和7年11月の松陽新報、山陰新聞では稲田神社遷座式の記事が掲載されており、
これらの記事に掲載された工事の概況はおおよそ次の通りでした。

大正15年3月     小林徳一郎氏横田を訪問
大正15年4月1日   参道工事起工式
大正15年7月      参道の工事大体終わる
昭和2年3月      村民有志が参道に桜を植える
昭和2年5月      社務所地鎮祭
昭和7年2月      小林徳一郎氏来村、本殿・幣殿・通殿・社務所・神徳橋の造営方針決定
昭和7年7月8日    起工式、社務所着工
昭和7年8月8日    神殿、各社殿着工
昭和7年11月18日  上棟式
昭和7年11月19日  遷座式
昭和8年まで      拝殿、神饌殿等付属施設建設

神徳橋の明確な竣工時期はわかりませんが、新聞記事によれば、遷座式に合わせて、
「神徳橋の渡り初め式」が行われているので、昭和7年架橋という事は間違えなさそうです。

12 071118神徳橋
(昭和7年11月18日付山陰新聞より)

昭和7年11月18日、稲田神社の遷宮祭が執り行われることになりました。
その際の山陰新聞記事には、工事を担当した平野宇一郎氏のコメントが掲載されていました。
神徳橋について言及している部分のみ抜粋します。

「工事の概要 工事監督 平野宇一郎氏談」
(前略)
参道の途中に川が横ぎりますのでここに神徳橋を架しましたが、
之も従来の神橋様式に新味を加えまして鉄筋コンクリート人造石洗出しの欄干に
僅か四間に四間の橋ではありますけれど
実に一千二百円の費用をかけ全く結構の極みであります
本殿、拝殿及び社務所だけの建築費でも実に一万一千円を費やし、
地均しから参道開通に神徳橋の架橋までの全部の費用を加えますと
実に五万数千円の巨費に達しますが、
設計並びに工事監督の衝に当たりました者として特に申し上げたいは、
この工事は最初から予算なるものを組まずに要るに任せて
小林氏がどしどし支出されましたことで
(後略)


コメントしている平野宇一郎氏は、松江に事務所を構えていた、
「松江建築事務所」は松江に事務所を構えていた設計所のようで、
島根県内の小学校、産組事務所、郵便局などの設計、監督に携わっています。
このブログで紹介している中では、加茂町の旧加茂郵便局がこの松江建築事務所による設計です。

ブログ主の調査不足なのでしょうが、今のところ、平野宇一郎氏はじめ事務所の詳細は不明です。
学校建築が多いので、県の技師のOBなどが主体になって設立した団体だったのかもしれません。
ブログ主が戦前の山陰新聞や松陽新報を確認してきた中では、
建物関連の記事で松江建築事務所の名が確認できるのは、この稲田神社がもっとも古い記録です。

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以上、神徳橋のご紹介でした。
調査により橋の名前のほか、架橋年代や設計者までも判明したのはありがたい事でした。
橋名については奥出雲町教育委員会様より情報をいただきました。ありがとうございました。

【橋の諸元】
橋名:神徳橋
竣工:昭和7年12月
形式:RC桁橋?
所在地:奥出雲町稲原
川:?
道路:稲田神社参道

設計:平野宇一郎(松江建築事務所)
工費:1万200円

【撮影】 
平成29年4月

【参考文献】
「聞書 小林徳一郎翁伝」 昭和37年 小林徳一郎翁顕彰会
「横田歴史文化写真帖」  平成16年 横田町文化協会
山陰新聞記事
松陽新報記事




  1. 2019/01/03(木) 19:26:37|
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鑓ヶ崎橋(出雲市大社町入南)

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一畑電鉄の浜山公園北口駅から少し北へ、
入南地区の外れの用水路?(川名不明)と高浜川が合流する地点に架かる橋です。
名前は「鑓ヶ崎橋」、昭和7年架橋の鉄筋コンクリート桁橋です。

2_2017111815340808b.jpg
(国土地理院WEBより)
場所はココ。「島根県の近代化遺産」リストでその名は知っていましたが、
どこに架かる橋なのかさっぱりわからず、グーグルストリートビューでようやく見つけることが出来ました。
地図の通り、当てずっぽうでドライブしていても見つけられそうもない場所にあります。

25(昭和9ねん参謀本部大社)
(参謀本部昭和9年「大社」より)
今となってはなんでこんなところ(失礼)に戦前のRC橋が?という感じですが、
古い地図を見ればこの橋を通るルートは国道431号線の旧道であったことが分かります。
恐ろしく細い道ですが、元は大社と平田方面とを結ぶ重要な道だったのです。

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大社方面を臨みます。橋の直前でくの字に曲がる細い道。
橋の前後で退避できるのは右のあたりの広くなったスペースだけです。

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橋の上。オリジナルの親柱・高欄はすべて失われていて、白いガードレールが欄干の役割を果たしています。
橋名板なども設置されていないので、現地では橋の名前も分かりません。

6(071217槍が先橋tt)
(昭和7年12月17日付松陽新報より)

昭和7年12月の松陽新報に、鑓ヶ先橋竣工を伝える記事を見つけました。
記事から橋の情報を抜粋いたします。

・簸川郡遥堪村地内県道平田杵築線に架橋
・昭和5年災害復旧事業による整備
・昭和7年7月着工同年12月竣工、12月17日橋上にて竣工式
・長さ23.9m幅4m
・単桁2径間の鉄筋コンクリート構造 
・総工費3,300円
・工事請負は大社町の安田源次郎

復旧計画にあたっては、
現在の交通の趨勢に鑑み将来を考慮して更に半永久的構造とするとともに、
橋梁をして最も前後の路線形に則せしむる為め従来の架設地点をも更新し、
諸車交通に些の〇〇なきを期し・・・

とあります。

当来るべき自動車発達の時代を予測した最新の橋としたかったという事が記事から読み取れます。
半永久構造という点では架橋から90年近く経過しても今なお現役であることから先見の明があったといえましょう。
しかし自動車交通の発達は当時の予測をはるかに超えたものになってしまい、
今となっては自動車が通るにはいささか窮屈な線形と道幅となってしまっています。

7(071217槍が先橋ttt)
新聞記事より、架橋当時の橋の写真を抜粋しました。
欄干はコンクリート?柱と鉄製欄干との組み合わせのようです。小振りの親柱も確認することが出来ます。

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おおよそ同じアングルでの対比です。

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欄干や親柱が失われているため、一見して戦前の橋には見えませんが、
橋全体を観察してみますと、桁や橋脚に戦前のコンクリート造形美が見いだせる様な気がします。

【橋の諸元】
橋名:鑓ヶ崎橋
竣工:昭和7年12月
形式:RC桁橋
所在地:出雲市大社町入南
川:?
道路:?(旧県道平田杵築線)

【撮影】 
平成29年3月

  1. 2017/11/18(土) 16:35:34|
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吉田橋(安来市飯島町)

1
松江方面から国道9号線の旧道を安来に向けて走りますと、安来の市街に入る直前でこの橋を渡ることになります。
コンクリートの欄干を持つ、歴史を感じさせる橋です(画像は安来側から撮影しています)。

S9参謀本部
(参謀本部昭和9年「米子」より)

戦前の地図で見るとこの位置です。
西にはこれも戦前架橋で現役の飯梨橋、飯梨橋を渡ると以前ご紹介した赤江村役場のマークも確認できます。

国土地理院
(国土地理院WEBより)

現在の国道9号線(桃色の道)は元国道の北側を走っていることが分かりますね。

2
親柱は安来市街側上流の1基のみ残っています。
橋名などが記されておらず、いろいろ不明な橋でしたが、たまたま見つけた安来市の資料から
昭和12年に架橋された「吉田橋」であることが分かりました。

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装飾と言えるのかどうかという程度の素朴なデザインです。

4
彫りが浅くて読み取りにくいのですが、昭和二十四年三月竣工と彫られているような気がします。
安来市の資料には昭和12年架橋とあったのですが・・・。あれ?

5
親柱と欄干。

6
橋の全景。中間橋脚2本の桁橋ですが、よく見ると手前(安来側)の一径間は形が異なります。

7
現地ではあまり意識していませんでしたが、ブログ記事作成にあたって改めて画像を確認してみますと、
手前の橋脚の形状、桁橋のスタイルがだいぶ異なることに気が付きました。これはいったいどうしたことでしょうか?

A
現在の航空写真(グーグルアース)と昭和22年の航空写真(国土地理院)とを比べてみます。
縮尺が合わなかったので正確な比較ではありませんが、
安来側の橋の付け根部分で川岸の形状が変化し、川幅が広がっているように見えます。

B
国土地理院の航空写真、昭和37年(左)と昭和22年(右)とを比較してみます。
37年には川幅が広がっています。川下の堰も作り替えられている様子です。

C
昭和37年の航空写真では橋脚らしきものが確認できます(黄色矢印)。

D
昭和22年以降に吉田橋周辺の川幅を広げたために吉田橋も延長せざるを得ず、
安来側の橋台(橋の付け根部分)を中間橋脚にして橋を延長したのではないでしょうか。

結果として安来側の延長部分は橋桁の形状がオリジナルのものとは異なるものになったのではないか、
という推察が出来る様な気がします。

親柱にある「昭和二十四年三月竣工」は、橋の延長を行った年を示しているのかもしれません。

【橋の諸元】
橋名:吉田橋
竣工:昭和12年?(昭和24年改修?)
形式:RC桁橋
所在地:安来市
川:吉田川
道路:市道安来港飯島線

【撮影】 
平成26年9月
  1. 2017/06/11(日) 00:03:36|
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大森の羅漢町橋(大田市大森町)その2

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以前ご紹介した大森の「羅漢町橋」は、
架橋年も明確になっていない謎多き橋なのです。

島根県の近代化遺産の集大成ともいえる、「島根県近代化遺産総合調査報告書」にあっても、
羅漢町橋に解説のページを割いてはいるものの、架橋年に関しては一切触れられておらず、
どうにもこうにも「資料がない。」ということが推察されます。

せんだってヤフーオークションで、
羅漢町橋が写された絵葉書を落札しましたので、
これをもとに羅漢町橋について考察を加えたいと思います。

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大森の羅漢寺方面からより、羅漢町橋方面を写した絵葉書です。
キャプションには「石見大森羅漢町ヨリ見タル警察署」とあります。
正面の擬洋風の建物が大森警察署で、現在この場所は駐車場になっています。
この擬洋風の庁舎は明治18年に建設され、後の昭和12年、新庁舎建設のために解体されるまで
大森警察署として使用されていたそうです(昭和13年松陽新報記事より)。

絵葉書の年代ですが、絵葉書年代測定法によれば、通信欄の罫線が3分の1だったので、
「絵葉書が発行された」年代としては明治40年から大正7年の間ということが分かります。

絵葉書を見ると、電信柱・電線が確認できます。
大森に電気が通った年が明確ではないのですが、明治38年頃に大森鉱山に発電所が出来たとのことですから、
この点からも、絵葉書の写真は明治末~大正初くらいに写されたものであることが推察されます。

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グーグルアース様より画像をお借りしまして、現在と絵葉書との対比をしてみました。
警察署は無くなりましたが、橋周辺の民家は昔と比べてもあまり変わっていないように思われます。

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さて、本題の羅漢町橋についてです。
現在の羅漢町橋には、コンクリート製の親柱と欄干が据えられています。
前回も言及しましたが、石造アーチの橋本体に対して、
この親柱と欄干は時代的にデザインが不釣り合いな感じがします。

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絵葉書の羅漢町橋を確認しますと、当時の親柱・欄干の様子が
現在とは明らかに異なることがわかります。

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さらに絵葉書を拡大してみます。
石の角柱を等間隔に並べてあるように見えます。

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赤枠で囲った一回り大きい石柱、これが親柱のかわりだったのでしょうか。
いずれにしても装飾性がなく、原始的な親柱・欄干であり、
石造アーチの本体の築造と一体で設えられたものと考えてもよさそうです。

※そもそも絵葉書に写っている羅漢町橋は石造アーチなのかどうか、という議論も出てくるのですが、
木造橋であれば欄干などは本体同様木で据え付けられるはずです。
ですから、ここではすでに石造アーチであるとみなして話をすすめます。


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では、現在にみられる親柱・欄干に改装されたのはいつだったのでしょうか?
材質はコンクリートに洗出しの仕上げ、昭和の戦前期によくみられるスタイルです。

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欄干の比較をしてみました。
上:羅漢町橋
中:宝来橋(粕淵・昭和12年)
下:鍛冶屋谷橋(日原・昭和9年)

いかがなものでしょうか、このように比較してみますと、昭和の時代に架けられた橋のデザインとよく似ています。
大正・明治の比較対象となりうる資料を提示していないので、今一つ説得力に欠けるのですが、デザイン的に見ると、
おそらく昭和に入ってから改装されたのではないか・・・、ということがいるのではないかと思います。

【まとめ】
・古絵葉書より、羅漢町橋の当初の親柱・欄干は石柱を並べた簡素なものだった
・現在の親柱・欄干に改められたのは絵葉書が写された明治末~大正初以降である
・デザイン的に昭和戦前期に改装された可能性がある


【参考文献】
島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書 平成14年 島根県教育委員会
島根県を中心とした産業発展の歴史 明治・大正編Ⅲ
    平成25年 エネルギア地域経済レポート 中国電力㈱エネルギア総合研究所
島根とお雇い外国人技術者たち 平成27年 岡﨑秀紀


  1. 2017/06/03(土) 23:54:19|
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