元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

旧安来銀行その2(安来市安来町港町)

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以前ご紹介した、初代*安来銀行の建物について、
新しい資料が見つかりましたのでご紹介します。

*安来銀行の設立は明治29年なので、当該建物の建設以前に、安来銀行として使用されていた建物があるわけですが、
面倒なので本稿では便宜的に「初代」とします。よって、大正4年築の煉瓦の銀行は「二代目」と呼称します。


2安来町全景其1
「安来町全景(其一)」とキャプションのついている古絵葉書です。
この左に其二が続くようになっていて、十神山側から安来港を臨む安来の町を写し出しています。

ヤフオクでなんとなく落札した絵葉書セットでしたが、よく見るととんでもないものが写っていることに気が付きました。
(初代安来銀行なんですが)

3安来町全景其1
絵葉書の矢印の部分です。

4安来銀行拡大
矢印部分を拡大してみました。
明治34年築の初代安来銀行が写っていました。

5安来銀行拡大
さらに拡大してみます。
2階部分の3つの窓、窓横の帯状のなまこ壁、初代安来銀行に間違いありません。

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現在の姿をみると建物左端が削られているような姿ですが、
絵葉書でも左右非対称で左側は壁の面積が少ないように見えます。
当初から左右非対称の姿だったことが絵葉書から確認できました。

7拡大2
余談ですが絵葉書の安来銀行から左へ二軒離れた赤丸で囲った商家ですが・・・。

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現存していることが分かりました。
2階の低い土蔵作り、2階の左に寄った窓など、絵葉書当時のままです。

9安来町全景その2印あり
上述の絵葉書の続き物です。
「安来町全景(其二)」とあり、其一の東側の町並みを写しています。

10二代目拡大
上記の赤丸部分を拡大してみました。
大正4年築の煉瓦建築で有名な二代目安来銀行が写っています。

この建物が写っているということは、この絵葉書の写された年代は大正4年以降ということになり、
初代の安来銀行はすでに銀行ではなくなっていた時期ということになります。

なお、絵葉書年代測定法で発行年代を推定してみますと、
当該絵葉書の裏面は通信欄が1/2なので大正7年以降、
「きかは便郵」の表示があるので明治33年~昭和8年の間ということになります。
すなはち、当該絵葉書が発行されたのは大正7年以降、昭和8年までの間ということになります。

初代安来銀行の戦前の画像などはこれまで見つけられなかったので、
今回、不鮮明ながらも古絵葉書から当時の姿を確認することが出来たのは、
大変にうれしい出来事でありました。


【参考文献】
島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書  平成14年  島根県教育委員会
島根県を中心とした産業発展の歴史 明治・大正編Ⅲ
    平成25年 エネルギア地域経済レポート 中国電力㈱エネルギア総合研究所

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  1. 2017/07/17(月) 22:44:55|
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朝山医院(安来市広瀬町)

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広瀬町の歴史的な街並みの中に、洋風な医院建築が残されています。
朝山医院の建物で、島根県近代化遺産リストによれば昭和7~8年の築との事です。

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建具は新しくなっていますが、きれいにペンキが塗られた現役の医院です。

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門柱もクラシカルで昔ながらの医院らしい風情です。

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建物の左手にはこのような張り出し部分があります。レントゲン室でしょうか?

【撮影】
平成26年9月

【参考文献】
「島根の近代化遺産」  平成14年 島根県教育委員会

  1. 2017/07/01(土) 13:52:01|
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旧赤江村役場その2(安来市赤江町)

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以前ご紹介した、安来市赤江町の旧赤江村役場について、
建物が建設された当時の新聞などから、情報を整理してみたいと思います。

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昭和3年12月12日付松陽新報

「満山錦を飾るけふの赤江の賑ひ」
「飯梨川畔に甍並べて落成した村役場と信組事務所」

新聞記事中に建物に関する具体的な記述はありませんが、
新築は「御大典」を記念したものと記されています。
昭和3年は昭和天皇のご即位の大礼が京都で行われた年であり、
「御大典」の記念として各地で様々な催し物が行われたり、
これを機会として官公庁、学校等が新築されたりしています。

島根県内も例外ではなく、昭和3年当時の新聞記事を確認しますと、
御大典を機として、学校や信用組合、役場などが
相次いで新築されていることが確認できます。
新聞記事では、赤江村役場のほか、
信用組合事務所も同時に新築されたことが記されていますが、
信用組合の建物の方は現存していません。

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新聞記記事にある、新築時の役場です。

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当時の写真と比べると、窓や玄関がアルミサッシ化されていますが、
それ以外は現在まで当時の姿を保っているように思われます。

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昭和3年12月12日付松陽新報

設計者などの情報は、新聞下段の名刺広告にありました。
広告には、下記の情報が記されていました。
「建築・設計・監督 長谷川工務所 長谷川治之助」
「赤江村役場改築・信用組合事務所改築
 工事請負 長谷川辨次郎、小松原伴次郎、大櫃丈四郎」

この情報から、赤江村役場の設計は、長谷川工務所の長谷川治之助、
工事請負が長谷川辨次郎他、ということがわかりました。

長谷川治之助の名前は、以前ご紹介した井尻村産業組合事務所他、
安来・能義郡エリアの近代建築の設計者として時々名前が出てくる人物です。
昭和12年に刊行された「郷土の光‐能義郡誌」を読んでいたところ、
後半の能義郡の名士紹介の項目で、「長谷川治之助」の紹介があるのを発見しました。
以下に「郷土の光‐能義郡誌」より、長谷川治之助の項を引用します。

長谷川工務所長 長谷川治之助氏 能義郡赤江村

明治30年11月岳父辨二郎氏(※1)の次男に生まれ学校卒業と同時に
広島市土木請負業森田福一商会(※2)に入り、全国各都市の支店出張所に勤務し
立川飛行場を始め各方面に於ける土木設計監督の実際を修練して棋道の蘊奥を極め、
去る大正15年4月、帰郷と共に現在の地に長谷川工務所を開設一般の需に応じている。

氏は地方稀に見る新進の設計監督者として棋界にその名を知られ、
現に島根、鳥取の両県各地に進出して大に技能を発揮しているが、
同所に於いて取り扱った主なるものを挙げれば赤江村小学校を始めとして(※3)、
西伯郡地方小学校中建築美の粋を集めた加茂村小学校、本郡能義小学校、
本郡能義村役場、同井尻村役場、同産業組合、同山佐村役場、同産業組合、安来町停雲楼等々は
その代表的なものであり、開業以来人気輻輳して非常な隆昌を極めている。
(以下略)


※1)赤江村工事請負の長谷川辨次郎が父と推定されます。
※2)戦前に広島で土木請負業を起し、後に衆議院議員となった森田福市の経営していた「森田組」と推定されます。
※3)「能義郡誌」のほか、戦前の新聞記事等で確認した物件も加え、長谷川治之助が手掛けた作品を下記に記します。

図1
赤字で示しているのは現存する建物です。
能義郡誌で作品としてあげられていた「安来町停雲楼」は、
現在も安来で「料亭停雲」として盛業中ということがわかりました。
しかし、長谷川治之助が設計した当時の建物が残っているのかどうかは未確認です。


以上、赤江村役場の設計者である長谷川治之助の情報を中心にまとめてみました。
長谷川治之助以外にも、戦前に島根県内で活躍した地元の建築家が少なからず存在する筈であり
、今後も引き続き調査を進めていきたいと思っています。


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:赤江村役場
竣工:昭和3年
構造:木造
設計者:長谷川治之助(長谷川工務所)
施工者:長谷川辨次郎・小松原伴次郎・大櫃丈四郎

【参考文献・HP】
郷土の光‐能義郡誌 昭和12年  能義郡刊行会
料亭停雲


  1. 2017/05/13(土) 22:02:35|
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山常楼(安来市安来町)

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胃腸炎がつらい・・・。
安来駅すぐ近く、国道9号線沿いに存在感を発揮する山常楼の建物です。

山常楼さんは江戸末期から続く歴史のある料亭です。
現在の建物は昭和9年に改築されたものとのことです。

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玄関部分。和風建築の様々なエッセンスがまじりあい、素敵な雰囲気です。

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大名屋敷の玄関のような雰囲気です。

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宝形屋根がよいアクセントになっています。

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平成26年12月に登録有形文化財になりました。
画像右に見える土蔵も文化財指定、大正年間の築とのことです。

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設計者などについてですが
山常楼HPでは
、「現在の建物は、昭和 9 年に改築され当時 26 歳だった池田大工により随所に意匠を凝らし、
贅を尽くした書院造りとして生まれ変わりました。」
とあります。

島根県立短期大学部が発行している「のんびり雲 第7号」では、
松江の山陰道産業や横田の相愛教会の設計者である成田光二郎の設計として、
この山常楼をあげています。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:山常楼
竣工:昭和9年(土蔵は大正年間)
構造:木造
設計者:成田光二郎?
施工者:池田某(大工)?

【撮影】
平成26年9月

【参考文献】
「島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書」 平成14年 島根県教育委員会
「のんびり雲 第7号」 平成25年 島根県立大学短期大学部

【参考HP】
山常楼HP
島根県報道発表資料
  1. 2017/02/18(土) 11:49:11|
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安来節紀念碑(安来市安来町)

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安来市の安来公園に立つ「安来節紀念碑」は、
安来節の隆興を記念した記念碑で、昭和7年5月に竣工、
同月15日に除幕式を行っています。
近代建築の一つとしてよいのではないかと思われます

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正面には「安来節紀念碑」の文字が金属板で設置されています。

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鉾のようにも見える塔頂部の装飾。

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側面の碑の由来文、賛同者の氏名などのプレートが残されています。
あまり解像度の高い画像がなく、詳細が確認できません。
(失敗!取り直しに行かなくては。)

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(昭和7年5月14日付松陽新報)

当時の新聞記事です。

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新聞記事と現在の紀念碑との比較です。
塔頂部の装飾、「安来節紀念碑」の銘板など、
オリジナルと同じままの姿に見えます。

金属製と思われますが戦時中に供出しなかったのでしょうか、
あるいは戦後の復元なのでしょうか。

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(昭和6年8月6日付松陽新報)

竣工の1年前の松陽新報に、このような記事を見つけました。

「盆過から愈よ起工」
「社日遊園安来節の歌碑」
安来節保存会では予て社日遊園地に記念碑の建築を行うべく
曩に桜花の咲き競った四月、これが地鎮祭を挙行したがその後同会では
町出身の東京在住僊石政太郎氏委嘱してこれが装飾一切を設計せしめ
遅くも盆の直後から建設工事に着手する事となっているので、
遅くも今秋頃までには工事の完成を見ることとなろう


「僊石政太郎氏に委嘱してこれが装飾一切を設計せしめ」
という一文に注目です。
僊石政太郎は、戦前に劇場・映画館建築の設計を中心に活躍した建築家で、
日本橋浜町の「明治座(S3年)」などの設計で知られています。
詳細は下記にしますが、僊石政太郎は安来の出身で、
安来にて大工の棟梁となった後、東京に出て、
苦学ののち建築家として大成した人です。

「装飾一切を設計せしめ」とあり、紀年碑全体の設計ではなく、
装飾だけの設計のようにも読めますが、いずれにしても、
紀念碑の設計に僊石政太郎が関わっていたことは確かのようです。

僊石政太郎は多くの劇場建築を設計していましたが、
現存例は(ブログ主は)確認できておらず、
出身地である安来に設計に関わった紀念碑が現存しているのは、
大変貴重な存在と言えるのではないでしょうか。


【僊石政太郎について】
僊石政太郎の生涯については、安来市誌下巻にその詳細が記されています。
簡単に抜粋してみました。

明治12年 安来西灘に生まれる
大工棟梁河井栄八(河井寛次郎の父)に師事し18歳で棟梁になる
明治36年 25歳で単身東京に出る
新橋木工場で働きながら工手学校に通う
工手学校卒業後警視庁に奉職
大正9年 警視庁を退職、僊石建築事務所を開設
昭和19年11月 空襲にて事務所破壊
昭和19年12月 安来へ疎開
昭和20年8月  67歳で死去

「映画館建築のエキスパート」(帝都復興せり!)として活躍した建築家ですが、
警視庁では劇場の建築、設備に関する方面の監督にあたっていたそうですから、
ここから、劇場・映画館建築の設計を手掛けるようになったものと思われます。

仕事をしながら、工手学校の外、国民英語学校中等科、中央工学校高等科を卒業し、
日本建築学会の正会員資格試験に合格して建築士の称号と技師の資格を得ています。

大工の棟梁で満足せず苦学して建築家となり、
帝大出の建築家たちと肩を並べるまでになったその人生、
信念の人、気骨の人だったのでありましょう。


僊石政太郎の設計した作品を、さまざまの文献などから集めてみました。
ほとんど東京の、主だったものだけですが、
各地の松竹系の劇場を手掛けたそうですので、
まだまだ人知れず現存する建物もあるやもしれません。

大正13年 立正大学校舎
大正15年 立正大学図書館
昭和2年 富士館(浅草)
昭和3年 明治座(日本橋浜町)
昭和4年 新宿第一劇場(新宿)・帝国館(浅草)
昭和5年 東京劇場(設計顧問)
昭和6年 帝都座(新宿)・日本倶楽部(大阪)
昭和7年 安来節紀念碑(安来)



【撮影】
平成15年12月

【参考文献】
近代建築ガイドブック(関東編) 昭和57年 東京建築探偵団 
帝都復興せり!「建築の東京」を歩く 昭和63年 松葉一清
島根歴史人物事典 平成9年 山陰中央新報社
安来市誌下巻 平成11年 安来市総務部市誌編纂室
立正大古書資料館通信Vol.2 平成27年 立正大学情報メディアセンター

【参考サイト】
建築学会図書館「建築学会パンフレット」
ぼくの近代建築コレクション
Clocks&Clouds
近代建築散歩~絵葉書に見る或る日の都市景~



  1. 2017/02/05(日) 23:34:40|
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