元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

ゲストハウス山辺荘(江津市江津本町)

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江津本町の山辺神社の参道、
門をくぐってすぐ右手に、小さな洋風建築があります。

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ここです。
場所的に、山辺神社の宮司さんのお宅だった建物なのかもしれません。

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撮影時(平成26年)時点では空き家のような雰囲気でしたが、
平成28年に「ゲストハウス山辺荘」として整備されたそうです。
公式HPによれば一組限定三名様から宿泊体験ができるとのことです。
室内の画像も紹介されておりまして、
この細長窓が3つ並ぶ部分は、洋間と思いきや畳敷きの和室でした。

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こちらの部分はフローリングと廊下、その奥が、風呂、台所です。

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公式HPによれば、大正15年築とのことで、
旧江津町役場と同い年です。
デザインも似ていますから、設計・施工が同じなのかもしれません。

【撮影】
平成24年9月・平成26年4月

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  1. 2017/03/04(土) 15:35:11|
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旧郷田郵便取扱所(江津市江津町)

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江津の「江津本町」は、かつては舟運で栄た町であり、
現在も当時の名残をとどめる豪壮な商家など石州瓦の古い町並みが残っています。

近代以降も、江津の中心としての地位を守り、
今回紹介する旧郷田郵便取扱所(旧江津郵便局)や
江津町役場などの近代建築も建てられ、現在に伝わっています。

冒頭の旧郵便局と町並み、駒繋石のある水路の組み合わせ画像は、
津和野の「鯉の泳ぐ水路+武家屋敷長屋」に匹敵する、
島根県に代表的な定番かつ「絵になる」風景であると思われます。

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旧郷田郵便取扱所の建物です。
明治20年頃の築とされています。

当時の郵便局長が神戸まで出かけ、洋館を見学した上で
地元の材木商豊田藤太郎氏に建築を依頼し、
依頼された豊田氏も神戸に洋館を見学してこの建物を建てたそうです。

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正面にテラスが張り出し、窓には鎧戸がついています。
角には石が積まれているように表現されていますが、
このコーナーストーンは漆喰に炭を混ぜて石のように見せているのだそうです。
神戸で見てきたものを、見よう見まねで再現した、まさに擬洋風建築の典型でありましょう。

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郵便局としての使用期間は明治28年頃までと短かったようで、
その後は民家として使用され、近年は空き家となっていました。

平成20年に復元工事がなされ、ペンキ塗りの創建当初の外観に復元、
翌平成21年には国の登録有形文化財に指定されています。

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こちらは改修前、平成15年の姿です。
長年の風雪に耐えた姿も味わい深いものがありました。

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改修前の姿をみると、だいぶ傷んでいることも分かり、
建物保存の上では早期の改修が良かったのだと思います。
きれいすぎて町並みから浮いているきらいがありますが、
時間が経てば色合いも落ち着き、なじんでくるのでしょうか。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:郷田郵便取扱所(江津郵便局)
竣工:明治20年頃
構造:木造
設計者:豊田藤太郎
施工者:豊田藤太郎

【撮影】 
平成15年9月(改修前)
平成26年4月(改修後)

【参考文献・HP】
中国地方の西洋館 平成3年 白石直典
島根県の近代化遺産 平成14年 島根県教育委員会
石見潟第25号 平成21年 江津市文化財研究会





  1. 2017/02/12(日) 10:47:05|
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有福温泉の共同浴場について(その2)

1

前回は、有福温泉に存在する(した)共同浴場について、

それぞれ古絵葉書等をもとにして変遷を整理してみました。

 

今回は明治から平成至る迄で、共同浴場の数がどのように変化していったのか、

整理しておきたいと思います(今回も文字ばかりでつまらないですョ)。

 

【有福温泉の共同浴場の変遷】

図 

各種資料、HPより有福温泉の共同浴場の変遷をまとめてみました。

 

①明治21年の皇国地誌では、浴場が6あると記されていますが、

 外の資料を見つけることが出来ず、詳しいことはわかりませんでした。


②昭和4年の松陽新報記事、昭和7年の「石見物語」では

 5つの共同浴場が紹介されています。

前回記述した通り、「舊湯」に関しては詳しいことはわかりません。


③昭和13年の「山陰案内」では、「舊湯」以外の4つの共同浴場が紹介されています。

 「舊湯」は昭和13年までには廃止されたのか、あるいはJTBによる旅行案内書なので

地元専用の「舊湯」は省略されたのか、どちらでしょうか。

 

【絵葉書にみる有福温泉の変遷】

このように、共同浴場の建築年等を踏まえておきますと、

古い絵葉書の年代特定もある程度可能になってくるのではないか。と、思われます。


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この絵葉書では櫻湯(大正14年築)と福の湯(昭和3年頃解体?)が確認できるので、

おおよそ大正14年~昭和3年の間に撮影されたと考えられます。

 

絵葉書をよく見ると旅館の看板なども読めますので、

他の資料と合わせて特定してみたいと思います。


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A櫻湯

B福の湯

①吉田屋旅館

②寺部屋旅館平成大火で焼失

③田島屋旅館平成大火で焼失

-1主屋旅館旅館は移転(旅館ぬしや)建物は平成大火で焼失

-2主屋旅館現在は「湯のまち神楽殿」

⑤三階旅館

⑥樋口旅館旅館樋口


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こちらは以前もご紹介した、昭和4年4月2日付松陽新報の写真です。

 

櫻湯(A)と早月湯(C)は確認できるのですが、

お堂の前に(B)福の湯も御前湯も姿がありませんので、

福の湯の解体後、御前湯の建設前の間、昭和3年~4年の間の、

わずかな期間の貴重な写真と言えるでしょう。


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こちらの絵葉書は御前湯が確認できますから、

昭和4年以降の撮影と分かります。

御前湯もきれいな様子ですから、完成後すぐの撮影かもしれません。

昔ながらの温泉旅館が立ち並ぶ風情と、

近代的な共同浴場とがミックスされてなんとも魅力的な街並みです。


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A櫻湯/B御前湯/C早月湯

①吉田屋旅館/②寺部屋旅館/③田島屋旅館

-1主屋旅館/④-2主屋旅館/⑤小川屋旅館

⑥三階旅館/⑦樋口旅館

 

 

以上、有福温泉の変遷を整理してみました。

平成の大火は、有福温泉街の景観に大きな影響を与えましたが、

その後も、活性化を目指した様々な施策が進められているようです。

若い女性にも対応できるおしゃれなカフェや宿泊施設もできており、

ぜひまた、生まれ変わりつつある有福温泉に行きたいなぁと思う次第です。


【参考文献・HP】
松陽新報 昭和442日付記事
石見物語 昭和7年 木村晩翠

山陰案内 昭和13年 ジャパン・ツーリスト・ビューロー
石見潟26号 平成24年 江津市文化財研究会
「島根県江津美人美肌の湯有福温泉」
「旅館樋口blog










  1. 2016/09/13(火) 21:53:00|
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有福温泉の共同浴場について(その1)

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御前湯の歴史を調べる上で、地方誌などを確認してきましたが、
近代の有副温泉がどのように変わってきたかということを
まとめて記述している資料を見つけることが出来ず、
かなり消化不良な感じになっています。

ここでは、各種資料の断片的な記録から、
明治以降の有福温泉の共同浴場の変遷について、
ブログ主なりにまとめてみようと思います。

※本稿の下のほうに、参考にした資料の引用部分を転記してあります。
※画像について過去のものはすべてブログ主蔵の絵葉書をもとにしています。

【福の湯】
福の湯
御前湯の位置には御前湯新築まで「福の湯」がありました。
写真の通り木造一部二階建ての建物だったようです。

【旧湯】
松陽新報記事、「石見物語」には「旧湯」と呼ばれる地元民専用の浴場があったことが記されています。
どこにあったのかなど全く不明ですが、上述の「石見物語」には

あの観音堂を中心に旧湯日本建、新刊洋館建、最新鉄筋コンクリート二階建、
此等の大きな甍を取り巻く二階三階の大旅館が層をなして

とあり、観音堂(御前湯の裏のお堂)の近くにあったことが推察されます。

【櫻湯】
櫻湯
大正14年に洋風木造二階建ての「櫻湯」が完成しています。
場所は現在の「御前湯」の左隣、よしだや旅館の前に建っていました。

「旅館樋口」のblogに掲載されていた昭和30年代とされる有福温泉の画像では、
木造洋風の桜湯は存在せず、平屋建ての共同浴場風の建物が確認できます。
よって、大正14年に建てられた「櫻湯」は、
昭和30年代までには改築されていたようです。

※ネット上に「昭和42年に源泉を有福温泉荘に分湯するためさくら湯を廃止した」
という記述がありました。

【早月湯(さつき湯)】
さつき湯
昭和3年に早月湯(さつき湯)が洋風建築にて新築されました。
新聞記事等で「早月湯」とありますが、
上掲の絵葉書タイトルは「さつき湯」とありますので、
当時は表記が混用されていたものと思われます。

平面的なファサードに1階部分は上げ下げ窓、
モダンなデザインになっています。
表に面して換気口が設けられていますので、
玄関を入って左右すぐに浴場が配置されていたものと思われます。

絵葉書では二階の窓ガラスが一か所割れており、何があったのかが気になります。

さつき湯3
ほかの絵葉書を見てみます。
三階旅館の隣にある事が確認できますので、
早月湯の位置は現在に至る迄で変化がないことが分かります。
また、陸屋根ではなく日本瓦の屋根であったことも確認できます。

上記と同じタイミングで撮影したのでしょう、早月湯の窓ガラスが割れています。

さつき湯2
更に別の絵葉書をみてみますと、洋風なのはファサードだけで、
裏側は全くの日本家屋風であることが分かります。
「洋風建て」の早月湯は一種の「看板建築」だったわけです。

こうしてみますと、
大正14年築の櫻湯が純然たる木造洋風建築であったのに対し、
3年後に建てられた早月湯がモルタルを用いた看板建築風な洋風建築で、
その1年後には本格的な鉄筋コンクリートの御前湯を建てるあたり、
建物の近代化が年を経るごとに進んでいることに興味を覚えます。
また、早月湯の建築様式を考えると、
早月湯のデザインは、鉄筋コンクリートの御前湯を建てるための
先行試作的な要素もあったのではないかとも想像します。

なお、有福温泉のHPでは、
「早月湯は昭和3年に新築され、平成12年に改築された」と記されており、
これだけを読むと平成の改築まで、
昭和3年築の洋風の浴場が現存していたようにも読めるのですが、
「石見潟」に掲載されている、昭和31年とされる写真では、
上掲のような洋風建築は確認できず、
平屋建てになっている早月湯が写っていました。
したがって、昭和3年築の洋風の早月湯は、
遅くとも昭和31年までには平屋建てに改造されたか、
建て直されたものと考えられます。

また当該HPでは、

当初は「ただ湯」と呼ばれ、昭和3年当時は「かじや湯」と称されていた

という記載がありますが、昭和4年の松陽新報ですでに「早月湯」と記されており、
前述のHP以外で「ただ湯」、「かじや湯」と呼ばれていたことを
裏付けるような文献は見つけることができませんでした。

【やよい湯】
DSCF8527.jpg
戦前の資料では「弥生湯」と漢字表記です。
有福温泉のHPでは以下のように説明があります。

大正3年木造二階建てで新築、
昭和12年に火災にあい、平屋建てで再築、
平成12年には老朽化により内外装とも一部リニューアル


ということは、現在のやよい湯は昭和12年の建築である可能性があります。

大正3年~昭和12年の二階建て弥生湯の写真は見つけられませんでした。
他の文献では「日本建」とありますので、上述「福の湯」のような、
和風の建物だったのでありましょう。

【まとめ】
以上、有福温泉の共同浴場について、
それぞれの建物の詳細をまとめてみました。
次回、近代以降現在に至る、共同浴場の数などを
整理してみたいと思います。

【参考資料の引用】
資料1
「松陽新報昭和4年4月2日付」

けふ賑やかに「御前湯」の開浴式
完備した新築浴場

石見有福温泉にこの度「御前湯」と称する村営の浴場を増設し、
今一日賑やかな開浴式を行う、
-中略-
「御前湯」の外に既設洋館建ての「櫻湯」「早月湯(そうげつゆ)」と
日本建の「弥生湯」と「旧湯(きゅうとう)」と都合五浴場があって
工費を合算すると約六万円を費やしている。
-中略-
入浴料もこの度大改革を施し「御前湯」だけは八銭としたが
「櫻湯」「早月湯」は一銭値下げして四銭とし
「旧湯」だけは一般村人のために無料で解放されている
-後略-


資料2
「島根県江津 美人・美肌の湯 有福温泉」
「有福温泉外湯」

~さつき湯~
-前略-
明治33年村民を対象とした浴場として露天風呂「ただ湯」が開設されましたが、
昭和3年に俗称「かじや湯」として新築。平成3年に改築されて現在に至ります。

~やよい湯~
-前略-
大正3年木造二階建ての浴場「やよい湯」を新築、俗称「新湯」として親しまれました。
その後昭和12年に火災にあい、平屋に建て替えられました。
平成12年には老朽化により内外装とも一部リニューアルされています。


資料3
「石見物語」
-前略-あの観音堂を中心に旧湯日本建、新刊洋館建、最新鉄筋コンクリート二階建、
此等の大きな甍を取り巻くに解散界の大旅館が層をなして-後略-

-前略-昔は霊湯山福泉寺の慈善浴場で、宿泊も炊事も皆無料であったが、
宝暦中(1751-1764)湯本河野家の管理となって全く営業に変わった。
明治二十二年時の佐々木村長将来を慮り、村債を起して河野家から此の温泉を買収した。
地爾来村営のもとに年一年発展し、大正十四年に先づ洋館の浴場を新設し、
次いで昭和三年先進地の温泉場を視察して其の長所を取り、「御前湯」という大規模の浴場を新設した。
-中略-この御前湯の外に既設洋館の「桜湯」「早月湯」と日本建の「弥生湯」と「旧湯」がある。-後略-




【撮影】 
平成24年4月(現在の写真)

【参考文献・HP】
松陽新報 昭和4年4月2日付記事
石見物語 昭和7年 木村晩翠
石見潟26号 平成24年 江津市文化財研究会
「島根県江津美人美肌の湯有福温泉」
「旅館樋口blog」


  1. 2016/09/11(日) 00:12:54|
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有福温泉御前湯(江津市有福温泉町)その2

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以前ご紹介した有福温泉御前湯の建築年について、
改めて整理をしたいと思います。

「島根県の近代化遺産」のリストでは御前湯の記載がありません。
其れが為というわけでもないと思いますが、今一つ建築年が定まらず、
ネット上では昭和3年、4年、5年と築年が入り乱れているのが現状です。

そんなわけで、当時の新聞に新築の記事がないか探してみましたところ、
松陽新報の昭和4年4月2日付で御前湯の開浴式の記事を見つけました。
以下、当時の記事を転載します。

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松陽新報(昭和4年4月2日)

けふ賑やかに「御前湯」の開浴式
完備した新築浴場

石見有福温泉にこの度「御前湯」と称する村営の浴場を増設し、
今一日賑やかな開浴式を行う、この湯は工費1万三千円を投じて建てた、
鉄筋コンクリート二階建て、建坪五十坪余の大建物であって、
輪奐の美、内部施設の充実と相俟って、頗る異彩を放っている、
場内階下の男女両浴場には従来とは異なり
湯坪の真ん中から温泉が湧き上がる仕掛けとなし
別に二室の家族浴室も設備してある階上には
畳敷きの休息所なり娯楽室等もあって完全を期した跡が窺える
(以下略)


以上のことから、御前湯は昭和4年に新築成ったということがわかりました。

2の1
余談ではありますが、上記新聞記事に掲載の有福温泉の写真には、
赤丸のところに建物があるはずなのですが、肝心の御前湯がありません。
①の建物は大正14年に建てられた」桜湯、
そして、②の建物は昭和3年に建てられた早月湯です。
したがって、この写真は昭和3年以降、御前湯の建設前に撮影された写真ということになります。

※有福温泉の共同浴場の変遷については、別に整理をしたいと考えています。

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ヤフーオークションで戦前の有福温泉の絵葉書を落札しました。
明確な時期は不明ですが、戦前の御前湯の姿です。
現在はタイル張りとなっている壁面は、
当時はドイツ壁風であったことがわかります。
窓枠部分にアクセントとしてタイルで縁取りがされていることも確認できます。

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観光案内などで「レトロなレンガ造り・・・」と紹介されますが、
基本的には鉄筋コンクリート造りであり、
タイル装飾は後年の改修によるものだったわけであります。

最後に戦前の有福温泉絵葉書から、
松陽新報記事に沿って御前湯の内部の絵葉書をご紹介します。

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「湯坪の真ん中から温泉が湧き上がる仕掛けとなし」

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「別に二室の家族浴室も設備してある」

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「階上には畳敷きの休息所なり娯楽室等もあって完全を期した跡が窺える」

  1. 2016/05/21(土) 13:53:55|
  2. 島根県の近代建築・江津市
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