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元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

久手町の洋館と大田界隈の近代建築(大田市久手町)

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大田市久手町の町はずれに、立派な門構えのお屋敷があります。

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塀越しにただものではない風格の洋館が見えます。
居住空間としての和風建築と、書斎・客間としての洋館が組み合わさった、
いわゆる折衷住宅の一種でありましょう。
地方ではなかなか見ることのできない様式です。

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令和になって再訪したところ、屋敷を囲っていた門・塀が取り去られていました。
平成30年4月9日の島根県西部地震の影響でしょうか、
大田地域は震度5強を記録しており、塀の倒壊も多かったと聞きます。

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敷地外から洋館を観察してみます。
腰回りをクリーム色のタイル、上半身はモルタルのたたき壁、
パラペットには洋瓦を設えたかなり立派な近代建築です。

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洋館から煙突が出ています。暖炉があるのでしょうか。
屋根には片流れ屋根が追加されています。

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黄土色のタイル、たたき壁、洋瓦などをあしらったこのようなデザインは、
近隣の旧久手産組事務所や、旧大田町産業会館に類似しています。

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久手町の中心部に建つ、昭和9年築の旧久手産組事務所です。
昭和9年、地元出身で武田五一の弟子でもある建築家の岡田孝男が設計し、
地元、大田町で活躍した建築家(大工?)の近藤常次が現場の監督をしています。

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現在は外壁が改装されていますが、当時のままと思われるタイル部分も残されています。
上記の洋館と同じ色合いです。

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(昭和9年8月12日付松陽新報より)
新聞記事の写真では不明瞭ですが、改装前の姿がわかります。
「久手は真秀ろば 二十二世紀の君たちへ」という郷土資料には、
この建物の正面で撮影された記念写真が掲載されており、
その壁面は上述洋館のようなたたき壁が確認できます。

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こちらは大田市中心部の旧大田町産業会館の建物です。
昭和12年築で、設計者は久手産組の建設で現場監督をした近藤常次とされています。
この建物は塗壁部分はなく、全面が黄土色のタイルに覆われており、
開口部の庇には洋瓦が設えてあり、久手産組や上述の洋館との類似性を感じます。

まとめますと、久手町の洋館のスタイルは久手産組や大田町産業会館ととても似ているので、
2つの建物の建設時(S9、S12)と同時期に岡田孝男か近藤常次の設計によって建てられたのではないか?
という仮定はいかがなものでしょうか。ということであります。

この他にも大田には黄土色のタイルを用いた建物が複数確認できます。

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旧大田町産業会館の隣にある「カフェギャラリーポー」さんです。
建築年は不明ですが、元は市の診療所だったこともある建物で、
ごらんのとおり黄土色のタイルを使っています。

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こちらは神田橋の袂に建っている、元商店の建築です。
この建物も黄土色のタイルで覆われています。

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上記の元商店の北側にある、小川旅館の建物です。
出窓がオシャレで黄土色のタイルがあしらわれています。

14 大田市内の未確認物件
この建物はグーグルストリートビューで見つけた大田市内の建物です。
和洋折衷の建物ですが、要所要所に黄土色のタイルが使われています。

このように、大田市内(旧大田町内)に黄土色のタイルを使った建築が点在しています。
これはもう「大田様式」と名付けてもいいくらいですね(言ったもん勝ち)。

まだまだ大田市内や周辺にこの大田様式の物件があるのかもしれません。
久手産組や大田町産業会館に影響を受け、
地元の建築家である近藤常次による設計ではないかという事も示唆されますが、
近藤常次の詳細他、情報が少なく、今後も調査が必要です。


【参考文献】
大田市誌「十五年のあゆみ」 昭和43年 大田市
大田市三十年誌 昭和58年 大田市
日本近代建築総覧新版 昭和58年 日本建築学会
中国地方の西洋館 平成3年 白石直典
久手は真秀ろば 二十二世紀の君たちへ 平成12年 宮脇治正
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  1. 2019/09/23(月) 22:52:46|
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旧松江銀行仁万出張所(大田市仁万町)

またまた前回の投稿から間があいてしまいました。令和の御代になって最初の投稿であります。

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合併で大田市の一部となった、仁万町の中心エリアに現存している、旧松江銀行仁万出張所の建物です。

「島根県の近代化遺産」では、昭和11年築、旧静間商業銀行仁万出張所としています。
この地に静間商業銀行の出張所が開設されたのは明治33年と相当歴史が古いのですが、
当の静間商業銀行は大正12年に八束商業銀行と合併していますので、
この建物が昭和11年築であるならば「静間商業銀行」の建物ではなくなってしまいます。

上掲「島根県の近代化遺産」の説明文と、
中国電力エネルギア総合研究所の「島根県を中心とした産業発展の歴史」より、
静間商業銀行とこの仁万出張所の変遷について整理すると以下の通りです。

明治33年7月  静間商業銀行設立(同年静間商業銀行仁万出張所開設)
大正12年4月  静間商業銀行、八束銀行と合併(八束銀行仁万出張所となる)
昭和2年7月  八束銀行、松江銀行と合併(松江銀行仁万出張所となる)
昭和7年5月   仁万出張所を廃止して宅野支店を出張所に変更し統合
昭和11年8月  仁万出張所と店名を変更し、現在地へ移転
昭和16年7月  山陰合同銀行仁万出張所となる
昭和26年4月 山陰合同銀行仁万支店となる
昭和56年11月 店舗を新築移転

ということで、この建物が昭和11年に建てられたというのが正しいのであれば、
昭和11年当時は松江銀行仁万出張所だったわけですから、
「島根県の近代化遺産」における「旧静間商業銀行仁万出張所」という記述は誤っていることになります。

ただ、ごらんの通り蔵造り風の古風なデザインは、松江に現存する旧第三銀行松江支店や
大田市大森に移築された旧松江銀行本店などの明治期の銀行建築にも似ており、
本当に昭和11年築なのかな?と思ってしまう佇まいではあります。

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元の銀行出張所時代の玄関跡です。昭和56年に銀行が移転した後は改装されて民家となっています。
屋内は改装の結果、銀行時代の痕跡は残っていないそうです。

3 110908仁万出張所
(昭和11年9月8日付 松陽新報より)
松陽新報に戦前の仁万出張所の姿が写っている記事を見つけました。
現在と比較してみると、当時は上げ下げ窓だったものが改装されていたり、
2階の開口部が現在は塞がれていたりなどの変化が確認できます。
記事は昭和11年9月ですから、新築2か月後の姿という事になります。

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手前のショウウインドウ風のものは、合銀時代の名残だそうです。

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以上、旧松江銀行仁万出張所のご紹介でした。本当に昭和11年の築なのだろうか??


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:松江銀行仁万出張所
竣工:昭和11年
構造:木造?
設計者:?
施工者:?

【撮影】
令和元年5月

【参考文献】
「島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書」 平成14年 島根県教育委員会
エネルギア地域経済レポートNo.467「島根県を中心とした産業発展の歴史(明治・大正編Ⅲ)
                            平成25年  中国電力㈱エネルギア総合研究所


  1. 2019/05/13(月) 17:16:19|
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旧本郷青年倶楽部(大田市温泉津町湯里)

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以前ご紹介した旧湯里村役場前の通りを海方向へ、歩いていくと、こんな建物に出会いました。

民家にしては大柄で何となく明治~大正期の小学校の講堂にも見える建物です。
気になる建物でしたが、旧湯里村の歴史を記した「ふるさとアルバム」という資料に、
昭和初期に「本郷青年倶楽部」として建てられたものという記述がありました。

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映画を上映したり、会合などに使われたとありました。
「青年倶楽部」というくらいですから、主に地元の青年団が利用していた施設なのかもしれません。

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伝統的な建築手法の延長線上ある建築で近代建築的な要素はありませんが、
戦前に地方の農村で建設された集会所施設の現存例として貴重な物件と思われます。

【撮影】
平成27年1月

【参考文献】
ふるさとアルバム 平成8年 山本隆慶
  1. 2017/08/16(水) 22:19:03|
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温泉津温泉薬師湯旧館(大田市温泉津町)

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温泉津温泉のしっとりとした町並みに彩りを添える、
薬師湯旧館の建物です。

元々は明治5年の浜田地震の影響により湧きだした
新湯(震湯)の浴場として大正8年に建設された建物で、
現在は薬師湯の付属施設、1階は「カフェ内蔵丞」として、
2階は休憩室として活用されています。

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全体をみれば「洋風建築」といっていいのでしょうけれども、
和風のアーチが連続し、2階は廊下を挟んで和室のしつらえがのぞいており、
伝統的な旅館建築の面影も残ります。

「カフェ内蔵丞」のHPによれば、
建物の普請にあたって地元の大工さんを神戸まで勉強に行かせたとあり、
洋風建築の技法を持たない地元の大工が見よう見まねで洋風を作ったという点では、
いわゆる「擬洋風」建築の一種といえるのではないかと思われます。

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元の玄関部分です。
現在の浴場(新館)が昭和29年に建てられて以降、
浴場としては使用されなくなりました。
現在は玄関部分、内装が、大きく改修されており、
建築当時の姿とは異なります(後述)。

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隣接する新館より、石州瓦で葺かれた屋根を眺めることができ、
かつての換気塔が2つ設置されているのを観察することができます。

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長命館の3階客室より眺めた薬師湯旧館です。
旧館の奥、パラソルが設置されている建物は現在の薬師湯(新館)です。

◆建築当初と現在との相違点
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前述の通り、
昭和29年の新館建築により、
浴場としての役目を終えています。

現在に見る姿は建築当初とは異なる姿であり、
以下に相違点、変遷について整理をしたいと思います。

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ヤフーオークションで手に入れた絵葉書です。
年代は大正8年~昭和4年の間と推定され(※)、
建築当初の姿であると思われます。
キャプションには「石見温泉津新湯の景」とあり、
当時「新湯」と称されていたことがわかります。

現在の姿と比べると、
①1階の平屋の張り出し部分がない(後年の増築)
②浴場入り口が男女(?)2か所設置されている
③2階の中央部分がバルコニー状に張り出している
④2階開口部にガラス窓が入っていない
などの相違点が見られます。
特に1階部分は現在とかなり様子が異なることがわかります。
塗装についても、現在は薄灰色一色ですが、
絵葉書では窓枠や柱部分が壁とは異なる濃い色で
塗り分けられていたように見受けられます。

※絵葉書の年代の根拠
http://www.tanken.com/ehagaki.html
「きかは便郵」の表記は明治33年から昭和8年2月まで、
昭和8年以降は「きがは便郵」と表記が変わったそうです。


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松陽新報昭和4年7月14日付

昭和4年の松陽新報の「温泉津特集」的な
記事に掲載されていた写真です。
写真をみると、軒下に「温泉文化休憩所」の看板が
設置されているのがわかります。
看板設置以外にはあまり改造がないように思われます。

当時の新聞の写真は使いまわされているケースがあるので、
この写真も記事が昭和4年だからといって
昭和4年のこの時に写したものとは断定できませんが、
おおよそ昭和に入ってからのものではあると思われます。

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比較のために上記の時代の姿を並べてみました。
このほか、「温泉津: 1999 : 伝統的建造物群保存対策調查報告書」では、
正確な時代はわかりませんが、
建物右側に売店のような小屋が増築されている写真が掲載されていました。

薬師湯の向かいにある山県屋旅館のHPには、
ページの下の方に1975年と記載のある、新湯の写真が掲載されています。
小さい写真なのですが、よく見るとバルコニーが残っており、
中央の玄関部分も原形をとどめた姿が確認できます。
建物左側は手前に増築されているようで雑貨屋のような雰囲気です。
山県屋旅館の画像から、少なくとも昭和50年頃までは
建物は原型をとどめていた。ということがわかりました。

玄関部分の改装は、新館ができて使われなくなった時期と想像していたのですが、
意外と最近の改装ということでちょっとびっくりです。

以下に、建物の改装についてまとめます。
1:大正8年~昭和初期・原形の姿
2:昭和4年頃・「温泉文化休憩所」の看板が取り付けられている
3:時期不明戦前・建物右側に売店が増築されている
4:昭和50年・建物左側に増築され雑貨屋が開店している
5:時期不明・改装(玄関・バルコニー撤去、窓ガラス取り付け)
6:現在・「震湯カフェ内蔵の丞」

※根拠
1・絵葉書より
2・松陽新報昭和4年記事
3・「温泉津: 1999 : 伝統的建造物群保存対策調查報告書」
4・山県屋旅館HP


◆設計・施工
 「中国地方の西洋館」や、「興雲閣修理復元基本計画」などの資料では、
この建物の設計を和泉利三郎としています。
和泉利三郎は松江城山の興雲閣を手掛けた人物です。
しかし、「温泉津: 1999 : 伝統的建造物群保存対策調查報告書」では
この建物の棟札について記載があり、

棟札によれば、
上棟:大正8年3月
施主:内藤金五郎、山根権四郎
大工棟梁:山崎仁作、松本伊作

と、いうことになっています。
上述の通り、建物建設に当たっては大工を神戸に勉強に行かせたとありますから、
山崎仁作氏か松本伊作氏のどちらか、あるいは両名が神戸へ行き、
神戸の洋館を手本にして建てた。ということになるかと思います。

◆名前の変遷
建物(温泉)の名前の変遷は以下の通りです。
新湯:建築当時
震湯:昭和10年頃
藤の湯(藤乃湯):町営時代
薬師湯:現在

◆まとめ
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以上、薬師湯旧館についてまとめてみました。
文献やネットで建築年や施工者がまちまちでありましたが、
その点についても情報を整理する事が出来たと思います。
もう少し具体的に、いつ頃どのような改修が行われてきたのか、
絵葉書などの古写真を探せれば面白いのかな。と考えています。


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:新湯
現在の建物名:カフェ内蔵丞
竣工:大正8年
構造:木造2階建
施工者:山崎仁作、松本伊作

【撮影】
平成19年8月
平成21年9月

【参考文献】
中国地方の西洋館 平成3年 白石直典
温泉津: 1999 : 伝統的建造物群保存対策調查報告書 平成11年 温泉津町教育委員会 
島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書 平成14年  島根県教育委員会
興雲閣修理復元基本計画 平成21年 興雲閣修理復元・活用検討委員会











  1. 2016/03/28(月) 00:52:00|
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温泉津の洋風建築(大田市温泉津町)

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しっとりとした町並みが素敵な温泉津にも、
若干の洋風建築が残されています。

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旧大嶋屋。
「温泉津: 1999 : 伝統的建造物群保存対策調查報告書」によると、
大正末期の築とのことです。

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旧大嶋屋の建物は全体的には伝統的な塗屋形式を取っていますが、
角の面だけが看板建築になっている不思議な建物です。

竣工当初からこのような形だったのでしょうか。
上掲の資料にはその点について記載がありませんでした。

この建物は温泉津のメインストリートが直角に曲がる角地にありますので、
当初は通常の町屋建築だったものが、
昭和に入ってバスや自動車が乗り入れるようになった際に、
その通行の支障にならぬよう、角を箭除することとなって、
その時に箭除した面を洋風のファサードにした。ということも考えられます。

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こちらは上掲の写真の2年前(平成19年)の姿。
比べると窓枠の木製化など、
ずいぶんきれいに整備されたことがわかります。

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こちらは昭和10年築の旧岸本時計店の建物です。
1階は住居に改装されていますが、
元々はショウウインドウを備えた店舗建築でした。

【撮影】
平成19年8月
平成21年9月

【参考文献】
「温泉津: 1999 : 伝統的建造物群保存対策調查報告書」 平成11年 温泉津町教育委員会 

  1. 2016/02/14(日) 23:21:19|
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