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元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

御岳登山鉄道瀧本駅(青梅市御岳)

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奥多摩の御岳山を目指す際、玄関口となるのが御岳ケーブルカーの瀧本駅駅です。
ご覧のように柱を露出させた山小屋風が印象的な駅舎であります。

かなり歴史のある駅舎のようにお見受けします。
ウィキペディアによれば御岳ケーブルの開業は昭和9年、
戦時中の休止期間を経て昭和26年に運転が再開されています。
現在の駅舎が戦前に建てられたものなのか、戦後の運行再開の折に再建されたものなのか、
御岳ケーブルの古い写真というものがなかなか見つからず確証を得られなかったのですが、
ヤフーオークションで御岳ケーブルの古絵葉書を発見し落札することができました。

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いかがなものでしょうか、飾り気のない駅の雰囲気や写っている人物の服装などから、
昭和9年の開業時に近い時期に撮影されたものと推察されます。

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現在の瀧本駅の姿です。絵葉書と比べてみますと、1階部分は増築がなされていますが、
建物自体は戦前の姿のままという事が確認できると思います。

拡大1
絵葉書に写っているホーム、上屋の部分を拡大してみました。
この辺りの構造物は現在も原形を保っているように思われます。

拡大2
駅舎部分の拡大。1階部分は板張り、2階部分は柱を露出させたハーフティンバー風です。

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ホームから観察する駅舎2階部分。
建具は更新されていますが、ほぼ原形を保っています。

以上、御岳ケーブル瀧本駅のご紹介でした。
絵葉書により、現存する駅舎は昭和9年の開業当時に建てられたか、
少なくとも戦前のうちに建てられた近代建築であるということが分かりました。

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  1. 2019/04/16(火) 22:15:10|
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旧白鳥村信用組合倉庫(市原市大久保)

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模型仲間とともに小湊鉄道の「里山トロッコ」を楽しんでおりましたところ、
上総大久保駅を出たところで車窓に気になる物件を見つけました。
JAの支店とその倉庫といった風情ですが、すでに看板をはずされ、ATMも動いていなさそうな雰囲気です。

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事務所棟の隣には農業倉庫。手前は新しい増築風ですが、その奥には昔ながらの倉庫のようです。

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注目すべきは倉庫の「鉢巻」の部分に書かれている文字です。

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一部不鮮明ですが「保証責任白鳥信販購利組合農業倉庫」とあるようです。
「信販購利」は「信用販売購買利用」の略でありましょう。
信用販売購買利用組合、これはJAの前身となる戦前の産業組合の形態の一つです。

戦前の産業組合の歴史は非常にむつかしく、無学なブログ主にはいまだ理解できない点が多いのですが、
ウィキペディアなどの説明によれば、産業組合は昭和18年には戦時統制によって解散しているようです。
ということであれば、この倉庫に書かれた文字は、戦前の産業組合時代に書かれたものという事になります。

「白鳥」はこの地域の旧白鳥村のことでしょう。白鳥村は明治22年の町村制施行で成立し、
昭和28年に近隣の町村と合併して加茂村となっています。

以上、(多分)旧白鳥村の産業組合倉庫のご紹介でした。
戦前の産業組合時代からの倉庫の現存は各地にありますが、
当時の「信用購買販売利用」の文字が残されているという点で貴重な物件と思われます。

  1. 2017/08/28(月) 22:15:31|
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国士館大学大講堂(世田谷区世田谷)

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国士館大学の構内、近代的な校舎が立ち並ぶ中で異彩を放つ、大正8年築の「大講堂」の建物です。

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寺院風・純和風なこの建物は大正6年に青山の地に創立した国士舘が
大正8年に、世田谷の当地に移転した際に講堂として建設された建物です。

完成当初はまさに講堂として、この建物内で講義が行われたそうで、
頭山満や中野正剛といった錚々たる人物がこの講堂で講演に立ったそうです。

昭和20年5月の空襲(山の手空襲か)で隣接校舎は罹災したものの、
学生・教員の尽力により大講堂は焼失を免れ現代に至ります。

A
(国土地理院WEBより引用)

昭和19年の国士館周辺の航空写真です。
不明瞭なるも赤丸の部分に講堂らしき建物が確認できます。

B
(国土地理院WEBより引用)

昭和22年の航空写真では周囲の校舎が焼けてなくなっているのに対して、
大講堂の建物がしっかり残っているのが確認できました。

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鬼瓦には国士舘の校章があしらってありました。

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張り紙がべたべた貼ってあるのは塀ではなく、塀風の掲示板です。

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建物の裏側。出っ張っている部分は奉安庫の跡でしょうか?

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こうしてみるとお寺の本堂のようにも見えます。

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安田講堂や大隈講堂のような華やかさはありませんが、
国士館大学の象徴として大切にされているたてものでした。

【参考資料】
現地の案内板を参考にさせていただきました。

【撮影】
平成29年6月
  1. 2017/06/12(月) 22:54:01|
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六郷水門近くの近代建築(大田区南六郷)

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六郷水門の近くに気になる建物を見つけました。

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増改築の激しい建物ですが、立派な玄関が、ただものではない雰囲気を漂わせています。
車寄せ上部に「常盤軒」の切り文字が据えられています。
調べてみると、仕出し弁当や、ケータリング事業をおこなっている、
常盤軒フーズの工場ということが分かりました。

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とにかく玄関が立派です。

この建物がどのような歴史を持っているのか、
大田区誌などをいろいろ調べてみましたが、よくわかりませんでした。
そこで、思い切って常盤軒さんに質問をしてみたところ、下記のような回答をいただくことが出来ました。

(いただいたメールより抜粋・要約)
・常盤軒フーズでは平成25年2月から使用して いる
・それ以前は株式会社常盤軒という会社が平成17年3月から建物を改修して使用していた
・その前は印刷工場だったときいている
・ビルの竣工は昭和13年とのこと
・軍需関係の研究所として建てられたものだとのこと
・平成14年に印刷工場として使用した時に改装されているとのこと


大変貴重な情報をいただきました。
昭和13年築、やはり戦前からの建物だったことがわかりました。
「軍需関係の研究所として建てられた」ということですが、これは非常に興味深い話です。
この建物の向かいには、URの大きな団地がありますが、この団地の敷地はもともと、
特殊製鋼という工場の敷地だった場所だそうですから、
そのすぐ目の前にという立地から「特殊製鋼」の関連施設だったのかもしれません。
この特殊製鋼という会社、今はもうないようで、あまり資料が出てきません。
羽田空港のそばにあった日本特殊鋼のことなのか、それとは別の工場なのか、
そのあたりも含めて、調べてみると何か新しい発見ができるかもしれません。



最後に国土地理院の航空写真から、建物の状況を確認してみたいと思います。

S11 
昭和11年の航空写真では、建物がなく、空き地のようになっています。

s19
これが昭和19年の航空写真になると、不明瞭な写真ではありますが、
当該建物らしきものが写っていることが確認できます。


S22
終戦後、昭和22年の航空写真は画像が鮮明です。
周囲が焼野原になるなか、爆撃を免れた工場のその隣に、
当該建物がしっかりと確認できます。

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現在の建物の特徴である車寄せと、正面右手の階段塔?と思われる3階部分ですが・・・。

S22拡大
昭和22年の航空写真を拡大してみると、車寄せと階段塔がバッチリ確認できます。



【撮影】
平成29年2月

【参考WEB】
大田区役所「六郷昔ばなし」
http://www.city.ota.tokyo.jp/kamata/ts_rokugou/katsudou/rokugou_mukashibanashi.html

【御礼】
本記事作成に当たっては、常盤軒フーズ様に貴重な情報をいただきました。
御礼申し上げます。



  1. 2017/04/30(日) 10:18:24|
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千住神社神輿倉(足立区千住宮元町)

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千住神社はその創建が平安時代までさかのぼることのできる、

足立区でも最も歴史のある神社の一つです。

歴史の古い神社ですが、昭和204月の空襲により、

本殿をはじめとして神社の主要な建物は悉く灰燼に帰しました。

しかし、一棟だけ焼け残った建物があるのです。

そう、これからご紹介する神輿倉です。。。


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ということで千住神社の神輿倉です。

昭和5年築としているサイトがありました。


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国土地理院webより

 

国土地理院のサイトより、昭和22年に米軍が撮影した航空写真を確認してみました。

千住神社をはじめとして千住宮元町周辺はほとんど焼野原のままですが、

赤丸の中、神輿倉が焼け残っていることが確認できます。


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社務所側から。


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同じく社務所側から。

裏側には開口部がありません。


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神輿倉を囲むコンクリート塀には丸い痕跡が残っています。

かつては金属製の装飾などがはめ込まれていたのかもしれません。


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通気口。ちょっとおしゃれな感じです。

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以上、千住神社神輿倉の紹介でした。

この神輿倉のおかげで、江戸時代に作られた神輿が空襲から守られ、

今もお祭りで担がれているわけであります。

 

【撮影】

平成266

平成291





  1. 2017/01/04(水) 22:04:42|
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