元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

旧制松江高等学校の遺構

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島根大学の前身のひとつ、旧制松江高等学校(以下淞高)は、
大正10年開校、山陰随一の高等教育機関でした。
淞高の敷地はほぼ島根大学の敷地として現在も継続して使用されています。
現在の島根大学のメインストリートは敷地のほぼ中央を縦貫するレイアウトですが、
淞高時代は敷地の西側に主要な建物が固まっているレイアウトでした。
正門からむかって右に本館、左に講堂というレイアウトは、
大正期に設立された他の旧制高校と共通したスタイルです。

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淞高正門。現在は位置を変えて島根大学の正門として使われています。

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登録文化財に。

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「青春の歌」歌碑。
メインストリートから遠くにうかがうことができますが、
植え込みなどに阻まれてなかなか近寄りにくい環境にあります。

表には淞高の代表的寮歌である「青春の歌」の1番の歌詞が刻まれています。
旧制松江高等学校史「嵩(だけ)のふもとに」によりますと、
昭和36年に淞高創立40周年を記念して建立されたものだそうです。

島根大学HPにある昭和34年の画像をみますと、
旧講堂脇にこの歌碑が立っているのが確認できますから、
講堂解体後にこの位置へ移動させたものと推察されます※。
※島大HPの説明では「昭和34年」としていますが碑の建立は昭和36年で矛盾しています。

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平成12年に創立80周年を記念して建てられた「松江高等学校址」碑。
旧制高校のシンボルである白線があしらわれています。

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教育学部の隅に残る階段です。
淞高時代の講堂の裏から寮へ向かう階段ではないか?と考えていましたら
島大ミュージアムのブログにこんな記事が
装飾のついた石まで発掘されたそうです。すげー。

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メインストリートから教育学部に向かう階段ですが、
これも淞高時代の遺構ではないかと推察されます。
位置的には校庭から寮へ向かう階段ではないでしょうか?
こちらの画像には戦後の写真ではありますが似たような階段が写っています。

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松江市石橋町にある、旧松江高等学校外国人宿舎です。
淞高時代の建築物としては現存唯一のもです。

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大正13年築。島大時代は職員住宅として利用されていましたが、
保存・活用が決定し、平成21年に当時の姿に復元の上、
島大サテライトミュージアムとして活用されています。
画像は職員住宅時代のもの(平成19年撮影)。

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こちらは復元中(ほぼ完成)の姿(平成21年撮影)。

淞高時代の建物はほとんど残っておらず、せめて講堂だけでも保存されていれば、
島根大学のキャンパスの雰囲気も時代を感じさせるものになっていたかもしれません。
しかしながら、全国に存在した旧制高校の中ではその門すら残されていない学校も少なくありませんから、
正門の位置移転の際に淞高時代の門を移動させてまで残した
当時の関係された方々のご尽力には敬意を表したいと思います。
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  1. 2012/01/27(金) 00:15:21|
  2. 島根県の近代建築・松江市
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