元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

伊毘志橋(雲南市三刀屋町多久和)(その2)

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以前ご紹介した「伊毘志橋」の補足です。

前回は「松陽新報社」の記事から橋の存在を知り、現存を確認しました。
同じ時期の「山陰新聞」の記事で新しい事実が分かりました。

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山陰新聞(昭和11年8月12日付)より

「旧松江大橋の擬宝珠を附けた伊毘志橋」
「飯石神社の参道を飾る十日竣工渡初め式」

県立三刀屋、飯石線の飯石神社参道の伊毘志橋は
総工費二千四百六十五円を投じ、
去る五月末着手しこの程竣工したが延長10米、幅員4米50の鉄筋混凝土、
高欄と男柱は御影石で元松江大橋にあった擬宝珠を取付けた優美な橋で(以下略)


ということで、伊毘志橋に取り付けられた擬宝珠は、
なんと、先代の松江大橋に取り付けられていたものの再利用でした。

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明治44年に架橋された先代の松江大橋の絵葉書です。

※市営バスが旧塗装(S4~S9)である、
原田時計店が改築されている(S8)ということから、
絵葉書の撮影時期は昭和8年~9年の間と考えられます。


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上掲の絵葉書を拡大してみました。
この擬宝珠が伊毘志橋に転用されたようです。

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こちらは松陽新報(昭和11年8月14日付)掲載の伊毘志橋です。

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現在の伊毘志橋です。
松江市市制施行110周年記念写真集「松江今昔」では、
昭和17年に金属供出により松江大橋他市内の擬宝珠などが撤去されたとあります。
おそらく、伊毘志橋の擬宝珠も、同様の運命をたどったものと思われます。
現在の先代の松江大橋由来の擬宝珠が残っていたら面白かったのですが。

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伊毘志橋は昭和11年5月に起工し、同年7月に完成しています。
当代の松江大橋は昭和10年頃から先代の撤去、工事を開始し、
昭和12年10月に完成しています。

どのような経緯で擬宝珠が転用されることのなったのか、
今となっては調べようもありませんが、
伊毘志橋の工事は松江大橋のそれに重なっていますので、
たまたま先代松江大橋の擬宝珠の「出物があった」ということなのでしょう。

松江大橋の親柱・高欄作成の「先行試作」として伊毘志橋を使った・・・
などという話だったら面白いのですが、これはいささか飛躍した考えでありましょうか。


【平成29年5月28日追記】
その後、新聞記事を探っていたところ、昭和12年の山陰新聞より、
次のような記事を見つけました。
S121016山陰新聞擬宝珠s
山陰新聞(昭和12年10月16日付)より

「舊松江大橋の擬宝珠が再縁」
「由緒の架橋に利用」
〝松江大橋流れよが焼けよが・・・”
唄われ乍ら先年〇を積んだ発動機船が橋脚に衝突した為め陥落し、
「転禍為福」を文字通り国庫補助の下に素晴らしい天下一品の名橋に
来る18日の竣工式を以て甦生することになったが、
親橋も旧橋の情緒を偲んで勾欄擬宝珠優美な趣を生かしているにつけ、
旧橋の勾欄擬宝珠はその後どうなったかと訊ねるに
県土木課では旧橋解体の際に擬宝珠大8個、小12個を保存、
そのうち地許松江市に記念のため一個を交付し、
更に飯石郡飯石神社前の伊毘志橋(竣工)八束郡佐太神社前の〇橋(竣工)、
八束郡八重垣神社前の宮橋(未竣工)に使用した丈で尚お残部は県に於て所蔵、
各地由緒の架橋に利用して日本独特の橋梁美発揮に努めることになった。


ということで、山陰新聞の記事より、旧松江大橋擬宝珠の転用の経緯が分かりました。
他にも八重垣神社、佐田神社神前の橋にも転用されたとありましたが、
すでに橋は架け替えられています。

県の土木課で旧橋の擬宝珠を確保して、
神社など、和風の意匠を要する橋に転用していったことが分かります。
この時点では「尚お残部は県に於て所蔵」ということで、
この後も県内に架けられた橋に使用された可能性があります。







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  1. 2016/08/22(月) 23:38:56|
  2. 島根県の近代橋梁
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