元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

弘鶴橋(安来市母里)

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母里の町に架かる弘鶴橋のご紹介です。

この橋の歴史は古いそうで、藩政期には、
母里藩内で唯一、藩が直接管理をしていた格式の高い橋だったそうです。
現在の橋は昭和11年架橋、昭和9年にそれまでの木橋が
洪水で流されたことによる架けかえによるものです。

伯太町誌(昭和37年)には次の通り記述があります。
『昭和11年には、伯太川にかかる弘鶴橋を
鉄筋コンクリートの近代的橋梁に改架した母里大橋の竣工をみたのである』

このほか、上記伯太町誌には弘鶴橋の改架について、
次のような情報が掲載されていました。

・(先代の橋は)昭和9年5月21日の出水で流出
・(新橋は)予算1万3千7百円、施工は奈良井組、県の広瀬土木管理部が監督
・昭和11年7月に工事を始め、「五か月の工事中何らの支障もなく幅員5米延長76米」
・昭和11年12月10日に開通式

写真集「目で見る松江・安来の百年」でも、弘鶴橋を母里大橋としており、
橋名の混同が見られますが、鉄筋コンクリート橋に掛け替えた際、
立派なので「母里大橋」という愛称が「併用」されたのではないかと推察されます。
昭和11年7月に工事を開始して、開通式が同年12月。
単純な桁橋ではありますが、鉄筋コンクリートの橋を架けるのに
工期が5カ月というのは、とても早いような気がします。
そんなもんなのでしょうか??


実際の橋を見てまいりましょう。
2_20150617000944dd3.jpg
親柱はシンプルな四角柱です。
一見戦後のものなのかと思わせるシンプルさですが、
戦前の写真にもまったく同じ親柱が写されて、
オリジナルのデザインであることがわかりました。

3_2015061700094561c.jpg

「昭和」という文字がなんとなく読めるような気がします。
例によってオリジナルの橋名板は金属回収で撤去され、
セメントで代用したものと思われます。

4_20150617000946635.jpg
伯太川の東岸、東母里側の状況です。
高欄は、近年のかさ上げ柵の増設が見られますが、
本体はオリジナル親柱と同じ背丈のコンクリート部分はオリジナルです。
古写真をみると、高欄の開口部には一本鉄柱が入っていたようです。

5_20150617000947771.jpg
橋全体を見ます。シンプルな桁橋です。

新旧地図で橋の位置を確認してみます。
H27母里
(国土地理院WEBより一部転載・加筆)

S12母里2
(昭和12年発行 大日本帝国陸地測量部 「米子」1/5万より一部転載・加筆)

現代では母里の町の南北両端にも橋がかかり、
自動車交通のメインは移っておりますが、
戦前の地図を見ますと、弘鶴橋が母里の町の中心部に架かり、
母里の東西を結ぶ重要なルートだったことが読み取れます。

余談ですが昭和12年の地図には、昭和19年に休止となった、
法勝寺電鉄(伯陽電鉄)母里支線の「母里駅」が明確に記されています。
現在の地図をみても、駅前の道路や線路跡が何となく残されていて、
思わず地図を片手に廃線巡りに出掛けたくなってきます。

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高欄のかさ上げなどが実施されておりますので、
当面は現役を続けることでしょう。

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西母里側の橋のたもとに、母里村の道路元標が残されています。




【橋の諸元】
橋名:弘鶴橋(母里大橋)
竣工:昭和11年
形式:RC桁橋
所在地:安来市母里
川:伯太川
道路:?

【撮影】 
平成26年9月

【参考文献】
伯太町誌 昭和37年 伯太町
目で見る松江・安来の100年 平成11年 郷土出版社
郷土母里第2輯 平成16年 母里公民館・ 母里郷土誌編纂委員会 


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