元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

旧久手信用購買販売利用組合会館(高砂会館)その2

大田市久手駅前の気になる建築、「高砂会館」ですが、
昭和9年の松陽新報から、「久手産組事務所落成」という記事を見つけ、
色々なことがわかってきました。

0_20150628191431f89.jpg


【建物に関する考察】
1_201506281914323a4.jpg
松陽新報(昭和9年8月12日付)より抜粋

新聞記事にばっちり建物の写真が掲載され、
当時の姿が判明しました。

2_20150628191434d55.jpg
松陽新報写真の拡大。

3_201506281914351b4.jpg
現在の姿。

竣工当時の写真と、現在の写真とを比べてみますと、
塔の部分1階3階のアーチ窓が失われている点、
塔の正面側に後年の補強がある点を覗くと、
思ったより改変の度合いは少ないように思われます。

4_20150628191436bd5.jpg
特に、塔の4階部分のスパニッシュな装飾は、ほぼ原形をとどめているようです。

当時の写真から、1階窓下回りがタイル貼りであるほか、
外装はおそらくモルタル塗りということがわかります。

現在は建物全体が暗い赤色で塗装されておりますが、
塔の4階部分だけ暗いクリーム色になっていて、
当時の白黒写真と見比べると、
元々は全体が暗いクリーム色で塗られていたのではないかと思われるのであります。

1階窓下回りのタイルについては、現在で一部が残存しています。

建物本体は装飾の少ないモルタル塗りであるのに対して、
付属の塔屋の4階部分だけがしっかりとスパニッシュスタイルになっているという、
一風変わった建物なのですが、竣工当時の写真を見ても、
この塔屋の存在に「とってつけた感」がないのは、設計者の技量によるものでしょうか。


【建設の経緯・建築のプロフィール】5_20150628191948722.jpg

「事務所新築事情」という項があり、これをまとめますと、
『組合設立以来借入事務所で営業し、今日まで21年を経過したが、
事務所建設積立金も1万円以上となり、かつ、社会状況の変化に際し、
産業組合の活動の重要性も一層の期待がかかっている中で、
借家では十分な活動ができないので新築を決行した。』
ということになりましょう。

建物の詳細も記載されています。
・本館2階建塔屋つき西洋造一棟
・1階51坪、2階51坪、塔屋3階4坪、塔屋4階4坪
・設計者:岡田現組合長息工学士岡田孝男氏
・工事監督:大田町近藤常次氏
・請負者:株式会社鴻ノ池組
・工事請負金額:8,800円
・起工:昭和9年2月
・竣工:昭和9年7月31日


【設計者岡田孝男について】
設計者の岡田孝男について調べてみましたところ、
次のようなことがわかってきました。

日本建築学会論文集、牧田知子
「近代住空間の形成-大阪・三越住宅建築部と岡田孝男の活動‐(H7年)
によりますと、岡田孝男は明治31年島根県生まれ、
昭和2年に京都帝国大学建築学科に入学し、
武田五一教授の私設秘書を務めながら昭和4年に卒業、
昭和5年の大阪・三越住宅建築部の開設と共に、
同建築部の設計技師に就任し、
昭和16年の同建築部閉鎖まで住宅設計をしてきたとのことでした。

岡田孝男の他の作品には以下のようなものがありました。

旧山本清邸(近藤寿一朗邸):昭和13年築
(西宮市HP)
http://www.nishi.or.jp/homepage/shicyo/koho/shiseinews/2013/13_1010/201310101421_1203.html

旧根雨公会堂:昭和15年築
(文化遺産オンライン)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/113237
(日野町HP)
http://www.town.hino.tottori.jp/1287.htm

近藤寿一朗は根雨出身の実業家で大阪を中心に活躍していた人物です。
同じく大阪で活動していた同じく山陰出身の岡田孝男に自邸の設計を依頼し、
さらに郷里に寄付した公会堂の設計も依頼したのでありましょう。

岡田孝男の経歴をまとめますと下記のようになります。

明治31年   島根県に生まれる
昭和2年   京都帝国大学建築学科入学
昭和4年   卒業
昭和5年6月  大阪・三越住宅建築部開設 設計技師に就任
昭和9年   久手信用購買販売利用組合会館設計
昭和13年   近藤寿一郎邸設計
昭和15年   根雨公会堂設計
昭和16年   三越住宅建築部 閉鎖

このほか、山陰では戦後、
境港の旅館「美保の松」の別館の設計を行っています。

岡田孝男の作風を、前述の論文から引用しますと、
「雑誌への寄稿では諸外国の様々な住宅スタイルを紹介した岡田だが、
 実際には極端な洋風は採用していない。洋風では褐色のS字瓦、
クリーム色の壁、アーチ形の開口、パーゴラ、バルコニーなどの要素を多く採用し、
和風では黒色のS字瓦、外壁の腰タイル、白壁に柱梁を表す、
丸窓といった手法で新しい和風を表現した」
とあります。

住宅である近藤邸はもちろんですが、
根雨公会堂、久手信用購買販売利用組合会館(塔屋以外)には
上掲の岡田孝男のデザインの共通性を感じさせます。


【なぜスパニッシュなのか】

以上のように、華美な装飾性を排した、モダンな作品性をもつ岡田孝男が、
なぜ、久手信用購買販売利用組合会館の塔屋ではスパニッシュな装飾を用いたのか。

結論としては、
「設計者がスパニッシュ様式を日本に紹介した、武田五一の弟子だったから。」
ということになりましょう。

岡田孝男の師匠である武田五一は関西の建築界の重鎮で、
スパニッシュ様式を日本に紹介した人物としても知られているそうです。

現存する武田五一の建物から、「スパニッシュ」な建物はないかと
探してみたところ、京都の「東方文化学院京都研究所」がありました。

旧外務省東方文化学院京都研究所(文化遺産オンライン)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/181833
(昭和5年 武田五一・東畑謙三)

6_20150628191949e54.jpg
いかがなものでしょうか、塔のデザインがそっくりではないでしょうか。

三越住宅建築部において普段はクライアントの注文に沿った
設計をしていた岡田孝男が、郷里で産業組合長をしている父親から
組合会館の設計を頼まれ、郷里という気楽さから、
通常の顧客ありきの設計とは異なる自由度の中で、
師匠が手掛けていた「スパニッシュスタイル」を、
試してみたというところなのではないでしょうか。


【まとめ】
長くなりましたが、
松陽新報の記事より竣工当時の建物と現在の状況との比較、
設計者と塔屋がなぜスパニッシュ様式になったかの考察をしました。

岡田孝男の設計した建築物は文化財に指定されているものが多いですが、
当該の建物も、山陰地域にあってスパニッシュ様式が表現された希少性、
また、その設計が武田五一の影響を受けているという点から、
かなり貴重な建物であると思われます。

これからもお元気で、と願います。




【参考文献】
松陽新報記事 昭和9年8月12日付 松陽新報社
新建築 昭和31年10月号 新住宅社
新版日本近代建築総覧 昭和58年 日本建築学会
近代住空間の形成‐大阪・三越住宅建築部と岡田孝男の活動‐
平成7年 牧田知子 日本建築学会論文集
島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書 平成14年 島根県教育委員会

関連記事
スポンサーサイト
  1. 2015/06/28(日) 19:36:05|
  2. 島根県の近代建築・大田市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3
<<浜原駅(美郷町浜原) | ホーム | 須郷橋(津和野町相撲ヶ原字須川谷/益田市長沢町)>>

コメント

すごいですね!よく調べられましたね!!
設計者の岡田孝男さんは、京大建築の方だったのですね。
それにしても、島根から京大建築に行っていた方が高松伸以前にいらっしゃったとは。。

確かに、武田五一のゼセッションの雰囲気が色濃く感じられます。

改めて見て素晴らしい建築ですね。

記事をいつも楽しみにしております。
  1. 2015/07/09(木) 11:04:37 |
  2. URL |
  3. 大田あるある #-
  4. [ 編集 ]

大田あるあるさま

記事をお読みいただきありがとうございます。
励みになります!

昭和58年に出版された日本近代建築総覧に
設計者の名前は出ていたのですが、
どんな人か調べてみたら
面白いことが分かってきた次第です。

大田の近代建築は奥が深いです。
  1. 2015/07/11(土) 10:24:42 |
  2. URL |
  3. 元島根県民 #-
  4. [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2016/06/07(火) 09:12:36 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://okigoka.blog.fc2.com/tb.php/302-bf661d69
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)