元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

有福小学校(浜田市下有福町)その2

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以前ご紹介した有福小学校について新たな情報が入りましたので、
その2をお送りします。



【建物の詳細】
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松陽新報(昭和9年11月8日付)

新聞では、昭和9年11月8日に竣工式を挙げる旨と、
建物の概要、有福村村長と有福小学校校長の談話が掲載されています。

講堂については、
「講堂の如きは小学校としては山陰第一称され、
鉄筋コンクリートのドッシリとした近代建築」

と記されています。

続いて建物の概要が記されていたので、概要をまとめます。

講堂
九間に十八間鉄筋コンクリート平家建基礎工事は
地下四尺、地上四尺のコンクリートとなし大玄関は正面に大円柱を現し
玄関両側に控室と下足室をつけ演壇は三方階段とし
後方に控室、生徒出入口合計二十四坪

増築校舎
旧校舎四教室を解いて二十二間に五間半の二階建、
階上普通教室四、階下職員室、普通教室二、唱歌室

経費総額
二万七千六百円建築費、設備費、監督費、雑費共
内一万九千円村債、二千百円本年度会計、
三千五百円学校積立金、三千円基本財産繰入

学校長の談話に次のような一文があります。
「この講堂の新築は実に私が就任以来の念願であつた
それは学校教育の上のみに止まらず従来本村に
全村民を一同に会合せしむべき適当の場所をもたず、
村政上不便利大なるものがあったからである
今後温泉を普く天下に紹介する上に於いても
此講堂を利用して各種の催しを計画し
或いは諸般の合同施設等に提供する事は
村の発展に資する処すくなからずを信ずる」


つまり、講堂の建築目的が
小学校の教育施設としての役割だけでなく、
村の公会堂、文化拠点として活用することも
踏まえていたことがわかるわけであります。



【有福小学校の設計者】
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松陽新報(昭和9年11月8日付)

戦前の新聞には学校や郵便局などの新築の際に、
このようにその地域の名士や団体の名刺広告が掲載されていました。
この風習(?)がいつ頃まで続いていたのかは確認していませんが、
名刺広告から、建物の建築に関係した人物・団体はもちろん、
その村にどのような団体があったのか、
どのような人が名士としていたのかが、わかります。
郷土資料としても有用なのではないかと思います。


さて、赤枠の部分を拡大してみましょう。
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「有福校建築工事」「設計監督」
「秋鹿建築事務所」「秋鹿隆一」

ありがたいことに、設計した人物が名刺広告を出してくれて、
有福小学校の設計者が秋鹿隆一だったということがわかりました。
島根県内で秋鹿隆一が設計したことが(ブログ主の中で)分かっているのは、
藤忠ビル(昭和3年・現存せず)
旧吉田信用購買販売利用組合(昭和7年ごろ)
以上2件であります。

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藤忠ビル

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旧吉田信用購買販売利用組合

秋鹿隆一は戦前に島根県で活躍した建築家のようですが、
有福小学校も秋鹿隆一の設計だったとは(ブログ主の中では)新発見でした。

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旧吉田信用購買販売利用組合と松陽新報掲載の有福小学校校舎との比較

吉田の信用組合と有福小の窓回りのデザインを比較してみると、
何となく似ているような気がします。


昔の新聞記事から建物の設計者が割り出せるとは思いませんでした。
今後も、この方面から建築データを収集してみようと思います。


【参考文献】
松陽新報 昭和9年11月8日付新聞記事


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