元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

吉田大橋(雲南市吉田町)

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旧吉田村の中心地である吉田町に架かる、吉田大橋です。
一見して戦後の橋のように見えますが、
昭和7年に架橋されたれっきとした戦前生まれの橋です。

ちなみに橋の向こうに見えます「吉田公園」は、
昭和4年に彫刻家内藤信の設計のもとに造られた公園です。
松江氏の名誉市民にもなっている内藤信は、
吉田の出身で、後年、松江大橋架橋の際、
橋のデザインについても大きな影響を残した人物でもあります。


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(国土地理院WEBより一部転載)
場所は地図の通り、
民谷方面から来た場合の吉田町の玄関口にあたります。

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(大日本帝国陸地測量部 「頓原」昭和10年より)
現在では新しい道・橋ができてしまい、
ほとんど吉田公園のエントランスとしての機能しかなさそうですが、
昔の地図を見ますと、吉田町の中央通りに通じる重要な橋であったことが読み取れます。

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吉田公園へ上る階段から橋を俯瞰した画像です。
橋の向こうが吉田町で、田部家の土蔵群や旧吉田村商工会館などがある通りです。

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上記の画像の反対側からの撮影です。
親柱も欄干も架橋当時のものではありません。

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(松陽新報昭和7年10月10日紙面より抜粋)
こちらは昭和7年の松陽新報に掲載されていた、開通当時の吉田大橋の写真です。
上記の現在の写真とほぼ同じアングルです。
欄干はコンクリート枠に鋳鉄の柵が入ったデザインで、
橋の中央付近には橋灯が設置されているのも確認できます。

島根県の近代化遺産リストでは「昭和7年頃」とされていましたが、
昭和7年10月の記事で「このほど竣工した」とありますので、
「昭和7年架橋」と断定してよいものと思います。

※記事では「吉田橋」となっていますが気にしないことにします。

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オリジナルの親柱は、吉田公園側に2基現存しています。

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原型2基のうちの片方は頭の部分が失われていました。
一体成型ではなくて、パーツがわかれていたようです。

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側面を観察してみます。
中間橋脚を持つ、単純なRC桁橋です。
橋脚をよく見ますと、上流側が継ぎ足されたようになっています。

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上流側からの様子です。桁部分と合わせて観察してみますと、
奥がオリジナル、手前側のスッキリした桁部分が継ぎ足し部分と思われます。
オリジナル3:拡幅2くらいの割合でしょうか。
この拡幅の際に欄干なども改装されたのではないかと思われます(憶測)。

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欄干が改修されて、一見戦後の橋と見間違えてしまいますが、
戦前架橋のコンクリート橋がしっかり現存していました。
これからも末長く現役であるよう祈念します。

【橋の諸元】
橋名:吉田大橋
竣工:昭和7年
形式:RC桁橋
所在地:雲南市吉田町
川:吉田川
道路:市道?

【撮影】 
平成27年9月

【参考文献】
島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書 平成14年 島根県教育委員会

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