元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

横田舟橋その2(益田市横田町)

1_20151105234147506.jpg
益田の横田舟橋の架橋当時の新聞記事を見つけました。

図1
松陽新報昭和7年9月2日付

写真は出雲横田駅側(南側)から、
撮影されたものと思われます。
やけに上から目線の写真ですが
建物の2階から撮影したのでしょうか。

記事を書き出してみます。

松陽新報S7.9.2
「横田の舟橋渡り初め」
美濃郡豊田村大字横田地内を貫流する匹見川の支流、
横田川の村道に架設されてある横田舟橋の改架は、
県費補助千円の支給を受け、
工事費二千三百三十円にて大阪清水組に落札。
此の外セメント九百二十八円八十銭を費やして四月一日着工し、
八月二十五日を以て竣工したので、
村主催の下に一日午後二時半より渡初式を挙行した。
橋長二十八m五十cm、幅員五mの
最新式モダン鉄筋コンクリート橋で一異彩を放っている。
因みに渡初には豊田村小学校一年生全部を先頭とし、
式後余興として撒餅に興を添えるなど盛んであった。

(句読点を適宜挿入。送り仮名、現代仮名遣いへの修正を行った)

ポイントとしては・・・
・村道に架かる橋をコンクリート橋にした
当時の木橋からの改架は国道や県道が中心と考えていたので、
この時期に村道レベルの橋でも近代化が進んでいたことは意外でした

・県費補助千円の支給
景気の悪い時期で、当時の千円はかなりの金額です
農村救済の要素もあったのでしょうか

・工事費2,330円
工事費とセメント代928円を合わせて3,258円、
昭和10年頃の小田の下田橋が5,900円、
昭和11年の三刀屋の伊毘志橋が1,465円、
横田舟橋の規模が下田橋と伊毘志橋の中間くらいと考えると、
自然な金額のように思われます

・大阪清水組に落札
施工会社が大阪の清水組とわかりました
現在の清水建設とは異なる会社のようです

ら
新聞記事の写真を拡大してみますと、
欄干は2本の鉄柱とそれを支える鉄製の柱で構成されており、
オール鉄製だったように見受けられます。

3_201511052341509f9.jpg
親柱に丸い穴が2つ残っており、
欄干が鉄柱2本で構成されていたことがうかがえます。

オリジナルの欄干が残っていないのは、
おそらく、戦時中に金属供出を受けて撤去されたからでしょう。

さ
架橋当時の南側親柱/現在の南側親柱/現在の北側親柱

当時の画像を見ると、橋名板がはめ込まれていたようですが、
現在の南側(石見横田駅側)の親柱には
広い凹みに橋名・架橋年が彫られており、オリジナルと形状を異にします。
北側の親柱は、新聞の写真と同様のサイズのくぼみが残っています。

推察にすぎませんが、橋名板が金属供出か何かで撤去されたのち、
橋名・架橋年を親柱に直接彫ったのではないでしょうか。
立派な文字を彫るためには橋名板が嵌めてあったくぼみだけではたりず、
くぼみを拡大(整形)した上で文字を彫ったのではないでしょうか。

そうなると、
親柱が引っこ抜かれて基部が露出しているように見えるのは、
上記作業を行うために実際に一回引っこ抜いたから。
ということが理由と考えても不自然ではないように思われます。

以上、当時の新聞記事より、色々推察(妄想)してみた次第です。



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