
前回ご紹介した
初代中山隧道に引き続き、
昭和11年に完成した二代目中山隧道をご紹介します。
二代目の中山隧道は、昭和59年の五箇トンネル開通により、トンネル部分が旧道となっています。
いつまで二代目中山トンネルを通行できたのは不明ですが、
現在は通行止めとなっており、トンネルは柵で囲われています。
西郷町側の道路は完全に廃道となっていますが、
五箇村側は林道に転用されているため、トンネル間近まで車でアクセスできます。

旧五箇村側のトンネルポータルです。
恐ろしく劣化してぼろぼろになっています。
旧西郷町側(南側)のポータルは撮影していませんが、
こちらに比べて原型を留めているようです。

「中山隧道」という扁額が残されています。
左書きなので戦後の復旧でしょうか。

それにしてもなぜここまでポータルがぼろぼろになってしまうのか。
こんなぼろぼろな二代目中山隧道ですが、
例によって戦前の地元紙である松陽新報、
昭和11年6月1日付の紙面に
トンネル完成の記事を見つけましたので記事を転載します。
昭和11年6月1日付松陽新報「中山隧道竣工」
「隠岐島を縦断する唯一の県道が大変の便利に」
隠岐国西郷と五箇間県道五箇村中山隧道(とんねる)は
西郷町二見藤次郎氏が総工費二千二百七十九円で請負い、
昨年六月二十五日着工したが、未曽有の積雪のため意外に工事が遷延し、
去る五月十八日漸く竣工したので検査官小橋技師の検査を終了、
同日より開通することになった。
これによって隠岐島の中心を横断する唯一の県道が
自転車で楽々と往復することができるので一般から非常に喜ばれている。島根県教育委員会の近代化遺産リストでは竣工年を昭和12年としていますが、
どうやらその前年には完成しておったようです。
新聞記事から以下のようなトンネルのプロフィールが分かりました。
着工:昭和10年6月25日
竣工:昭和11年5月18日
工費:2,279円
請負:二見藤次郎(西郷町)

新聞記事にあったトンネルの写真は、五箇村、西郷町どちらで
撮影したものなのでしょうか?

トンネル直前のカーブの具合などからみて、
五箇村側から撮影したものではないかと思うのですが。
西郷町側にポータルは原型を留めていると書きましたが、
当時の写真と五箇村側の現状とを比べると、
現在はトンネル側面が拡幅されています。
その後の交通事情に応じて広げたのか、
あるいはポータルのボロボロ具合からして、
入り口部分が崩れて結果広がったように見えるだけなのか。
国土地理院「隠岐北方 昭和46年」より加筆の上転載上図は昭和46年、二代目中山隧道が現役だったころの地図です。
すでに初代中山隧道とその前後の旧道は表示されていません。
国土地理院WEBより加筆の上転載現在の中山隧道周辺の状況です。
昭和59年の五箇トンネル開業後、
二代目中山隧道とその前後の道は廃道となっています。
現在の地図には隧道も道路も記載がありませんので、
位置関係を加筆してみました。
こうしてみますと現役の五箇トンネルに比べて、
初代、二代目はずいぶん山を登っていることがわかります。
初代中山隧道完成以前の地図の複写を手に入れましたので、
次回以降、この地域の山越えルートについて考察してみたいと思います。
- 関連記事
-
- 2016/06/26(日) 16:04:00|
- 島根県の近代化遺産(その他)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0