元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

美保関五本松公園慰霊塔(平和祈念塔)その3

1
前回、美保関五本松公園の慰霊塔について、
設計者が吉田享二だったことをご紹介しました。

今回は当時の絵葉書などから、
現状との対比などをしてみたいと思います。

【戦前の絵葉書より】
2
ヤフーオークションで購入した、
戦前の慰霊塔の姿をうつした絵葉書です。

民謡をあしらった「五本松公園」のスタンプが押印されており、
そのスタンプの日付が「10.5.24」となっていますので、
昭和10年5月以前のものということが分かります。

3
慰霊塔の左側には、現在では存在しない建屋が2棟確認できます。
一つは慰霊塔にデザインを合わせたと思われる円形の建物、
もう一つは魚雷?のような物体を覆う屋根です。これは何でしょうか?

慰霊塔の竣工式が行われた昭和4年11月1日時点の新聞記事においては、
この2棟に関する記述はありませんでしたので、
慰霊塔建設以降に追加して建設されたものと思われましたが、
その後の新聞に、これらの建物に関する記事を確認しました。

4
松陽新報 昭和5年10月2日付

「美保関海軍参考館に海軍省から下附 四十五糎魚形水雷を」
美保関町設海軍参考館へ陳列すべき図画写真等の多数は
さきに海軍省より送付し来たり、
其の後また頭部付四十五糎魚形水雷を下附されるよう同町へ通知があったが、
九月三十日いよいよ呉鎮守府より現品を送付して来た。
現品は全長二間半、重量百三十貫もあり、
地方へ下附するのは稀なことであって軍事教育上非常に好参考資料であり、
五本松公園上に一異彩を放つに至ものであろうと


5
松陽新報 昭和6年7月4日付

「軍艦長門と金剛の精巧な模型を寄贈 美保関海軍参考館に」
(前略)
本社建設の海軍慰霊塔に隣昨年美保関町が築造した海軍参考館には、
参考品として海軍省より下附された四十五糎魚形水雷をはじめ、
幾多の図画等を陳列して一般参観者に好参考資料を与え、
軍事思想鼓吹に貢献しているが、
今般又又舞鶴要港部から軍艦長門及び同金剛の精巧なる模型を
寄贈さるることになり其旨同要港部副官から町当局へ通知があり、
近く現品が到着する筈である。


以上の情報から次のことが分かります。
「円形の建物」
・美保関町が建設した「海軍参考館」
・昭和5年に建設
・幾多の図画を陳列
・昭和6年に舞鶴要港部から長門・金剛の模型が寄贈された

「魚雷」
・海軍参考館の資料として呉鎮守府より下付
・昭和5年の海軍参考館建設の際に設置
・45センチ魚雷

6
以上のことから、慰霊塔横の建物は、
美保関町が建設した「海軍参考館」という展示施設と、
その付属展示物である魚雷、それを収める上屋だったことが分かりました。

現在この2つの物件は存在せず、跡地付近には東屋のようなものが建てられています。

戦後の慰霊塔の姿をうつした絵葉書も入手しておりますので、
次回ご紹介します。
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