元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

有福温泉の共同浴場について(その1)

DSCF8562.jpg
御前湯の歴史を調べる上で、地方誌などを確認してきましたが、
近代の有副温泉がどのように変わってきたかということを
まとめて記述している資料を見つけることが出来ず、
かなり消化不良な感じになっています。

ここでは、各種資料の断片的な記録から、
明治以降の有福温泉の共同浴場の変遷について、
ブログ主なりにまとめてみようと思います。

※本稿の下のほうに、参考にした資料の引用部分を転記してあります。
※画像について過去のものはすべてブログ主蔵の絵葉書をもとにしています。

【福の湯】
福の湯
御前湯の位置には御前湯新築まで「福の湯」がありました。
写真の通り木造一部二階建ての建物だったようです。

【旧湯】
松陽新報記事、「石見物語」には「旧湯」と呼ばれる地元民専用の浴場があったことが記されています。
どこにあったのかなど全く不明ですが、上述の「石見物語」には

あの観音堂を中心に旧湯日本建、新刊洋館建、最新鉄筋コンクリート二階建、
此等の大きな甍を取り巻く二階三階の大旅館が層をなして

とあり、観音堂(御前湯の裏のお堂)の近くにあったことが推察されます。

【櫻湯】
櫻湯
大正14年に洋風木造二階建ての「櫻湯」が完成しています。
場所は現在の「御前湯」の左隣、よしだや旅館の前に建っていました。

「旅館樋口」のblogに掲載されていた昭和30年代とされる有福温泉の画像では、
木造洋風の桜湯は存在せず、平屋建ての共同浴場風の建物が確認できます。
よって、大正14年に建てられた「櫻湯」は、
昭和30年代までには改築されていたようです。

※ネット上に「昭和42年に源泉を有福温泉荘に分湯するためさくら湯を廃止した」
という記述がありました。

【早月湯(さつき湯)】
さつき湯
昭和3年に早月湯(さつき湯)が洋風建築にて新築されました。
新聞記事等で「早月湯」とありますが、
上掲の絵葉書タイトルは「さつき湯」とありますので、
当時は表記が混用されていたものと思われます。

平面的なファサードに1階部分は上げ下げ窓、
モダンなデザインになっています。
表に面して換気口が設けられていますので、
玄関を入って左右すぐに浴場が配置されていたものと思われます。

絵葉書では二階の窓ガラスが一か所割れており、何があったのかが気になります。

さつき湯3
ほかの絵葉書を見てみます。
三階旅館の隣にある事が確認できますので、
早月湯の位置は現在に至る迄で変化がないことが分かります。
また、陸屋根ではなく日本瓦の屋根であったことも確認できます。

上記と同じタイミングで撮影したのでしょう、早月湯の窓ガラスが割れています。

さつき湯2
更に別の絵葉書をみてみますと、洋風なのはファサードだけで、
裏側は全くの日本家屋風であることが分かります。
「洋風建て」の早月湯は一種の「看板建築」だったわけです。

こうしてみますと、
大正14年築の櫻湯が純然たる木造洋風建築であったのに対し、
3年後に建てられた早月湯がモルタルを用いた看板建築風な洋風建築で、
その1年後には本格的な鉄筋コンクリートの御前湯を建てるあたり、
建物の近代化が年を経るごとに進んでいることに興味を覚えます。
また、早月湯の建築様式を考えると、
早月湯のデザインは、鉄筋コンクリートの御前湯を建てるための
先行試作的な要素もあったのではないかとも想像します。

なお、有福温泉のHPでは、
「早月湯は昭和3年に新築され、平成12年に改築された」と記されており、
これだけを読むと平成の改築まで、
昭和3年築の洋風の浴場が現存していたようにも読めるのですが、
「石見潟」に掲載されている、昭和31年とされる写真では、
上掲のような洋風建築は確認できず、
平屋建てになっている早月湯が写っていました。
したがって、昭和3年築の洋風の早月湯は、
遅くとも昭和31年までには平屋建てに改造されたか、
建て直されたものと考えられます。

また当該HPでは、

当初は「ただ湯」と呼ばれ、昭和3年当時は「かじや湯」と称されていた

という記載がありますが、昭和4年の松陽新報ですでに「早月湯」と記されており、
前述のHP以外で「ただ湯」、「かじや湯」と呼ばれていたことを
裏付けるような文献は見つけることができませんでした。

【やよい湯】
DSCF8527.jpg
戦前の資料では「弥生湯」と漢字表記です。
有福温泉のHPでは以下のように説明があります。

大正3年木造二階建てで新築、
昭和12年に火災にあい、平屋建てで再築、
平成12年には老朽化により内外装とも一部リニューアル


ということは、現在のやよい湯は昭和12年の建築である可能性があります。

大正3年~昭和12年の二階建て弥生湯の写真は見つけられませんでした。
他の文献では「日本建」とありますので、上述「福の湯」のような、
和風の建物だったのでありましょう。

【まとめ】
以上、有福温泉の共同浴場について、
それぞれの建物の詳細をまとめてみました。
次回、近代以降現在に至る、共同浴場の数などを
整理してみたいと思います。

【参考資料の引用】
資料1
「松陽新報昭和4年4月2日付」

けふ賑やかに「御前湯」の開浴式
完備した新築浴場

石見有福温泉にこの度「御前湯」と称する村営の浴場を増設し、
今一日賑やかな開浴式を行う、
-中略-
「御前湯」の外に既設洋館建ての「櫻湯」「早月湯(そうげつゆ)」と
日本建の「弥生湯」と「旧湯(きゅうとう)」と都合五浴場があって
工費を合算すると約六万円を費やしている。
-中略-
入浴料もこの度大改革を施し「御前湯」だけは八銭としたが
「櫻湯」「早月湯」は一銭値下げして四銭とし
「旧湯」だけは一般村人のために無料で解放されている
-後略-


資料2
「島根県江津 美人・美肌の湯 有福温泉」
「有福温泉外湯」

~さつき湯~
-前略-
明治33年村民を対象とした浴場として露天風呂「ただ湯」が開設されましたが、
昭和3年に俗称「かじや湯」として新築。平成3年に改築されて現在に至ります。

~やよい湯~
-前略-
大正3年木造二階建ての浴場「やよい湯」を新築、俗称「新湯」として親しまれました。
その後昭和12年に火災にあい、平屋に建て替えられました。
平成12年には老朽化により内外装とも一部リニューアルされています。


資料3
「石見物語」
-前略-あの観音堂を中心に旧湯日本建、新刊洋館建、最新鉄筋コンクリート二階建、
此等の大きな甍を取り巻くに解散界の大旅館が層をなして-後略-

-前略-昔は霊湯山福泉寺の慈善浴場で、宿泊も炊事も皆無料であったが、
宝暦中(1751-1764)湯本河野家の管理となって全く営業に変わった。
明治二十二年時の佐々木村長将来を慮り、村債を起して河野家から此の温泉を買収した。
地爾来村営のもとに年一年発展し、大正十四年に先づ洋館の浴場を新設し、
次いで昭和三年先進地の温泉場を視察して其の長所を取り、「御前湯」という大規模の浴場を新設した。
-中略-この御前湯の外に既設洋館の「桜湯」「早月湯」と日本建の「弥生湯」と「旧湯」がある。-後略-




【撮影】 
平成24年4月(現在の写真)

【参考文献・HP】
松陽新報 昭和4年4月2日付記事
石見物語 昭和7年 木村晩翠
石見潟26号 平成24年 江津市文化財研究会
「島根県江津美人美肌の湯有福温泉」
「旅館樋口blog」


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