元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

隠岐中山隧道周辺の道路の変遷について

前回まで初代中山隧道二代目中山隧道と、
二世代のトンネルについてご紹介しました。
 
この回では中山隧道にまつわるルートの変遷について、
古地図等を用いて整理しておきたいと思います。


その1DSCF0047 

旧西郷町側から見た五箇トンネルです。

手前右の坂道は初代・二代目中山隧道に通じる旧道です。

 

 

【初代中山隧道ができるまでの道路はどこを通っていたのか?】

 

明治28年に車道である「北方道」が全通していますが、

それ以前はどのルートを道が通っていたのでしょうか?

 

「中山」隧道というくらいですから、

「中山峠」なる古道があるものと思っておりましたが、

現在の地図にそのような峠は記されていません。

 

文献を当たったところ、五箇村誌(昭和63年)に、

五箇村地域の古道に関する記述がありました。

下記に引用いたします。

 

「小路の作業道」

1.中山街道

永田屋前*から上って又谷口を経て焼杉峠を越し、

上の**都万目出合に至る(西郷に出る幹線道路)。

 

*小路地区の屋号と考えられます

**「上の」とあるのは、この文章の上にある

西郷町都万目地区に至る古道に関する記述にかかります

 

この五箇村誌、固有名詞の説明も、前後の歴史との関連の説明もなく、

唐突に古道の記述がなされていて、断片的にしか情報が入ってこず、

甚だ不完全な内容ではありますが、

「中山街道」と称される古道があって、「焼杉峠」という峠を越えて、

西郷の都万目へ通じていたことは何となくわかりました。


その2明治12年 

次に国会図書館で見つけた、

明治12年の「島根県下隠岐全図」という地図です。

北方道は明治28年に開通していますから、

それ以前の道の様子が記載されているはずです。


その3隠岐国全図角度補正(中山越周辺原図) 

中山隧道周辺部分を抜粋してみました。

等高線ではなく現在の地図とはだいぶ様相が異なります。

画像中央下寄りに「中山越」の文字が確認できます。

(五箇村誌の「焼杉峠」は??)


その4隠岐国全図角度補正(中山越周辺) 

地図にルートを書き込んでみました。

赤い線が12年地図で記されている「北方道」以前の「中山街道?」です。

後に開鑿される「北方道」を黄色で書き込んでみました。

こうして新旧の道路を比べてみますと、

もとの中山の峠は、中山隧道よりも東にあったことが分かります。

中山街道に比べると「北方道」は西に迂回していますが、

これは車を通せるような勾配の道路を通すための選択だったのでありましょう。

「中山越」周辺以外は、ほぼ現在の国道と同じルートである事が分かります。

 

それにしても中山隧道の「中山」は「中山越」からとられたのでしょうけれども、

全然場所が違うというのは意外な感じがしました。

あるいは、西郷と五箇を隔てる一連の山並みを総称して、

「中山」と称していたのかもしれません。

 

【中山街道以降の変遷】


その5昭和10年初代 

(陸地測量部 昭和9年1/50000「北方」・「西郷」より)

 

その後の明治36年、昭和9年に陸地測量部が作成した5万分の1地図では、

中山街道のルートは破線にて記されています。

 

その6昭和9年中山 

上記の地図上、中山街道のルートを赤線、北方道のルートを黄線で記しました。

二代目中山隧道は昭和11年開通ですので、

地図上のトンネルは初代の中山隧道ということになります。


その85隠岐北方S46t 

(国土地理院 昭和46年1/2500「北方」より)

 

時代はぐっと下がって昭和46年の1/2500の地図です。

(昭和9年から昭和46年の間の地図は見つけることは出来ませんでした。)

 

五箇側の中山街道は小路の集落から南へ、峠の手前までは道が記されていますが、

西郷側は道の表記がなくなっています。


その7隠岐北方S46(中山周辺) 

上記の地図上、中山街道のルートを赤線、北方道のルートを黄線、

二代目中山隧道のルートを水色線で記してみました。

 

昭和46年の地図では初代中山隧道も記載がありませんが、

初代がいつ頃に使われなくなったのかは、結局わかりませんでした。


その8国土地理院 

(国土地理院WEBより)

そして現在の中山隧道周辺です。

昭和59年の五箇トンネル開通により、

二代目中山隧道のルートも廃道となってしまいました。


その9現在の中山トンネル付近地図 

 さらにトンネル周辺を拡大してみます。

元の中山越の地点には、現在は尾根伝いに林道が通っており、

おそらく峠道跡は分断されているものと思います。

 

【現在の旧道の状況】

以下に、五箇トンネル開通までに旧道、廃道となった道路についてまとめます。

 

(中山街道)

西郷側は地図上の記載はありません。

15年ほど前、ブログ主が地質調査でこの地域を歩いた際には、

尾根伝いに広めの山道があったような記憶があり、

これが中山街道の跡だったのかもしれません。

五箇側は上述の通り、小路の集落からしばらくの距離が林道として現存しています。

林道の終点から中山越に至る迄の部分に、

道の跡が残っているのかどうかは確認できていません。

 

(初代中山隧道)

西郷側は、二代目中山隧道手前の擁壁の上に道の痕跡が残されています。

五箇側は、林道により削られつつも、

道の痕跡が二代目中山隧道手前から残されています。

 

(二代目中山隧道)

西郷側は廃道になっていますが道は残っています。

五箇側は林道への連絡路として現役です。

 

 

【まとめ】

以上のことから、北方道以前の「中山街道」は、

中山隧道より東のルートを通っていたことが分かりました。

「中山越」周辺に中山街道の痕跡が残っているかどうか、

という点については、今後の実地調査の必要があります。

 



【参考文献】

・隠岐島誌 昭和8年 隠岐支庁

・五箇村誌 平成元年 安部勝




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