元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

来原岩樋の水門上屋(出雲市大津町来原)

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来原岩樋は元禄年間、斐伊川から高瀬川への取水口として築かれた水門設備です。
出雲今市の街中を通る高瀬川は出雲平野を潤すための農業用水として大梶七兵衛によって開削されました。
当初の斐伊川からの取水口は木で作られていたそうですが、これが洪水などで破損する恐れがあった為、
岩樋(つまりトンネル)を掘って取水口を新たに設けたものです(岩盤を掘り抜いて導水することで、
岩盤が天然の堤防としての役割を果たして取水口を守ることが出来るということだと思います)。

用水の取水口としての役割だけでなく、斐伊川と高瀬川をつなぐ高瀬舟の水運にも利用されましたが、
水位の異なる二つの川を通るために、岩樋に設けられたゲートを上下させることで水位を調整しながら船を通過させる
「閘門」も機能も持っていたそうで、土木学会の選奨土木遺産にもなっています。

※以上のようにわが国の貴重な物件であり、行政側でも岩樋周辺を保全して綺麗に整備してくださっているのですが、
肝心の「岩樋」部分は奥まったところにあって、一般の見学では見ることができないのが残念なところであります。
写真で見ると非常に迫力があって、見応えがあるのに残念なことです。
近くまで行けると良いのですが・・・。


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来原岩樋の閘門機能については、現地の説明版に丁寧な説明がありました。

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ご紹介する物件は、上記の2画像とは岩樋をくぐって斐伊川側、
斐伊川からの取水口の水門部分にかけられた上屋の部分です。

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元々は斐伊川に直接面していたのだと思うのですが、
現在は県道と改修された高い堤防に囲まれて、やや存在感が薄くなってしまっています。

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外観はご覧の通りいたってシンプルなデザインです。

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建物正面にはこのような立派な額が設置されています。
一部達筆すぎて読めませんがおおよそ下記の通り記されています。
「来原岩樋 元禄〇開 大梶氏開鑿 島根県知事 男爵大森佳一 書」

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建物入口の脇には、このような名板も設置されていました。
「岩樋上家改築 昭和5年5月」
これにより、この上屋が昭和5年築ということが分かりました。
山陰新聞、松陽新報の昭和5年頃の記事を調査中ですが、
今のところ当該上屋新築に関する記事は見つけられていません。

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入口から柵越しに中を覗いてみますと、木製の水門設備の跡が確認できました。
現在は岩樋の向こう側に水門設備が設置されているので、こちらは使用されていない様子です。

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水門設備の下では、水がジャージャーと岩樋に流れ込む音が響いていました。

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上屋と取水口の全貌。現在もここから水が取り込まれて、高瀬川へと通じているわけであります。


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:来原岩樋上屋
竣工:昭和5年5月
構造:?
設計者:?
施工者:?

【撮影】 
平成27年9月

【参考文献・HP】
写真集明治大正昭和出雲 昭和54年 石塚尊俊・ 原宏一
土木学会選奨土木遺産「来原岩樋」
中国建設弘済会資料
出雲市資料「来原岩樋の土木学会選奨土木遺産認定について」

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  1. 2017/08/01(火) 23:17:13|
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