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元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

松江大橋をうつした絵葉書の年代測定法(その8)

①冒頭絵葉書
先代松江大橋の絵葉書では南詰下流側に建っていた街灯を写したものが多くみられます。
今回はこの街灯について考察してみようと思います。

〈街灯の設置者と設置年〉
上記絵葉書は、ブログ主の所有する先代松江大橋を写した絵葉書の中で、
特に街灯がクリアに写っているものです。

②
この街灯をよく見ますと、街灯の下部と上部それぞれに、
銘板が取り付けられているのが確認できます。これを拡大してみました。

③御大典拡大
街灯上部の銘板には「御大典記念」の文字が確認できます。

④出雲電気拡大
街灯の下部には「出雲電氣株式會社」とあります。

二つの銘板を合わせれば、
出雲電気株式会社が御大典の記念にこの街灯を設置したという事が推察されます。
「御大典」とは、辞書やWikipediaで調べてみますと、
天皇陛下のご即位の際に執り行われる諸儀式のうち、
特に即位の礼と大嘗祭に関連する一連の儀式を総称して、
「御大典」と呼ぶという事のようです。

先代松江大橋の架橋は明治44年ですから、
さすがに明治天皇ご即位記念の街灯ということはないでしょう。
可能性としては大正天皇の御大典か昭和天皇の御大典かという事になります。

大正の御大典 大正4年11月
昭和の御大典 昭和3年11月

この街灯はどちらの御大典の記念として設置されたものなのでしょうか。

⑤大正の絵葉書
こちらの絵葉書は北詰に松江キネマ倶楽部(T10年頃築)がなく、
かつ、水道管橋(T7年架橋)が存在しているので、
大正7年~10年の間に撮影されたものという事になります。
この絵葉書には橋の袂にあるはずの街灯が存在していません。

街灯を寄贈したと思われる「出雲電気株式会社」ですが、
この会社は明治44年に設立された会社で、設立当初より今市町(現出雲市)を中心とした
簸川郡エリアでの電力供給事業を行っていました。
松江市域における電力供給は、明治27年に設立された松江電燈株式会社が担っていました。
大正6年になって両社は合併し、社名を出雲電気株式会社として本社を松江市に置いています。
このことから、大正の御大典の時期松江市内の電気事業は「松江電燈」が担っていたこととなります。

以上のことから、「出雲電気」が「御大典記念」に設置した松江大橋袂の街灯は、
昭和の御大典の記念に建てられたものと推察されます。

当時の新聞にこの出来事が記されていれば、
設置された年月日がより明確になるのですが、まだ探し切れていません。
よって、現時点では、「昭和3年11月前後に設置」されたものとします。

〈街灯は何本あったのか〉
⑥
昭和の御大典記念として建てられたこの街灯、
先代の松江大橋を写した絵葉書は上掲のアングルのものが殆どで、
この一本のみ建てられたのか、橋の四隅にそれぞれ建てられていたのか、
絵葉書から他の位置に設置された街灯は確認できません。
果たしてこの街灯は何本建てられていたのでしょうか。

ということで、戦前の新聞を読み返して、
他の位置にも街灯があったのかどうか確認をしてみました。

⑦050712松江大橋南詰
(昭和5年7月12日付松陽新報より)
橋の向こうに松江キネマ倶楽部の建物が望めることから、
南詰の宍道湖側にも街灯が設置されていたことが確認できました。

⑧100516姿を消す水管橋
(昭和10年5月16日付松陽新報より)
松江大橋改架工事に先立ち、大橋川を渡る水道管は新大橋に移設され、
大橋に並行していた水管橋は昭和10年より解体が始まりました。
新聞記事は解体が始まった水管橋を写したものですが、
その傍らに件の街灯が写っていました。
位置的には北詰の宍道湖側のものです。

⑨100731大橋取り壊し進む
(昭和10年7月31日付松陽新報より)
解体されつつある松江大橋を撮影したものです。
右手に宍道湖が広がっているのが確認できることから、
北詰の下流側を写したものという事が分かります。

以上の事より、街灯はおなじみの南詰下流側だけでなく、
松江大橋の袂4箇所に設置されていたという事が明らかになりました。

⑩改装前拡大図
通常アングルの絵葉書でも、向こう岸(橋北)を拡大してみると、
街灯を確認することができました。
因みにこの絵葉書の方が、「御大典記念」の銘板がクッキリしています。

⑪北詰拡大
こちらの絵葉書は原田時計店が改築されているので昭和8年以降の撮影。
やはり橋北を拡大すると街灯が確認できます。

つまり、南詰下流側の街灯を写さない構図での絵葉書でも、
北詰の街灯の有無を確認すれば、年代が明確になるという事です。


〈まとめ〉
①先代松江大橋の袂には、出雲電気が寄贈した「御大典記念」の洋風街灯が設置されていた。
②設置されたのは橋の袂、4箇所である。
③街灯は御大典の開催された昭和3年11月前後に設置されたものと思われる。
④この街灯が写っている絵葉書は、昭和3年以降に撮影されたものである。

【参考文献】
中国地方電気事業史 昭和49年 中国電力
島根県を中心とした産業発展の歴史 明治・大正編Ⅲ
    平成25年 エネルギア地域経済レポート 中国電力㈱エネルギア総合研究所



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