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元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

浜田の絵葉書より(その5)

①img261
前回(その4)の補足です。
その後、ブログをご覧いただいている元地元民様から
貴重な情報をいただきました。

②
この赤枠の中の大屋根は、「末広座」という劇場のものでは、という情報です。
末広座はその後火災で焼失し、跡に日勝館と名を変えて再建されたとのことで、
この点について当時の新聞記事などを確認してみました。

【末広座の位置】
3_201811182217523e7.jpg
大日本職業明細図より

大日本職業明細図の浜田町の地図に末広座を確認しました。
地図を仔細に確認しますと末広座の南東には今宮神社という表記があります。
この神社は絵葉書のタイトルにある「昭三公園」内に建立された神社です。
末広座の北西には佐野屋呉服店の表記もありますから、
この地図上に記された末広座の位置は、
絵葉書に写された大屋根の位置と合致する事になります。

4_20181118221755119.jpg
絵葉書と大日本職業明細図とを並べてみてみましょう。

【昭三公園とは】
昭三公園という少し変わった名前の公園の正体については、
昭和3年10月の松陽新報にその答えがありました。

③031016昭三公園
(昭和3年10月16日付松陽新報より)

「今宮遷宮 昭三公園の賑い」
既報那賀郡浜田町の中央南寄りの丘を開拓した昭三公園が愈々出来上がった
園内より浜田全町を俯瞰され其眺望も美しく杖を曳くには絶好の場所である
猶十四日は園内に新築した今宮神社の遷宮祭が行われた(以下略)


昭和3年に作られたから「昭三公園」ということなんでしょうね。

【末広座の火事】
④120619浜田末広座の火事
(昭和12年6月19日付 松陽新報より)

「浜田の朝火事 末広座から全焼」
浜田町字一丁目の活動常設館末広座より18日午前6時10分頃出火、
火はたちまち全館に燃え広がり建物及び内部にあった物すべてを烏有に帰し
同7時40分ごろ幸い附近へ類焼することなく鎮火した
(中略)
因み元この場所には劇場明治座があって明治33年2月火災で全焼し
その後大正4年浜田演芸株式会社がこの末広座を建築し、
目下吉田工業部が賃貸契約のもとに引き受け活動写真感を経営していたもので
(後略)


以上の新聞記事より、元地元民様の情報通り、
末広座は昭和12年6月18日の朝に火災にあい、
全焼したことが分かりました。

⑤
新聞記事によれば、この末広座は「吉田興行部」という会社が運営していたとのことですが、
絵葉書を拡大してみますと、「吉田」と書かれたノボリも確認できますので、
やっぱりこの建物は末広座ですね。

⑥
こちらのノボリには「吉田興行」と書かれているようにも見えます。

【再建・日勝館】
⑦121211日勝館
(昭和12年12月11日付 松陽新報より)

「浜田日勝館竣工 元旦から花々しく開館」
浜田末広座は今夏炎上したので浜田演芸株式会社を解散し
直ちに浜田日勝株式会社を組織し資本金二万円で今秋来元の敷地三百坪に
最新式木骨コンクリート二階建て百二十坪の映画常設館を新築中であるが
近く竣工「日勝館」と改名して新春元旦を卜し花々しく開館の準備を急ぎ
(以下略)


ということで、末広座焼失後、焼け跡に名前を「日勝館」と改め、
木骨コンクリートの近代的な映画館を新築することとなったことが分かります。
記事によれば日勝館のオープンは昭和13年元旦とのことです。
昭和12年7月には支那事変が勃発しており、「日勝館」という名前は、
そのあたりの時代の雰囲気から名づけられたものでありましょう。
この映画館は戦後まで同名で存続しています。

【まとめ】
以上のことから、元地元民様からの情報の通り、末広座は火災で焼失し、
その後日勝館と名前を改めて再建されたことが明らかになりました。
新聞記事より、末広座の歴史は下記の通りとなります。

明治33年2月    明治座全焼
大正4年        末広座新築
昭和12年6月18日  末広座全焼
昭和13年1月    日勝館として再建

また、この絵葉書の撮影時期ですが、前述の通り、
絵葉書に写る建物の中で最も新しいのが浜田信用組合の昭和9年、
そして末広座が焼けたのが昭和12年6月ですから、
昭和9年から昭和12年6月の間に撮影されたという事が言えると思います。

元地元民様から情報を頂いた事で、
この絵葉書の撮影年代がより明確になりました。
情報をいただきありがとうございました。

【参考HP・資料】
大日本職業別明細図 昭和12年 東京交通社
松陽新報記事

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  1. 2018/11/18(日) 22:29:22|
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コメント

おおお!!

調査、ご苦労さまでした!!
時系列が判明し、スッキリしましたね!

付け加えるとしたら、明治座がオープンしたのが明治30年で、33年に火事にて消失。
その後若宮座として再建築、大正4年に名前を末広座と改称と浜田市の写真集には載っていましたが
新聞には若宮座の記述は載っていないようですね?
写真集が間違っているのかも?
日勝館は、お察しの通り、日本が勝つように名付けられたようですよ!
1960年台頃まで経営されていたようで、伯父伯母が昔話しをしていました。

新聞記事など、いつも図書館で閲覧されているのですか?
大日本職業明細図、すごいですね!見てみたいです!
  1. 2018/11/23(金) 16:38:11 |
  2. URL |
  3. 元地元民 #-
  4. [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2018/12/02(日) 17:50:34 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

追記です。

例の火災の起きた日時の件、手元の資料には8月16日と書き留めていたのですが
出典元がわかりました!!
昭和26年に浜田市役所が市制10周年記念事業として発行した、「浜田」という
書物のP538、539に記述がありました。
これには、昭和12年8月16日と記載されていました。

おそらく、元島根県民さんの新聞の記述のほうが正しいでしょうね!
手元の資料を訂正することにします!ありがとうございました!
  1. 2018/12/05(水) 18:07:31 |
  2. URL |
  3. 元地元民 #-
  4. [ 編集 ]

追記の訂正

参考資料の出典元を間違えていました。

正しくは、昭和48年発行の浜田市誌のP538、539でした。

たびたび申し訳ございません^^;
  1. 2018/12/06(木) 16:50:50 |
  2. URL |
  3. 元地元民 #-
  4. [ 編集 ]

元地元民さま
コメントどうもありがとうございます!おかげさまでようやくまとめることが出来ました。浜田市誌とのずれが気になりますね(;´・ω・)私もちょっと確認してみようと思います。

「大日本職業明細図」は国会図書館のデジタルコレクションに収納されています。国会図書館以外でも各地域の図書館でも端末を通じて閲覧できますよ。
http://dl.ndl.go.jp/ja/soshin_librarylist.html

新聞記事は国会図書館の新聞資料室で確認しています。
  1. 2018/12/09(日) 19:07:24 |
  2. URL |
  3. 元島根県民のお部屋 #-
  4. [ 編集 ]

またもやいい加減な情報をお伝えしておりました、ごめんなさい^^;

確認したところ、浜田市誌の下巻P243に末広座の記述があり、昭和11年に火災でなくなった。
その後建設された日勝館は昭和40年中頃に閉館と書かれていました。

例の誤植記事のコピーは手元にあるのですが、何の本から引っ張ってきたのかわからなくなって
しまいました^^;また図書館に行って確認せねば!!

大日本職業別明細図、図書館で見ました!この地図、欲しいです(笑)
在りし日の末広座の写真も小さく載っていましたね!
新聞は図書館では閲覧することができないので残念です。
大阪の国会図書館にも新聞資料室があればいいのに。。。
  1. 2018/12/09(日) 20:50:30 |
  2. URL |
  3. 元地元民 #41Gd1xPo
  4. [ 編集 ]

返信遅くなりました

元地元民さま
こんばんは。年末対応で返信が遅くなり失礼しました。

重ねての情報提供どうもありがとうございます。
新聞記事だけだと不確かなケースもあるので、
色々資料は重ねて確認する必要がありますね!

大日本職業別明細図ご覧になりましたか。
島根県の戦前の町並みの様子が確認できるので貴重な資料です。
館内限定なので図書館に行かないと見られないのがちょっと残念です。


  1. 2018/12/27(木) 22:24:24 |
  2. URL |
  3. 元島根県民のお部屋 #-
  4. [ 編集 ]

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