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島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

美保関小学校跡地その2(松江市美保関町)

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前回、昭和2年築の旧美保関小学校の遺構についてご紹介しましたが、
今回はその続きとして、当時の史料や絵葉書をもとに、
旧美保関小学校の校舎の変遷について整理したいと思います。

図1
この表は、昭和3年の美保関小学校落成式について記載された
松陽新報の記事にあった小学校の歴史と、美保関町誌の記述とを合わせ、
時系列にまとめたものです。

dimg834
島根県有数の観光名所でもある美保関は、
戦前より多くの絵葉書が発行されており、
その絵葉書に小学校が写っているものが少なくありません。

前述のA~Dの小学校に外観上の大きな変化があったであろうイベントに対し、
そのイベントが表されている絵葉書をピックアップしてみて、
視覚的な小学校の変化を整理してみたいと思います。


【A 明治30年、二階建校舎建築】
①
美保関小学校の始まりは仏谷寺本堂を仮校舎としたところからスタートします。
その後、明治8年に現在地、もと藩政時代の番所があったところを校地として、
元の番所の建物を西洋風に改造して校舎に充てたと松陽新報に記されています。
その時代の校舎が写っている絵葉書はまだ見つられていません。
手持ちで最も古いのが、この画像の明治30年に建てられた2階建校舎のものです。

①-1
上記絵葉書の校舎部分の拡大です。
明治30年に番所を改造して建てた校舎を改築したものです。
明瞭な画像ではないですが、あまり洋風の要素がなさそうな建物です。

【B 大正3年、講堂増築】
②
大正3年には、町の公会堂を兼ねた講堂が増築されています。

②-1
なかなか大きな建物だったようで、頭一つ抜けています。
(建てられた位置が高い場所だっただけかもしれません)

【C 昭和2年、増築校舎竣工】
③
前述の通り、昭和2年の12月に、河合藤助設計の新校舎が竣工します。
当時の新聞によれば、旧校舎は講堂と2教室を残し、80%を改築したとあります。
また、改築に先立って旧校舎の移築を行ったとありますから、
おそらく、講堂部分を移動させ、そのうえで校舎の新築を行ったのでありましょう。

③-1
新校舎部分の拡大です。まだ校舎の前に校庭は無く、船を揚げるスペースになっているのが分かります。
校舎の左奥に後ろに続く建物が見えますが、これが移動された講堂なのではないかと思われます。

【D 昭和9年、校庭拡張】
④
昭和9年には校庭が拡張されています。
これは現在も校庭跡として残る、校舎前の敷地のことと思われます。
この変化は絵葉書でも明確に確認することが出来ます。

校庭1
校庭の今。

④-1
絵葉書の拡大。校庭に食い込んでいるような民家がありますが、
移転に応じなかったんでしょうね。

校庭3
海側から現在の校庭の姿。美保関灯台へ通じる道路が出来て、海が遠くなりました。
護岸の石垣は当時のままの様に思われます。


【まとめ】
美保関小学校の変遷についてまとめてみました。
当時の新聞や絵葉書などから、美保関小学校がどのように変化したのかがある程度
整理できたのではないかと思われます。
また、美保関小学校の変遷を整理することで、美保関の絵葉書の撮影年代も、
小学校をベンチマークとすることである程度絞ることが出来るわけであります。

いずれにしても、この地から美保関小学校がなくなって半世紀たつわけですが、
それでも敷地や、土台、石垣などが現在も残されており、まるで古城のように、
往時の面影を偲ぶことが出来るというのは有り難いことですね。

【参考文献】
昭和3年1月13日付松陽新報
美保関町誌上巻 昭和61年 美保関町誌編さん委員会


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  1. 2019/09/01(日) 23:53:03|
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