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元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

美保関小学校跡地その4(松江市美保関町)

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美保関小学校が写されている絵葉書について整理してきましたが、
今回もそれに関連して、小学校の右手に建っている、赤矢印の物件について
整理してみようと思います。。

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上記絵葉書の建物の拡大画像です。
戦前らしい、役場や産業組合の事務所にありそうな風の建物です。

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この建物、明治期の美保関小学校が写っている絵葉書には姿がありません。

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講堂が新築された大正以降の絵葉書にも姿はありません。

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絵葉書を確認する限り、この建物は昭和2年の美保関小学校と必ずセットで写っています。
このことから、小学校と同時期あるいはそれ以降に建てられたのではないかと思われますが、
以前ご紹介した昭和3年1月の小学校落成式の新聞記事にはこの建物が新築されたという
記述はなく、その前後の新聞でも、まだこの建物に関連した記事を見つけることは出来ていません。

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この建物の用途は何でしょうか?
港のはずれで、建物周辺には倉庫のような建築も多いことから、
漁業系の産業組合の事務所だったのではないかとブログ主は考えています。

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この建物は平成の中頃まで残っていました。
写真は平成15年、大学生だったブログ主が美保関に遊びに行った際に偶然撮影していたものです。
まだデジカメでなくフィルム撮影でコマも限られていたというのに、
よくこの物件を撮影していたものだと、当時の自分に驚き、呆れます。

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絵葉書の姿と比べると、玄関の庇が失われてはいますが、それ以外は概ね当時のままでした。
廃墟然としていますが、物置のような使われ方をしていたように記憶しています。
平成29年に訪問した際にはすでに建物は無くなっていました。

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これは完全な妄想なのですが、この建物は明治に建てられた
美保関小学校の部材を転用しているのではないでしょうか。

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比べてみますと、屋根が寄棟/入母屋という致命的な違いにまず気づきますし、
奥行きも小学校の方が深いことが分かります。
ただ、桁行で見ると長さは同じようですし、何より窓割がほぼ一致しています。

・当時は解体した部材の再利用は一般的
・美保関の地形上、大型建築物の新築・解体、資材の運搬は困難を伴う
・昭和2年築の小学校と、当該建物とが絵葉書に出現するタイミング

などから、昭和2年に校舎を新築する際、
解体した明治の校舎の部材で近場に産業組合の事務所を新築した・・・。
などという筋書きも無理はないと思うのですが、
いかんせん、資料がないので妄想の域を越えません。

島根県立図書館に、「美保関新聞」の縮刷版が保存されているということなので、
これを調べれば何かこの建物に関する記述があるかもしれません。







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  1. 2019/09/21(土) 11:26:37|
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