元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

出雲大社彰古館(出雲市大社町)その2

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以前、出雲大社境内の「彰古館」をご紹介したのは平成24年のことで、
ブログ創成期ということもあり、読み返してみますと情報が今一つといった感じなので
改めてご紹介したいと思います。

トリミングT3
大正3年3月9日付松陽新報より

この建物は大正3年に、出雲大社の「宝物館」として建設されたものです。
大正3年3月の松陽新報に「新築の大社宝物館」というキャプション付きで、
建物の写真が掲載されていました。
写真のみの掲載で、詳細記事は見つけることが出来ませんでしたが、
大正3年の3月ごろに完成したということが推察されます。

日本近代建築総覧のデータより、設計が「西村義抽」、
施工者が「小国岩吉」とありました。
両者ともにネットでは検索でヒットしませんでしたが、
西村義抽氏については、昭和11年、
乃木村小学校(現松江市立乃木小学校)落成の記事に、
設計者としてその名前を発見しました。

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昭和11年12月11日付松陽新報より

「万感実に交々 村長野村萬太郎氏談」
(前略)
斯くの如くにして設計を斯界の権威者本村の耆老西村氏に委嘱し
西村氏更に斯道の経験者佐々木氏を加え一意専心五月計成り鴻池組工を受け
(以下略)


新聞記事には以上のとおりあり記事の下段には、
下記のような名刺広告の掲載がありました。

名刺広告
昭和11年12月11日付松陽新報より

彰古館と乃木小学校の設計者が同一であるという明確な根拠はありませんが、
「義抽」という珍しい名前はそういそうもありませんので、
同一人物と考えてよいのではないかと思います。

また、乃木小学校の記事では「斯界の権威者」、「耆老西村氏」と称していることから、
実績の大なる人物で、昭和11年の時点で60~70歳であることが分かります。
昭和11年は彰古館建設から数えて22年後の出来事になりますから、
西村氏が40代で彰古館を手掛け、22年後に乃木小学校を手掛けた。
ということであれば、辻褄も合いそうです。

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彰古館は平成27年に登録有形文化財となり、
館内の収蔵物だけでなく、建物そのものも文化財としての価値が認められたことになります。

前回の記事では、建物の行く末について下記のように記していました。
「最近の出雲大社公式HPにこの建物の存在がないのが気にかかります。」
これは境内の整備工事の影響で一時休館となっていただけのようであり、
現在は引き続き彰古館として活用されています。




【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:宝物館
現在の建物名:出雲大社彰古館
竣工:大正3年
構造:木造二階建て
設計者:西村義抽
施工者:小国岩吉

【参考文献・HP】
日本近代建築総覧 昭和58年 日本建築学会
松陽新報 大正3年3月9日付 昭和11年12月11日付
文化財オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/266042

【撮影】
平成25年9月


  1. 2016/09/01(木) 00:22:53|
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旧出西小学校その2(出雲市斐川町出西)

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以前ご紹介した旧出西小学校
竣工当時の新聞記事を確認しました。

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松陽新報(昭和4年4月5日付)

校長先生と村長さんの話が掲載されておりましたので、
建物に関連する部分を抜粋します。

「農村教育の向上に益々精進したい」
‐新宮出西校長談‐
(前略)
此の学校は明治41年の新築でありまして
当時は郡内でも有数の校舎と称えられていましたが、
其後高等科を併置したのと逐年児童の増加で
特別教室は勿論、職員室も廃し廊下や宿直室で
授業をせなければならぬ状態となりました上に、
教育の進展に伴い種々の施設改善を要することになりまして
愈々増築問題は焦眉の急務となりました所、
昨年大典奉祝記念事業として奉蔵庫の建設及び校舎、
講堂増築の議が遂にまとまり、
昨年10月起工、関係各位の努力で落成いたしました。
新講堂は梁行8間、桁行13間、
それに付属の応接室及び器具室で
内部の洋式装飾と外観は近代的色彩美に満てる
堂々たるもの新校舎は階上共8教室でありますが、
内階下の一室は職員室に充て、
他の7室は普通教室3と特別教室4であります。
別に付属建物として各2か所の昇降口と長廊下があります。
奉蔵庫は当校下一般の寄付によるもので、
校舎に一入の交際を添えるものと深く感謝の意を表します 
(以下略)



「村民各位の愛郷心を謝す」
‐出西村長常松因信氏語る‐
(前略)
児童は年々増加の趨勢にあり校舎の狭隘且不便は
名状すべからざる位で出西校増築の必要に直面した。
しかし村内各方面の事業上之を遂行すること難く
 (中略) 
この間に処して県の指導、有志の援助、
村民諸氏の熱誠は遂に増築を励行することとなり、
工費三万四千七百円(内一万円は起債、一万九千七百円は財産支消、
二千五百円は積立金支消、其他二千五百円は村費)を以て
校舎一棟、雨天体操場兼用講堂一棟を
御大典記念として建築議決を経たのは昨年8月1日のことであった。
斯くて十月下旬村内矢田甚兵衛氏に請負はしめて工事を起し、
今回竣工したのである。
尚、校舎の増築を機とし同校児童保護会並に
校下七区一般より御真影奉蔵庫一棟を
新築寄附することとなった。
此費額約700円で洵に奇特の事である。
(以下略)


以上のことから、建物のプロフィールをまとめます。

校舎2階建て1棟増築・講堂兼雨天体操場新築
起工:昭和3年10月
工費:34,700円
施工(請負):矢田甚兵衛(出西村)

この外、学校区の住民の寄付により、工費700円で
御真影奉蔵庫を一緒に新築したこともわかりました。

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増築当時の校舎の様子を見てみましょう。
右手の2階建て校舎が現存する昭和4年築の校舎、
左に同時に新築された講堂が写っています。
校舎と講堂の間に写る屋根は、明治41年築の旧校舎でしょうか。
増築校舎と講堂とを結ぶ平屋建ての建物の手前に、
奉蔵庫らしき建築物が確認できます。

現在は2階建ての昭和4年築校舎しか残っていませんが、
かつては講堂とさらにもう一棟校舎建っていたことがわかります。

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写真からの情報をまとめてみました。

●建物の施工者
「興雲閣修理復元基本計画(平成21年)」では、
興雲閣を請け負った和泉利三郎の作品として、
出西小学校と温泉津の藤の湯とを挙げています。
しかし上記の松陽新報記事では、
現存校舎の請負は出西村の矢田甚兵衛氏と記載されていますので、
もし和泉利三郎がかかわったとするならば、
明治41年に新築された旧校舎のほうなのではないか、と推察されます。

戦後直後の航空写真を確認すると、
現存校舎の後に旧校舎らしき校舎が建っているのが確認できます。

●校舎の玄関部分について
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現存する校舎部分を拡大してみます。
切妻で窓と壁板部分が装飾的に連続した、
昭和戦前期の典型的な洋風木造校舎ですが、
玄関部分だけは和風の入母屋で、
建物全体と比べてちぐはぐな印象を受けます。

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現在の玄関部分です(画像が傾いてるなぁ)。
立派なのですが、
洋風な建物本体と比べると和風の要素が強く感じられます。
よくみると柱を支える礎石部分のデザインも古風に感じます。

以下に、島根県内の大正~昭和初期に建てられた
校舎の玄関部分を紹介します。

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こちらは大正3年築の旧宍道小学校の玄関です。
建物自体も入母屋で、玄関もそれに合わせたデザインになっています。

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以前ご紹介した大正13年築の旧寺領小学校です。
建物本体も入母屋で和風の要素が強く、
玄関部分とのデザインの連続性もしっかりしています。

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こちらは昭和3年築の旧谷小学校です。出西小学校とほぼ同時期の建設で、
校舎も切妻洋風であり、玄関もそのデザインに一致したものとなっています。

こうしてみてみると、大正時代までのは和風の要素が強い校舎であれば、
入母屋の玄関は自然でありますが、
昭和に入ってからの切妻の洋風校舎に入母屋の玄関が
付いているのは不自然な感があります。
出西小学校のケースでは建物として一体感がなく、
建築当初に意図してこのような仕様にしたとは考えにくいような気がします。

この玄関部分は、
明治41年築の旧校舎のものだったのではないでしょうか。
そうであるならば(仮定に仮定を重ねる話ですが)、玄関部分のみ、
和泉利三郎の造作が現存している。ということになるかもしれません。

昭和の校舎増築の際、
明治校舎が裏に後校舎になってしまうので、
玄関部分だけ記念に残そうと新築校舎にくっつけたのではないでしょうか。


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以上、戦前の新聞記事より、
建築当時の出西小学校の詳細を明らかにすることができました。
玄関部分の仮定の話については、今後も調査を続けたいと思います。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:出西小学校
現在の建物名:出雲市環境学習センター
竣工:昭和4年(起工:昭和3年10月)
構造:木造2階建て
工費:34,700円(校舎・講堂)
設計者:?
施工者(請負):矢田甚兵衛(出西村)


  1. 2016/04/11(月) 00:25:46|
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旧四ヶ村共同農業倉庫(出雲市斐川町直江)

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直江駅前のJA伊波野支所の敷地に建つ農業倉庫です。
駅前や農協の敷地に何気なく佇む農協倉庫、
その出自などあまり注目していなかったのですが、
戦前の新聞に倉庫建築の記事が出ていたのでご紹介します。

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松陽新報 昭和10年11月25日付

「共同農業倉庫晴れの竣工式」
簸川郡出西、伊波野、直江、久木四ヶ村共同農業倉庫は
昨秋来直江駅付近に工事中のところその工全く終り
けふ二十四日午前九時より竣工祭を、
正午より竣工式を挙行するが
総工費は一万六千五百四余円で建物の坪数百六十二坪、
一万俵を収容し得る堂々たる大建築物で
米所簸川郡出雲部の中央に位置し
今後地方産業界の開発飛躍に重大なる使命を果たさんとするものである。


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平屋の前室部分が失われている点と、
屋根の切妻部分の形状が若干異なりますが、
おそらく新聞にある昭和10年に建設された農業倉庫でありましょう。

新聞記事によれば、戦後旧斐川町の一部となった出西村、伊波野村、
直江村、久木村の各産業組合の共同倉庫として建設されたとあります。
記事には記されていませんが、名刺広告より、
設計・監督が松江の「松江建築事務所」、
工事請負が直江村の藤江善吉氏ということがわかります。

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現在のJA伊波野支所と旧共同倉庫。
何となくみかけている駅前やJAの倉庫ですが、
戦前の産業組合時代に建てられたものも少なくないようです。

「島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書」には、
産業組合倉庫の記載がある町村と
現存していても記載がない町村とがあります。
島根県内には実際にどのくらい産業組合時代の倉庫が現存しているのか、
時代や地域による建築様式の違いがあるのかなど、調べてみたいと思っています。

(余談)
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JAの近くには伊波野村の道路元標が現存しています。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:四ヶ村共同倉庫
現在の建物名:JA伊波野支所
竣工:昭和10年11月
構造:土蔵造?
設計者:松江建築事務所
施工者:藤江善吉(請負・直江村)

【撮影】
平成27年9月

【参考文献】
松陽新報記事
「島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書」 平成14年 島根県教育委員会

  1. 2016/03/14(月) 23:22:28|
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旧荘原信用組合事務所(出雲市斐川町荘原)

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以前ご紹介した荘原の元JAの建物の続報です。
既に取り壊されていますが、松陽新報より落成当時の記事を見つけ、
この建物が元々は「荘原信用組合事務所」であったことが
わかりましたのでご紹介します。

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松陽新報(昭和3年11月3日)

当時の新聞記事より建物に関する記述部分を抜粋してみました。

「簸川平野に異彩を放つ荘原信用組合新築事務所落成」
簸川郡荘原村信用組合では三日菊の佳節を卜し
御大典記念事業として新築した事務所落成式を小学校講堂で挙行し
(中略)村をあげて祝賀する同事務所は本年一月総会で記念建築を決議し
鴻池組の指定請負で五月十七日役場敷地地続きに起工し
九月二十六日竣工し十月一日から新館で事務を開始するに至った、
新館は建坪十七坪五合、
鉄筋コンクリート二階建及び付属建物五坪で総工費約八千円、
瀟洒な洋館で地方には異彩をはなっている。


「高橋荘原村長談」
殊に新事務所は鉄筋コンクリート造りで最新様式の堂々たるもので
産業組合事務所として此種の建物は本県下では嚆矢とする様に聞くから
一層欣快禁じ得ないものがある。(以下略)


以上のことより建物のプロフィールを整理してみました。
・荘原村信用組合事務所
・場所は荘原村役場隣接地
・鴻池組が請負
・御大典記念事業として昭和3年5月17日起工
・昭和3年9月26日竣工
・昭和3年11月3日落成式
・鉄筋コンクリート2階建て
・建坪17.5坪
・総工費八千円

JAの前身である、信用組合の事務所として建築され、
なおかつ、鴻池組が手掛けた本格的な
鉄筋コンクリート建築であったことがわかりました。

前回記した昭和3年築は正しかった事になります。
元役場かと思いましたが元々は信用組合事務所として建てられ、
戦後も引き続き農協の施設として利用され続けてきたわけです。

昭和3年ということを考えると、
県内の鉄筋コンクリート造の建築事例としては
かなり早い時期の建物ではないかと思われます。

前出の記事にも、
産業組合事務所が鉄筋コンクリート造で建てられるのは
荘原が最初という文言が出てきています。

「村の信用組合」が鉄筋コンクリート造りと、
思い切ったことをした経緯が気になります。

図2
昭和3年当時と現在の姿(解体前)とを比べてみますと、
玄関部分の増築と窓枠のアルミサッシ化以外は
あまり外観的な変化はないように思われます。
昭和3年の写真にある門柱も残されていることがわかります。


昭和初期に農村に建てられた
鉄筋コンクリートの信用組合事務所の現存例として、
非常に貴重な建物であったわけですが、
すっかり解体されてしまったのが非常に惜しまれます。



【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:荘原村信用組合事務所
現在の建物名:JA斐川町荘原支所
竣工:昭和3年9月26日(起工:S3.5.17 落成式:S3.11.3)
構造:鉄筋コンクリート
設計者:?
施工者:鴻池組松江出張所








  1. 2016/03/13(日) 23:16:30|
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旧田岐尋常高等小学校講堂(出雲市多伎町小田)

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多伎町小田に現存する、田岐尋常高等小学校の講堂です。

この建物はグーグルアースで存在を確認し、
古地図と国土地理院の航空写真とで旧田岐小学校の関連建物と推定しました。

現地で地元の方に伺ったところ、
やはり小学校跡地とのことでしたので、間違いないでしょう。


小田にあるから小田小学校ではないか?となるのですが、
当該小学校は、下表のとおり、学制の変化や自治体の合併により、
開校以来、頻繁にその校名を変えており、本稿では便宜上、
「田岐小学校」で通したいと思います。

図1
岐久小学校HP、岐久村誌より作成

岐久村誌によれば、校舎は明治42年竣工、
講堂は、講堂兼雨天体操場として、
大正14年3月10日に竣工したとあります。
これ以外に、当地の学校建築の記録は、
戦後の中学校校舎建設しか記録がありませんので、
この建物は田岐小学校の講堂と考えてよいものと思われます。

因みに旧多伎町の変遷は下記のとおりです。
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多伎町誌・田岐村誌・ウィキペディアより

かようにして、明治22年から昭和25年の間は小田の地は田岐村に属しておりました。
小田村と多岐村が合併して「田岐村」、「久村」と「田岐村」が合併して「久岐村」、
「久岐村」と「田儀村」が合併して「多伎村」と、似たような漢字・読みの地名が連続し、
大変わかりにくくなっております。

約60年間、田儀村と田岐村とが隣り合っていたわけで、
非常に紛らわしいような気がしますが揉めなかったのでしょうか?

建物の話に戻ります。
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講堂の玄関側です。
古い航空写真をみると画像手前に校舎がありました。

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玄関に、「小田神楽館」、「精華柔道館」という看板がかかっています。
現在も地域の活動拠点として、使用されている様子です。

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板張りの外観。後年の改修ではないかと思われます。

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道路側からみた全景。入母屋の大屋根です。

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道路側の妻面には何やら張り出し部分が。
奉安庫の痕でしょうか。


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:田岐尋常高等小学校講堂
現在の建物名:小田神楽館・精華柔道館
竣工:大正14年3月10日
構造:木造平屋建て
設計者:?
施工者:?

【撮影】
平成27年9月

【参考文献】
岐久村誌 昭和35年 多伎村
多伎町誌 昭和53年 多伎町
岐久小学校HP


  1. 2016/01/16(土) 21:03:43|
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