元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

旧四ヶ村共同農業倉庫(出雲市斐川町直江)

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直江駅前のJA伊波野支所の敷地に建つ農業倉庫です。
駅前や農協の敷地に何気なく佇む農協倉庫、
その出自などあまり注目していなかったのですが、
戦前の新聞に倉庫建築の記事が出ていたのでご紹介します。

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松陽新報 昭和10年11月25日付

「共同農業倉庫晴れの竣工式」
簸川郡出西、伊波野、直江、久木四ヶ村共同農業倉庫は
昨秋来直江駅付近に工事中のところその工全く終り
けふ二十四日午前九時より竣工祭を、
正午より竣工式を挙行するが
総工費は一万六千五百四余円で建物の坪数百六十二坪、
一万俵を収容し得る堂々たる大建築物で
米所簸川郡出雲部の中央に位置し
今後地方産業界の開発飛躍に重大なる使命を果たさんとするものである。


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平屋の前室部分が失われている点と、
屋根の切妻部分の形状が若干異なりますが、
おそらく新聞にある昭和10年に建設された農業倉庫でありましょう。

新聞記事によれば、戦後旧斐川町の一部となった出西村、伊波野村、
直江村、久木村の各産業組合の共同倉庫として建設されたとあります。
記事には記されていませんが、名刺広告より、
設計・監督が松江の「松江建築事務所」、
工事請負が直江村の藤江善吉氏ということがわかります。

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現在のJA伊波野支所と旧共同倉庫。
何となくみかけている駅前やJAの倉庫ですが、
戦前の産業組合時代に建てられたものも少なくないようです。

「島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書」には、
産業組合倉庫の記載がある町村と
現存していても記載がない町村とがあります。
島根県内には実際にどのくらい産業組合時代の倉庫が現存しているのか、
時代や地域による建築様式の違いがあるのかなど、調べてみたいと思っています。

(余談)
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JAの近くには伊波野村の道路元標が現存しています。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:四ヶ村共同倉庫
現在の建物名:JA伊波野支所
竣工:昭和10年11月
構造:土蔵造?
設計者:松江建築事務所
施工者:藤江善吉(請負・直江村)

【撮影】
平成27年9月

【参考文献】
松陽新報記事
「島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書」 平成14年 島根県教育委員会

  1. 2016/03/14(月) 23:22:28|
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旧荘原信用組合事務所(出雲市斐川町荘原)

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以前ご紹介した荘原の元JAの建物の続報です。
既に取り壊されていますが、松陽新報より落成当時の記事を見つけ、
この建物が元々は「荘原信用組合事務所」であったことが
わかりましたのでご紹介します。

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松陽新報(昭和3年11月3日)

当時の新聞記事より建物に関する記述部分を抜粋してみました。

「簸川平野に異彩を放つ荘原信用組合新築事務所落成」
簸川郡荘原村信用組合では三日菊の佳節を卜し
御大典記念事業として新築した事務所落成式を小学校講堂で挙行し
(中略)村をあげて祝賀する同事務所は本年一月総会で記念建築を決議し
鴻池組の指定請負で五月十七日役場敷地地続きに起工し
九月二十六日竣工し十月一日から新館で事務を開始するに至った、
新館は建坪十七坪五合、
鉄筋コンクリート二階建及び付属建物五坪で総工費約八千円、
瀟洒な洋館で地方には異彩をはなっている。


「高橋荘原村長談」
殊に新事務所は鉄筋コンクリート造りで最新様式の堂々たるもので
産業組合事務所として此種の建物は本県下では嚆矢とする様に聞くから
一層欣快禁じ得ないものがある。(以下略)


以上のことより建物のプロフィールを整理してみました。
・荘原村信用組合事務所
・場所は荘原村役場隣接地
・鴻池組が請負
・御大典記念事業として昭和3年5月17日起工
・昭和3年9月26日竣工
・昭和3年11月3日落成式
・鉄筋コンクリート2階建て
・建坪17.5坪
・総工費八千円

JAの前身である、信用組合の事務所として建築され、
なおかつ、鴻池組が手掛けた本格的な
鉄筋コンクリート建築であったことがわかりました。

前回記した昭和3年築は正しかった事になります。
元役場かと思いましたが元々は信用組合事務所として建てられ、
戦後も引き続き農協の施設として利用され続けてきたわけです。

昭和3年ということを考えると、
県内の鉄筋コンクリート造の建築事例としては
かなり早い時期の建物ではないかと思われます。

前出の記事にも、
産業組合事務所が鉄筋コンクリート造で建てられるのは
荘原が最初という文言が出てきています。

「村の信用組合」が鉄筋コンクリート造りと、
思い切ったことをした経緯が気になります。

図2
昭和3年当時と現在の姿(解体前)とを比べてみますと、
玄関部分の増築と窓枠のアルミサッシ化以外は
あまり外観的な変化はないように思われます。
昭和3年の写真にある門柱も残されていることがわかります。


昭和初期に農村に建てられた
鉄筋コンクリートの信用組合事務所の現存例として、
非常に貴重な建物であったわけですが、
すっかり解体されてしまったのが非常に惜しまれます。



【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:荘原村信用組合事務所
現在の建物名:JA斐川町荘原支所
竣工:昭和3年9月26日(起工:S3.5.17 落成式:S3.11.3)
構造:鉄筋コンクリート
設計者:?
施工者:鴻池組松江出張所








  1. 2016/03/13(日) 23:16:30|
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旧田岐尋常高等小学校講堂(出雲市多伎町小田)

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多伎町小田に現存する、田岐尋常高等小学校の講堂です。

この建物はグーグルアースで存在を確認し、
古地図と国土地理院の航空写真とで旧田岐小学校の関連建物と推定しました。

現地で地元の方に伺ったところ、
やはり小学校跡地とのことでしたので、間違いないでしょう。


小田にあるから小田小学校ではないか?となるのですが、
当該小学校は、下表のとおり、学制の変化や自治体の合併により、
開校以来、頻繁にその校名を変えており、本稿では便宜上、
「田岐小学校」で通したいと思います。

図1
岐久小学校HP、岐久村誌より作成

岐久村誌によれば、校舎は明治42年竣工、
講堂は、講堂兼雨天体操場として、
大正14年3月10日に竣工したとあります。
これ以外に、当地の学校建築の記録は、
戦後の中学校校舎建設しか記録がありませんので、
この建物は田岐小学校の講堂と考えてよいものと思われます。

因みに旧多伎町の変遷は下記のとおりです。
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多伎町誌・田岐村誌・ウィキペディアより

かようにして、明治22年から昭和25年の間は小田の地は田岐村に属しておりました。
小田村と多岐村が合併して「田岐村」、「久村」と「田岐村」が合併して「久岐村」、
「久岐村」と「田儀村」が合併して「多伎村」と、似たような漢字・読みの地名が連続し、
大変わかりにくくなっております。

約60年間、田儀村と田岐村とが隣り合っていたわけで、
非常に紛らわしいような気がしますが揉めなかったのでしょうか?

建物の話に戻ります。
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講堂の玄関側です。
古い航空写真をみると画像手前に校舎がありました。

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玄関に、「小田神楽館」、「精華柔道館」という看板がかかっています。
現在も地域の活動拠点として、使用されている様子です。

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板張りの外観。後年の改修ではないかと思われます。

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道路側からみた全景。入母屋の大屋根です。

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道路側の妻面には何やら張り出し部分が。
奉安庫の痕でしょうか。


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:田岐尋常高等小学校講堂
現在の建物名:小田神楽館・精華柔道館
竣工:大正14年3月10日
構造:木造平屋建て
設計者:?
施工者:?

【撮影】
平成27年9月

【参考文献】
岐久村誌 昭和35年 多伎村
多伎町誌 昭和53年 多伎町
岐久小学校HP


  1. 2016/01/16(土) 21:03:43|
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旧大社高等家政女学校その2(出雲市大社町)

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以前ご紹介した、大社町の旧大社高等家政女学校の補足です。

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松陽新報(昭和12年11月19日付)

松陽新報の記事に、校舎改築落成式を行うという記事があり、
建物の詳細がわかりました。

総工費:51,550円
請 負:嘉村和市(上津村)
起 工:昭和11年7月
竣 工:昭和12年3月31日
落成式:昭和12年11月19日

以上のことから、
旧大社高等家政学校本館の建築年が、
昭和12年と判明したことになります。

また、建築請負は上津村(現出雲市上島町・船津町)の
嘉村和市という人であることがわかります。
この嘉村和市という人は、同じ時期に、
吉田村の吉田小学校校舎・講堂も手掛けています。
技術に定評のある棟梁だったのでしょう。

記事に引き続き記事からの情報を整理しますと、
本館新築以外に下記の通り工事があったことがわかります。

新 築:本館、東昇降所、割烹室、宿直室、便所、寄宿舎、家庭寮
増 築:講堂
その他:旧校舎模様替え、奉安庫、養蚕舎等の移転

校内を大改造する、大がかりな工事だったことがわかります。

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新聞掲載の本館を拡大してみました。
手前の校門門柱は現存していません。

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校舎とともに建設された家庭寮・寄宿舎。

「家庭寮」というのは校長先生の説明によりますと、
『交互に生徒数名宛宿泊せしめ、
担任教諭指導の下に生活献立表を作成し、
日常生活総ての方面にわたって訓練を受け、
家庭婦人としての完全な仕上げを行ふのであります・・・』
と、あります。

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当時と現在との比較です。

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昭和22年の航空写真をみると、正面の本館から裏側に校舎が続き、
付属建物などと併せてほぼロの字型の平面構成だったことがわかりました。
現在は裏側の校舎はなく、本館正面部分のみが残されています。


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:大社高等家政女学校本館
現在の建物名:大社コミュニティセンター
竣工:昭和12年3月31日(起工:S11.7 落成式S12.11.19)
構造:木造2階建て
設計者:?
施工者:和村嘉市
  1. 2015/11/21(土) 21:45:14|
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八雲小林医院(出雲市今市町)

1
今市の町の中に洋風の医院が残されていました。

3
玄関部分。いかにも古くからのお医者さんというたたずまいです。

4
雰囲気的に現在はやっていないようす。
「八雲」というのはこのあたりの「八雲町」からとられているのでしょうか?

  1. 2015/11/01(日) 13:04:09|
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