元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産と、路面モジュールのブログ

久佐の建物と庄屋屋敷(浜田市金城町久佐)

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以前の金城町、現在の浜田市金城町久佐で見つけた建物です。
あまり装飾がなく、戦後の建物のようにも見えます。

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戦前に農村に建てられる立派な建物といえば、信用組合の事務所です。
金城町誌第2巻の久佐村の項では、
明治39年に無限責任久佐信用購買販売利用組合が設立され、
昭和12年に「木造2階事務所を新築」とあります。

この建物も昭和12年築の信用組合事務所だったらおもしろいと思うのですが、
建物をよく見てみましょう。

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よく観察すると、1階部分は倉庫(蔵)のようで、
小さな通風用の扉がついているのがわかります。

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2階へは、右側面に張り出た階段から上がるような造りに見えます。

改造でわざわざこんな造りにしたというのもちょっと無理がありそうで、
信用組合の建物ではないのかもしれません。
もともと1階が倉庫、2階が事務所(あるいは作業場)という構成だったのかもしれません。
ただ、1階の前の部分はいかにも増築という感じですから、何とも言えません。

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さて、この建物横には坂道が伸びていて、立派な門を持つお屋敷が建っています。

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この地域の庄屋だった佐々田家のお屋敷とのことです。
佐々田家は尼子氏の末裔という歴史ある家柄のようで、
庄屋だけでなく、鉄山(たたら製鉄)や酒造業をも営んでいたそうであります。

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この煉瓦煙突は酒造業時代のものなのでしょうか。

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現在は無住なのか、荒れているのが気にかかります。

【撮影】 
平成26年4月

【参考文献】
金城町誌第2巻 平成8年 金城町
金城町誌第6巻 平成15年 金城町

  1. 2014/07/27(日) 23:18:36|
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旧美又信用購買販売組合(旧JAいわみ中央美又事業所)

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旧金城町の美又温泉の北、追原に残る、旧農協の建物です。
ブログ主的にはここ数年で最大級の発見です。

「近代化遺産リスト」には掲載がなく、
他の近代建築を紹介しているHPでも見当たらず、
こんな建物が現存しているとは知りませんでした。

たまたま、ネット検索の過程で浜田警察署のHPで
この建物が紹介されているのを見つけ、存在を知ったのでした。

これだけ存在感のある建物であるにもかかわらず、
「近代化遺産リスト」に記載がないのはなぜだったのでしょうか。

金城町誌第2巻の美又村の項には次のような記述がありました。
『無限責任美又信用購買販売組合は大正7年設立、
昭和12年2月に大字追原に木造2階建ての事務所を新築した』

ということで、この建物は昭和12年に建設された、
無限責任美又信用購買販売組合の事務所であることがわかりました。
戦後は農協の事務所として使われ、
最後の肩書きは「いわみ中央農協美又事業所」だったようです。

現在玄関には「合同会社金本商事」の新し目の看板がかかっており、
まだまだ現役であるようです。

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正面から。堂々たる2階建て。

これだけ大きな木造洋風建築の現存例は県内には少なく、
デザイン的にも優れており、石見地域に現存する近代建築の中で随一の物件と思います。

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下見板はたいてい軒下まで続きそうですが、
建物の中央部分の下見板はアーチを描いて収束しています。
少々特異なデザインです。

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「石栄共存」と書いてあるようです。信用組合のマークだったのでしょうか?

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玄関部分の庇。ここには別のマークがついています。
美又村のマークでしょうか※。

【※平成26年7月19日追記】
このマークは、大正5年に制定された美又村の村章でした。
ただし、美又村は大正12年に、久佐村、伊南村(の一部)と合併し今福村となっています。
この建物は昭和12年築ですから、美又村がなくなって10年以上経って
なぜまた美又村の村章を掲げることになったのか、謎です。


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庇のデザインが素敵です。

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建物左側の戦後増築部分。
窓に格子がはまっていて厳重です。JAバンクが入っていたのでしょうか?

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妻面のデザインもモダンです。

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建物は小さな集落の突き当り、少々高くなった位置に建てられていて、
そのシチュエーションが絵になります。

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土蔵、古い町並みの奥に洋館。こんな風景、ワクワクしませんか?

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集落の裏の県道から、建物を見わたすことができます。
こうして見ると、かなり大きな建物であることがわかります。

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集落全景。集落だけでも素敵な風景ですがそこに洋風の役場建築があることでさらに魅力的な風景に。
こういった風景こそが、浜田のみならず石見地域の重要な観光資源であると思うのです。

【撮影】 
平成26年4月

【参考文献】
金城町誌第2巻 平成8年 金城町

  1. 2014/07/12(土) 21:26:26|
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寺井医院(浜田市三隅町)

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三保三隅駅の近くでみつけた現役のお医者さんです。

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「島根の近代化遺産」リストには記載がありませんが、いかにもな医院建築です。
玄関部分は後年の改修でしょうか。クリーム色半円の塗装も気になります。

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特徴的な中央の破風部分。

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建物左側に新館を増築して、今なお現役の洋館です。


【平成27年1月追記】
三隅町誌(昭和46年/三隅町)の医療機関の項によりますと、
寺井医院は昭和6年に現在の場所に開業して現在にいたっているとしています。

よって、昭和6年の開業時に建設されたか、
少なくとも昭和6年以降の建設である。ということがわかりました。


【撮影】
平成26年4月

【参考文献】
三隅町誌 昭和46年 三隅町





テーマ:建築デザイン - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2014/05/18(日) 22:52:36|
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旧佐野小学校宇津井分校(浜田市宇津井町)

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浜田市の宇津井地区に残る、元の佐野小学校宇津井分校の校舎です。
宇都井分校は昭和45年に本校に統合され、現在は石見公民館宇津井分館となっています。
明治41年の築と推定されます。

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宇都井ののどかな集落。

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ちょっとした高台にお堂と分校の建物が並んで建っています。

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急な坂道を登ります。

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分校らしいこじんまりとした建物です。

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玄関部分。簡素な作りです。

この分校を明治41年築と「推定」するのは次の根拠からです。

旧宇津井分校の沿革を、浜田市誌と旧佐野小学校HPから紐解きますと次のとおりです。

◎浜田市誌下巻(昭和48年)より
明治25年 創立(村社大歳神社拝殿を仮用した)
明治29年 伊南村宇津井尋常小学校
明治36年 川上庵を仮校舎にあてる
明治41年 現在地宇津井に校舎新築竣工
大正13年 合併により今福小学校宇津井分教場(伊南村→今福村)
昭和22年 新学制により今福小学校宇津井分校に改称
昭和25年 増築工事落成(昭和31年 今福村→金城村)
昭和33年 金城村佐野、宇津井が浜田市に編入、佐野小学校宇都井分校となる 


◎旧佐野小学校沿革より
明治 7年 宇津井小学校を下郷,川上庵に設置
明治25年 伊南村宇津井尋常小学校
大正13年 今福村立尋常高等小学校宇津井分教場
昭和33年 浜田市立佐野小学校 宇津井分校
昭和45年 本校に統合
   
市誌とHPとで微妙に沿革が異なりますが、いずれにせよ校舎の記述については
明治41年の校舎新築と昭和25年の増築工事とが明記されています。
戦後の増築がどの程度のものだったのか気になりますが、
建物の現状から、基本的には明治の校舎がそのまま使用されているのではないかと思われます。

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建物の裏側の状況。建物主要部分から張り出したこの部分が「増築」部分なのでしょうか。

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分校のすぐそばには未成となった今福線の構造物が残されています。
画像のアーチ部分右の緑の先に分校があります。



【撮影】 
平成25年9月

【参考文献】
浜田市誌下巻 昭和48年 浜田市誌編纂委員会
旧佐野小学校HP





  1. 2014/01/20(月) 21:32:07|
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有福小学校(浜田市下有福町)

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浜田より有福温泉へ向けて車を走らせますと突如立派な近代建築が出現します。
昭和9年築の有福小学校講堂です。

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島根県建築士会HP「しまねの家」の紹介文を引用しますと、
『大正11年建築*、ゼツッション風のデザインを思わせる。膨らみのあるエンタシスの柱、
アーチの大きさを変えた3連窓の意匠が特徴的。全国各地に同様のデザインの
講堂があるところを見ると、モデルがあったものと思われる。』とのことです。

つまり、どこかの高等教育機関の講堂のデザインを有福小学校向けににアレンジしたということでしょうか。
ブログ主は、一橋大学の兼松講堂や、関西学院大学の時計台に印象が似ていると感じます。


*ブログ主注
「島根の家」では講堂の建築年を大正11年としていますが、有福小学校HPの沿革や、
島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書では講堂の建築年を昭和9年としています。
現存の校舎の一部が大正11年築なので、混同してしまったのかもしれません。


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RCの堂々とした建物です。校舎の方は木造なので、いささかバランスが取れていません。

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このような立派な講堂を建てるに至った経緯について大変興味を覚えます。

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講堂と木造校舎とは付属建物で連結しています。

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校舎の全景。校舎の歴史について、有福小学校のHPの沿革に下記のように記されています。
・大正11年 校舎増築(2階建東側) 〔現存〕
・昭和 9年 校舎(2階建西側)並びに講堂新築 〔現存〕
従って、画像左側が講堂とともに昭和9年に建てられた部分、
画像右側の少し屋根の低くなっている部分が大正11年に建てられた部分と考えられます。

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大正築校舎の拡大画像です。学校の玄関はこちらです。


このような農村に本格的なRCの講堂が建設されたという特異なケースに加え、
大正・昭和戦前期の木造校舎が現存して現在も元の用途のまま活用されているという、
非常に稀有な存在であるのがこの有福小学校なのであります。


【撮影】 
平成24年9月

【参考文献】
島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書 平成14年 島根県教育委員会
有福小学校HP
島根県建築士会HP「しまねの家」

  1. 2013/12/31(火) 01:09:15|
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