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元島根県民のお部屋

島根県の近代建築・近代化遺産のブログ

旧山陰道産業(松江市東本町)

1
東本町の旧山陰道産業の建物です。
松江で有名な近代建築の一つであり、
平成29年には松江市の「松江市登録歴史的建造物」として登録もされています。

建物は昭和7年築、前年の末次大火による復興の過程で建設されました。
敷地の角が隅切りされているのも、復興計画の一環といえましょう。
島根県立短大が発行した「のんびり雲 7号」によれば、
この建物は山陰道産業の後、生命保険会社、船会社が使用し、
昭和48年からトラヤ紳士服店、平成23年からは現在のテナントである
objectsが店舗として使用しているとのことです。

この建物の設計は松江出身の建築家である成田光二郎です。
成田光二郎は天神町に設計事務所を構え、県内各地の建築に携わっています。

成田光二郎が手掛けた建築として現存しているのは次の建物です。
横田相愛教会 T12年  横田町
旧千原医院 T13年頃  仁多町
山常楼 S9年 安来市
天神橋南詰たてまち S初期 松江

また、戦前の新聞を調べたところ、下記の建物の設計を行っているのが確認できました。

津田小学校 S5/石見村小学校 S5/大野小学校 S7/大野村青年道場 S11

2
この建物を特徴づける、正面角のレリーフ。
屋上の屋根は後年の増設で、レリーフの上部パラペットは塔状に高まりをつけていました。

3
窓枠装飾はアールデコ調というのでしょうか、大変オシャレなデザインです。

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レリーフの意味するところは何か?毎度話題になりますが、
本当のところは設計者や施主のみ知るということになりましょう。

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建物はスクラッチタイルと石張りとが交互にあしらわれ、水平が強調されています。
石張り部分の石材は、松江市の資料によれば来待石とのことです。

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もとの玄関部分。玄関は隅切りのレリーフの面を挟んで2つ同じデザインで開口しています。
庇と持送りも来待石があしらわれており、重厚な雰囲気です。

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上掲の玄関を平成15年に撮影したもの。今は消されてしまった「トラヤ駐車場」の文字がありました。

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もう一つの玄関は車の出入りができるよう、拡張されています。
トラヤ時代より建物1階部分は駐車場として使われているようで、
内部が少し見えますが、がらんどうになっており、当時の装飾は残っていなさそうです。

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持送りが削られ、シャッターが増設されています。

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山陰道産業は表側と大橋川に面した側とでかなり雰囲気が異なります。
建物の半分は表側より一段低くなっており、建物の装飾も控えめな風です。
現在のテナントであるobjectsもこちら側を店舗として使っています。
トラヤ時代も、こちら側の棟を店舗として利用されていました。

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大橋川の側は増築なのではないか?という考え方もありますが、
その点を考証していきたいと思います。
建物が出来た当時の資料などがあればよいのですが、現時点では見つけられていません。
その代わり、こちらの松江築港の絵葉書に建築当時を知るためのヒントを見つけました。

この絵葉書はおそらく昭和7年に撮影されたものと推察されます。
松江築港に隠岐汽船の隠岐丸が停泊している風景です。
出港前か着岸直前なのか、岸壁にたくさんの人が集まっています。

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絵葉書の船の後ろの方を拡大した画像です。
いかがなものでしょうか、山陰道産業の建物が写っているのがお分かりいただけたでしょうか。
これにより、大橋川に面した部分も、昭和7年頃には建てられていたことが分かります。
また、現在は大橋川に面した方はスクラッチタイル貼りではありませんが、
絵葉書からは当時は同様の装飾が施されていたように見えます。

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絵葉書が撮影されたのと同じく、橋南より山陰道産業を撮影しました。
絵葉書と比べてみると、現在のobjectsの玄関上は後年の増築、
オレンジの瓦の木造部分は戦前に一体で作られていることが分かります。

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オレンジの瓦の部分は間近で見ると1階のデザインが統一されていることもあって、
ここだけ木造とはわからないようになっています。
何故この部分だけ当初から屋根をかけた作りにしたのでしょうか?


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:山陰道産業
竣工:昭和7年
構造:手金コンクリート+木造
設計者:成田光二郎
施工者:?

【撮影】 
平成15年10月
令和元年5月
令和2年2月

【参考文献・HP】
松江市登録歴史的建造物 第2号(PDF)
のんびり雲第7号 平成25年 島根県立短大








  1. 2020/04/05(日) 22:52:34|
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旧大森税務署(大田市大森町)

大森税務署2
郵便局の隣の隣にある建物です。
元々は江戸末期に建てられた武家屋敷で、
明治22年以降、建物を改造して大森税務署となりました。

大森税務署の後は国鉄バスの事務所、国鉄バス運転手の寮と用途が変わり、
昭和28年以降は住居として使用されています。

特徴のある玄関は大森税務署時代に設置され、後に撤去されていましたが、
平成12年の修理の際に大森税務署時代の姿に復元したとのことです。

*現在も一般の住居ですから、敷地外からの見学となります。ご注意ください。


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:大森税務署
竣工:江戸末期
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【撮影】
令和元年5月

【参考文献】
大田市大森銀山伝統的建造物群保存地区保存事業概報53  平成13年 大田市

  1. 2020/04/04(土) 23:40:47|
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地頭所の建物(美郷町地頭所)

1
美郷町の地頭所で見かけた、気になる建物です。

2
納屋として使われているようなのですが、2段になった窓や妻面の洋風なデザインなど、
いわゆる農家の納屋とは性格を異にする雰囲気を感じます。

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玄関には庇がかけられており、腰部分の板張りも縦にするなど、
戦前の事務所建築っぽい雰囲気を感じます。

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妻面には小窓もあります。

この建物の正体は何でしょうか?
山間部の小集落に建っている洋風の建築物として考えられるのは、
村役場、産業組合事務所、郵便局、医院あたりになってくると思われます。

以前、国会図書館で大正時代の山陰新聞を閲覧していた際に、
「地頭所に郵便局新築」という記事を見かけた記憶があるのですが、
新聞記事の複写はおろか何年何月何日付の新聞だったかのメモすら取っておらず。
もしかするとこの建物は大正時代に建てられた元郵便局だったのでは?
と、推測しているのですが、裏付けが取れておりません。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:地頭所郵便局?
竣工:大正時代?
構造:木造
設計:?
施工:?

【撮影】
令和元年5月





  1. 2020/04/04(土) 08:12:51|
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オペラハウス大森座(旧大森郵便局)(大田市大森町)

1
大森の元郵便局だった建物です。
平成26年に地元の中村ブレイス社により改装され、オペラハウス「大森座」に生まれ変わりました。

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伝統的な建物が連なる大森にあって、ガラス窓を多用したこの建物は目を引きます。
近代の建物に見えるのですが実はこの建物は江戸時代末の建築だそうで、
向いにある熊谷家の納屋として建てられたのがそのものだそうです。

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旧大森郵便局の向かいにある熊谷家住宅です。
熊谷家は代々大森の町年寄を務めるなど、大森の有力商人であった家です。
明治になって郵便制度が出来た際、大森では熊谷家が郵便局を開設しました。
大正8年になって熊谷家本宅の向かいにあった現在の旧大森郵便局の建物に移り、
昭和37年まで郵便局として活用されたとのことです。

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昭和40年代より隣町である久利町の郷原医院の大森分院となり、平成24年まで活用されました。
上掲の画像は平成17年に撮影したもので、診療所時代のものです。

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建物の変遷をまとめますと以下の通りです。

〇江戸時代末
熊谷家の納屋として建築される
〇大正8年
大森郵便局となる
〇昭和37年
郵便局としての用途を終える
〇昭和40年代
郷原医院大森分院となる
〇平成11年
半解体修理工事
〇平成24年
大森分院閉院
〇平成26年
オペラハウス大森座に改修される


【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:熊谷家向納屋(大森郵便局→診療所→オペラハウス大森座)
竣工:江戸末期
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【撮影】
平成17年1月
令和元年5月

【参考文献】
大田市大森銀山伝統的建造物群保存地区保存事業概報48  平成12年 大田市

【参考HP】
中村ブレイス株式会社(世界一小さなオペラハウス「大森座」の由来)
熊谷家住宅(熊谷家の歴史)


  1. 2020/03/29(日) 16:29:25|
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旧出雲電気江南変電所(出雲市湖陵町常楽寺)その2

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湖陵町の常楽寺に現存する、旧出雲電気江南変電所の建築年が判明しました!!

江南変電に関する記載があったのは、昭和61年に刊行された「はるかなり山の学校」という本です。

明治の初めに学校制度が出来た際には、
江南村では二部地区と常楽寺地区と2つの小学校がありましたが、
村の財政上、学校を2つも維持できないので統合という事になりました。
ところが、その統合した学校をどこに置くかで大いに揉め、
結局のところ両地区の境に位置する山の上に江南小学校をおくことで決着が付きました。
両地区の面目は保てましたが、山の上なので登下校など色々不便なことは当然で、
昭和7年になって江南駅近くに新たに校地を求め、江南小学校は山の上から平地へ移転しています。
この本はかつて山の上に江南小学校があった時代を記念した記念碑を建立したのに合わせて
刊行された記念誌であり、山の上の当時を知る先生・卒業生が思い出話を寄稿しています。

この本の中で、大正11年に高等小学校を卒業された方が、
江南変電所に関する思い出話を寄稿されていました。

(以下引用)
3年生時代(大正4年)
江南へ初めて電燈の点った画期的な年でした。
窪田の火力(原文ママ)発電所から引いた高圧電流を、
新装なったハイカラな煉瓦造りの常楽寺の変電所で変電し、
江南の各戸へも世紀の光が点ることになったのです。
私たちは変電所の落成式に加わり、次のような歌を歌って、
煌々たるイルミネーションにはしゃぎながら祝し合いました。

そもそも江南変電所 
新築落成の上棟式
よする記念の常盤木に
光り輝く電気灯
トコトーコ トットット

(引用終わり)

いかがなものでしょうか。
この記述では、江南変電所は大正4年、窪田発電所の建設に伴い、
発電所からの高圧電気を変電するために建設されたということが記されています。
以前、江南発電所について拙ブログにて記した推理は当たっていたことになります。

江南変電所建設当時、落成式が開催され、
イルミネーションで飾られた江南変電所を前に、小学生が記念の唄をうたった。
どんな雰囲気だったのか、今となっては想像するしかないのですが、
初めて村に電気が来た喜びは伝わってきますね。

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江南変電所の建築年は長らく不明で「大正初期」とされてきましたが、
上掲の通り、大正4年に建設されたという事が明らかになりました。

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現在は完全に空き家の状態ですが、島根県内で現存例の少ないレンガ建築であり、
地域の近代化を支えた貴重な歴史的資料でもあります。
何とかこれからもお元気でと願わずにはおれません。

【建物のプロフィール】
竣工当時の建物名:出雲電気江南変電所
竣工:大正4年
構造:煉瓦造
設計者:?
施工者:?

【撮影】
令和元年5月

【参考文献】
松陽新報昭和7年3月28日付記事
「はるかなり山の学校」 昭和61年 江南村尋常高等小学校跡紀念碑建立発起人会 
「島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書」 平成14年 島根県教育委員会

  1. 2020/03/15(日) 21:59:11|
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須佐橋(出雲市佐田町)

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旧佐田町に戦前に架橋された須佐橋が現役で頑張っています。

2 石見大田S7東t
(陸地測量部 昭和7年 「石見大田」より)
場所はこちら。
現在は出雲市のエリアですが、この地はかつて東須佐村、西須佐村とに分かれていました。
須佐橋はこの東西の須佐村を結ぶ重要な位置にあったことが古地図から読み取れます。

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例によって戦時中の金属供出のためか、橋名板や欄干の装飾などはない状態です。

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尖塔を重ねたようなデザインの親柱。分離派というのでしょうか?

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欄干部分の装飾です。かつては欄干にも鉄製の柵が嵌められていたのではないかと思います。

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コンクリートの剥落も見られます。

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手持ちのクリアファイルで欄干の高さを確認してみました。
おそらく70センチくらいしか高さがありません。現在の感覚からするとかなり低いですね。

7 s12321須佐橋2t
(昭和12年3月21日付松陽新報)
この橋の名前や架橋年については、現地では橋銘板が失われており不明、
「島根県の近代化遺産」にも記録が無く、残念なことになっていたのですが、
松陽新報に竣工式の記事を見つけ、橋の詳細を明らかにすることが出来ました。


「須佐橋竣工式 けふ東西須佐の賑わひ」
(昭和12年3月)21日竣工式並びに渡り初め式を挙行する須佐橋は
模範村として有名な飯石郡西須佐村より東須佐村に通ずる
神戸川の上流反辺川に改架された丁形桁鉄筋コンクリートのモダン橋で
長さ60m幅5m10㎝、総工費1万1千5百円を投じて
(昭和)11年の8月26日により起工去る2月21日竣工したのであるが
21日は両村小学校生徒の秦行列も織り込み
その他祝賀催し等にて折柄多数の人出が想像されている


ということで、昭和12年に竣工した須佐橋であるという事がわかりました。

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たぶん、上掲の新聞記事と同じ位置から撮影した須佐橋です。
中間の橋脚が4本と、山間地の割に長い橋です。

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親柱のデザインが素敵なので、出来ればこのデザインを残したまま整備していただければなぁと思います。

【橋の諸元】
橋名:須佐橋
竣工:昭和12年3月
形式:RC桁橋
所在地:出雲市佐田町反辺
川:波多川
道路:?

【撮影】 
平成27年9月

【参考文献】
松陽新報記事

  1. 2020/03/14(土) 14:34:01|
  2. 島根県の近代橋梁
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旧米江旅館(松江市伊勢宮町)その2

1
松江の旧新地遊郭内で、唯一昔日の面影を残している巴庵(旧米江旅館)にてお食事をしてきました。

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夕刻迫る巴庵(旧米江旅館)の姿。雰囲気がいいですね。

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玄関を入ったところ。天井が高く広々とした印象です。

4(1)
入ってきた人が角にぶつけないようにする配慮か上り口も直角にせず。

4
玄関を振り返ります。

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帳場です。

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帳場の脇に階段があります。

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2階から下を覗きます。

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階段の手摺です。暗くて良く写っていませんね。。。

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2階の客室に通じる廊下です。

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旧米江旅館は北棟(表玄関側)と南棟とに分かれていますが、その間に中庭があります。
北棟1階から中庭をはさんで南棟2階を臨みます。

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もちろん料理もとてもおいしく頂きました。我々はあご出汁ちゃんこ鍋のコースを注文しました。
鍋コースをはじめとして、地の料理がリーズナブルに頂くことが出来ます。

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以上、巴庵(旧米江旅館)のご紹介でした。
歴史ある建物を維持しながら商売をするというのは大変な労力がかかるものと思われます。
皆様も松江にお越しの際は、ぜひ、巴庵で食事をしてみましょう。少人数でも大丈夫です。

巴庵のHPはこちら。


  1. 2020/02/23(日) 21:44:47|
  2. 島根県の近代建築・松江市
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旧宍道小学校(松江市宍道町)

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宍道町に木造校舎が残っています。元の宍道小学校の校舎だったものです。

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校舎は大正3年に建てられたもので、立派な玄関が備わっています。

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玄関庇を支える柱。根石は大根島の玄武岩でしょうか。

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校舎側面です。近年まで、松江南高校宍道分校として使われてきたこともあり、
耐震補強や空調の設備の追加などが行われています。

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校舎側面、玄関から向って右側です。
大正期らしい装飾の少ない素朴な外観です。
校舎の右に続く建物は雨天体操場です。

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校舎の全景です。

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校舎の隣の平屋建ての建物は、明治40年に建てられた「雨天体操場」です。

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裏側より。特に装飾のない、素朴なたたずまいです。

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校舎を裏側から撮影してみました。裏側には水場や倉庫らしき付属建物が建っています。

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校舎は木次線に沿って建っていますので、車窓からもこの校舎を見ることが出来ます。
因みに、撮影している道路は元は山陰線から出雲製織宍道工場(現オーエム製作所)への貨物線の跡地です。

【建物の歴史】
12 航空写真
現在の宍道小学校は、旧校舎から道路を挟んだ向かいに建てられています。
航空写真にあるように、元々校舎は現存する木造校舎から南側、
道路と線路に挟まれたエリアにみっちりと建てられていました。

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現在の校舎がある場所は元々は校庭だったようです。

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(松陽新報 昭和12年3月20日付)
宍道小学校は大正3年の校舎新築以降も、児童増加や設備充実のためどんどん増築を繰り返しました。
昭和12年の増築の際には、道路で隔てられている校庭へ児童を安全に移動させるために
地下道を設置したと新聞記事にはあります。現在も実は残っていたりするのでしょうか。

図1
国土地理院の昭和22年の地図に上述のまとめをしました。

年表をまとめると下記の通りです。
明治40年 現存雨天体操場竣工
大正03年 現存校舎竣工
戦後    宍道中学校に使用される
昭和29年 県立松江高校宍道分校に使用される
昭和36年 県立松江南高校宍道分校となる
平成25年 宍道分校廃止

宍道分校は廃校となって久しいのですが、
現在も地域の集会などで使用されているようでもあります。

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校舎正面には門柱も残っています。明治38年12月とあり、校舎・雨天体操場よりも長生きです。


【建物のプロフィール】
建物名:旧宍道小学校校舎/雨天体操場
竣工:大正3年/明治40年
構造:木造
設計者:?
施工者:犬山孝右衛門/伊藤虎三郎

【撮影】
令和2年2月

【参考文献】
島根県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書 平成14年 島根県教育委員会




  1. 2020/02/22(土) 20:38:56|
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旧国富村役場(出雲市国富町)

※今回は郷土資料並びにGoogleストリートビューより画像を転載させていただきます。

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ブログ主はヒマが出来ると島根県内のまだ見ぬ近代建築を探すために、
Googleストリートビューで県内のあちこちを観察しています。
ある時、出雲市(旧平田市内)国富町に上掲の気になる建物を見つけました。

古い様な、窓のサッシの様子から戦後の建物にも見える様な、何とも言えない建物でした。
結論から申し上げますと、明治23年に建てられた、旧国富村役場の建物であるという事が分かりました。

国富町エリアの郷土史をまとめた「国富郷土誌」に次のような記載があります。

『明治21年4月、町村制が交付され、翌22年4月から美談、西代、国富、口宇賀の
4村を合併して「国富村」と呼ぶことになった。
そこで、初代村長に木佐五郎左エ門が就任、その下で、明治23年9月二階建ての村役場が
国富の中村地区(現在の国富小学校登校道路の正門の脇に現存)に建設された。』


というわけで、明治23年に建てられた国富村役場が残されているという事が判明しました。
町村制施行の際の役場建築が現存しているというのはかなり貴重なのではないでしょうか。

2_20200217214728578.jpg
(国富郷土誌より転載)

上掲の史料には、かつての建物の写真が掲載されています。
現在の姿と比べますと、板張りで窓割や玄関部分なども大きく改変されていますが、
寄棟の屋根など当時の面影は残っているものと思われます。

かつては土蔵造り風で限りなく和風のテイストですが、
ガラスの入った窓や玄関庇などからわずかに洋風の要素も感じられます。
大森銀山に現存する「旧大森区裁判所」にも雰囲気が似ていますね。
大森の建物も明治23年ですから、当時の役所建築では擬洋風になりきれない、
このような土蔵造り+αの建物が県内のあちこちで見られたのかもしれません。

3 長江小学校
こちらはすでに取壊されていますが、松江市の古江にあった、旧古江小学校の校舎です。
明治25年の築で、国富村役場の2年後に建てられたということになります。
国富村役場に比べますと、窓が縦長で、より洋風の要素が強くなっておりますが、
軒の漆喰の処理方法など、まだまだ、伝統的な蔵造りの工法をベースとしいるように見受けられます。

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以上、明治23年に建てられた村役場建築が現存していた。というご報告でした。

島根県内に現存の近代建築を(築年の明らかなものだけ)古い順に並べますと次の通りになります。

明治04年 田野医院(松江)
明治15年 松江警察署(松江)
明治18年 周吉他三郡役所(隠岐)
明治20年 郷田郵便局(江津)
明治23年 大森区裁判所(大田)
明治23年 国富村役場(出雲)

大森の大森裁判所とならび、県内5で番目に古い近代建築となりました。

【建物のプロフィール】
建物名:旧国富村役場
竣工:明治23年9月
構造:木造
設計者:?
施工者:?

【撮影】
平成17年8月(旧古江小のみ)

【参考文献】
国富郷土誌 平成9年 国富郷土誌編纂委員会




  1. 2020/02/17(月) 22:39:19|
  2. 島根県の近代建築・出雲市
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旧大濱村役場(大田市温泉津町小浜)

1
温泉津駅から温泉津の温泉街への道の途中にあるこの建物、
どうやら、昔の村役場の建物だったようだということが分かりました。

2
モルタル塗りの一見して戦後築の建物と思っていました。

3
現在はあまり使われているように見えませんが、平成19年に撮影した際には、
「温泉津町農業協同組合」という看板の跡が残っていました。
近年まではJA事務所として使われていたようです。

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(昭和16年8月1日付松陽新報より)
昭和16年8月1日に、温泉津町と大濱村が合併して「新」温泉津町になった際の新聞記事です。
調べてみたところ、昭和16年の合併まで、温泉津駅や小浜温泉、若林酒造のあたりは大濱村、
その先が温泉津町と、別々の自治体だったとのことです。

新聞記事に掲載されていた写真のキャプションには、
「温泉津町役場仮庁舎大濱村役場」とあります。
合併後の新しい町の仮庁舎として、大濱村役場を当てたということですね。

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いかがなものでしょうか、モルタル塗りを免れた側面の細かい下見板張りは、
新聞の大濱村役場とそっくりです。
2階部分の連続した窓割も現在に名残が感じられます。

以上のことから、温泉津駅前通りの元温泉津町農協の建物は、
更にもとをただせば昭和16年に消滅した大濱村の役場建築だった
ということになるのではないか。ということでございます。



【建物のプロフィール】
建物名:旧大濱村役場(たぶん)
竣工:?
構造:木造
設計者:? 
施工者:?

【参考WEB】
行政区域境界の歴史的変遷

【撮影】
平成19年8月
平成27年1月







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